おならっぷばーん

You can't fart without changing the balance in the universe.

暑い日に読みたい北極探検記『考える脚』

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市立図書館で荻田泰永『考える脚』を借りました。

山登りを趣味にしている人(うちの親父がまさにそうだが)を見ると、山に登って何が楽しいねん、わざわざしんどい思いして何が得られんねん、と考えてしまいます。その発想の違いが、親と子を、勤続40年に迫る公務員と正社員歴なしの30代無職男を、勝ち組と負け組をへだてる心理的な差になるのかなと思います。

単独無補給歩行で極地点をめざす、というのは野獣みたいな人間が力まかせに難所を突破していくイメージですが、実際には、毎日の食事を2割削って食糧日数を2日伸ばすとか、個包装のお菓子の包み紙をぜんぶ捨てて10グラムでも軽量化をはかるとか…薄氷を踏み抜いていつ海に落ちるともしれぬ状況にあっては進める一歩のその足を出す場所にしてからが細かい計算と選択の連続なのだ、と知りました。『考える脚』というタイトルはまさにその通りで、周囲数百kmにわたり隣人がいない、孤絶した、誰にも頼れない状況で、冒険者がなにを考えているのか、その思考の流れを細かく記録しています。自分の一瞬の決断の遅れ、ちょっとした判断の誤りが、即死をもたらす状況にあるわけですから、机上の哲学者より、極地の冒険家のほうが考える人なのかもしれません。

 

・「ポイントオブノーリターン」という恐怖

結果に責任を持ちたくない! だから人生の重要なターニングポイントにおいて、同棲も結婚もバイト選びに就職も、家を建てることもバイクの免許をとることも、モスバーガーで頼むメニューも、GUで買うハーフパンツの色ですら、親、妻、友人に決めてもらう。世のなかには「決断しないこともひとつの決断だ」という言葉が名言としてまかり通っているが(「コンドームをしないのもひとつのコンドームだ」という論理で一体何人の女性を口説けるだろうか)、無責任と優柔不断において僕の右に出る者はいない。だから、

 

「私は、すでにポイントオブノーリターンを超えている。スミス海峡超えに挑んでみたものの、やっぱり駄目でした、帰ります、が通用しない場所にいる。ここまで来たら、渡るしかない。選択肢は一つ、戻ることは考えていないのだ」

 

「スベルドラップパス東側の河口が、今回の遠征全体を通しての『ポイントオブノーリターン』となる。これ以上進むことは、グリスフィヨルドに戻ることが困難になることを意味している。ここまでは日程も想定通りである。物資も充分にあり、進むことに問題はない。状況を整理して考え、前進を選択する」

 

もう後戻りができないところ、「ポイントオブノーリターン」を超えるというのが恐ろしくてたまらない。気が向いたらすぐに家に帰れる範囲を超えて外出すると、たとえば大阪から京都へ出るのすら、帰るのに1時間かかる…と思うと、ハラハラして冷や汗がでる。機嫌が悪くなってムードを壊してしまう。それが北極や南極で、ただでさえ家に帰れないのに、さらに出発地点へすら戻れない点を踏み越えて、成功か失敗(つまり救出か死)に賭けるとは…考えるだけで恐ろしいw

 

北極より南極のほうが難易度が低く、北極がマイク・タイソンなら、南極はバンタム級日本ランキング10位くらいだそうだ。分かったような分からないような絶妙なたとえw 南極を歩くのがあまりに退屈なので、ウォークマンでオーディオブックやTV番組の録音を聞きながら進むという。なかでも「すべらない話」を繰り返し聞いて南極でひとり爆笑していた、というから、公園で散歩してるそこらへんのおじさんか!とちょっと癒やされる。

著者である荻田さんは、大学中退後「じぶんには何かできるはず」という自信だけを悶々と抱いたままフリーターをしていた。バイトの休みの日に、またまたTVでみた冒険家・大場満郎がゲスト出演するトーク番組に興味をかきたてられて、北極圏の冒険の道に入っていく。なにが転機になるか分からないもんですね。猛烈にやりたいことがあるとか、やり通す力みたいなものがあるっていうのは凄い。僕はいま「働かない亭主」の極点に向かって順調に進んでいます。31歳無職ですが、ポイントオブノーリターンは近いですか?