おならっぷばーん

You can't fart without changing the balance in the universe.

僕はミニマリストだった

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ミニマリスト垂涎のミニテーブル) 

Prime Readingで『月10万円でより豊かに暮らすミニマリスト生活』を半笑いで読みつつも、シンプルな生活への憧れは隠せない。「ていねいに暮らす」だの「シンプルに生きる」だの、上品な暮らしっぷりを他人様にお見せすることで生きがいを得ている主婦のエッセイが売れたりなんかするが、つねに写真映えするような配置でもってモノを置き、紙面に載る構図で切り取られることを期待した日常風景というのは、実に気色悪い。手記を通してそーゆー人たちの頭のなかを覗くより、取り扱い説明書で扇風機の機能を知るほうがまだ興味をそそるというものだ。

ミニマリストになることで人生を変えることができる。モノを捨てることが、なぜ仕事、お金、人間関係、健康、時間、夢…一般に大人が取り組むべき課題としてなんとなく共有されている問題を解決に導くのか、さっぱり解らない。そもそもこれらの問題に頭を悩ませることが、あたかも大人として立派に現実と格闘している証拠であるかのようにとらえられている、その発想も相当おかしいと思うのだが、それは置いておいて…。たしかに身近なもの、本やペンや服やカバンなど、意識しなければ勝手に溜まっていく不要物を捨てるのは、ゴミの日さえ知っていればいともたやすい。そういうモノとの関係を見直す簡単な手続きを、より高度な大人問題へ応用していく(まさに問題を片付けていく)ことで、人生の散らかった部屋をすっきりした部屋へ整理するのが、ミニマリズム実践の恩恵というわけだろう。別にそれ自体問題があるわけでもないが、過剰に夢の実現を煽ったり、成功者になれると喧伝するのは、いたずらに読者感情を刺激するようで好きじゃない。

僕にも漠然とした成功者への憧れはある。休日も朝からその漠然とした成功者像へ近づくために何か行動をしなくちゃ…という焦燥に肺を押さえつけられるようで、休みの日を休みの日としてたっぷり満喫することができない。ただ次の労働日まで、はしゃぎ過ぎないでいる待機期間として休日を消化するのみだ。ユダヤの格言に、「休日に人が与えられるのではなく、人に休日が与えられるのである」という分かるような分からないようなことばがあるが、休んでなんかいられない!と思うほど熱中するなにか、それが仕事でも趣味でも、そういう対象を持つことができたら幸せだ。

僕は人間関係も仕事も人生観も、必要最低限でいいと思って生きてきた。友人は小学生の頃の数人だし、大学では「友達になろ?」と誘ってくれた男に「いやええわ」と真顔で答えたし、恋愛はバカのするものだと思っているし、職場の人と付き合いはないし、職業に深く関わっていくような意欲や向学心、出世欲もないし、必要以上に働きたくないし、何にお金を使っても損した気分になるし、日々無事平穏に暮らすことを幸せに感じる。今まで散々バカにしていたけど、俺の正体って筋金入りのミニマリストだったんじゃないの…と気付いてホラー映画のようなオチに慄然とするのであった。