おならっぷばーん

You can't fart without changing the balance in the universe.

退職の意向を伝えてみた

 


・口閉じ健康法

先日テープで口を無理やり閉じて寝る方法を紹介した。毎日続けているがとくに体調の変化はなく、しいて言うなら起きたときの口内の不快感、言ってしまえば口からザリガニの臭いがする確率が減っているのはいいところかもしれない。

唇に人差し指を当てて「シー」とやるような感じで、水色のマスキングテープを縦に貼った奇態な様子を興味ありげに見ていた細君が「私もやってみようかな」と言うので、同じように貼ってやる。ふたりとも話せず「ウー」と「ンー」の1歳2ヵ月のようなコミュニケーションでなんとなくおやすみを言いあって就寝する。

口を閉じた細君は普段よりいびきが少なかった。本人も「途中で起きずにいつもよりぐっすり眠れた」と驚く。あれ、口閉じ健康法効果あるじゃん!と思ったら、調子の良かったはずの細君がその日頭痛で仕事を休むことに。

ど、どないやねん。

 

・仕事やめると言ってみた

「とりあえず続けてみないか?」と、親や将来の話を交えながら、立てこもり犯を説得するような話が1時間も続いたが、気持ちは変わらない。変わるというより、これは「やめるか迷う」相談ではなく、自分なりに考えた「やめる」結果を伝えるものだ。「どうするかゆっくり考えてほしい」と最終判定は持ち越されたが、ここで与えられた時間は、僕の再考のためというよりは、相手が状況を受け入れるために使われるものだと思う。

会社といってもスーツでPCに向かう仕事ではない。クリーニング工場における現場作業だ。汗とほこりの肉体労働のケーキに、事務作業がラズベリーのようにちょこんと乗る仕事だ。工場には、ジャージにスニーカー、手ぬぐい姿の工員しかいない。僕にとっての唯一の上司Mもその一員で、ユニクロの作業ズボンに白Tという、パチンコ屋にいるフリーターのような格好だ。就業後、Mが、食堂で――食堂といっても普通の家のダイニングキッチンみたいな空間だが――スマホ片手にひとり晩飯前のおやつのコーンフレークを食べているところを突撃した。Mは、人当たりがよく会話好きで、工場スタッフ、配送スタッフ、店舗スタッフの誰ともよくコミュニケーションをとるので、1人でいるところを捕まえるのが難しく、この1週間タイミングを計るのに苦労した。ドアの隙間から1人でいるのが見えた瞬間「ここでいかなきゃ次がいつになるか分からない」と意を決して踏み込んだのである。

Mが述懐するには「俺がいままでどれだけパートさんに『話あるんですけど』と言われてきたか知ってるか? もうその雰囲気だけで辞めるって分かる」。僕が「すみません話あるんですけど」と言った瞬間の顔、コーンフレークをかきこむ手が止まり目を剥いて絶句するMの、すべてを察して「頼むから続きを聞かせるな」と言わんばかりの苦悶の表情が忘れられない。

どうして辞めるの?と訊かれたので、「引っ越しで家が遠くなるから」と答えた。これにたいしてMは理解を示してくれた。「たしかに車で片道30分かけてくる内容、給料の仕事じゃない。ずっと身体を動かしてしんどいし、暑いし、休みも少ないし、給料も安いし。それはすごい分かる。それは俺自身も思っている。ただな…ひとつ言えることは…助けてくれー!」と最後は遭難者みたいな叫びとなり、思わず笑ってしまった。

そうだ、現場はいつも人手不足で、誰かが欠けるとつらみが増す。日本の労働社会で常態化した「過積載のトラック」、人員にたいしてつねに過大な課業を与えることで、働くエンジンたる人間を絞り上げ、持てる生産性の最後の一滴までを吸い尽くそうとやっきになる、走り出したら止まれぬ経済疾駆体。現状僕を含めた社員3人で回しているが、繁忙期とあって僕以外の2人(Mとその妹)は本来週休2日のところ1日だ。工場はもとM家の経営であったが、のちに別会社に買収された。管理運営は別でも、一家全員――M・M妹・M母・M父が週休1日でフル稼働している。それでギリ成り立っているところへ、僕が辞めると言い出したから、このままでは1人あたりの業務量が過多になって「死んでしまう」と言うのだ。「もちろん、僕が辞めたらどうなるか想像しますけど、ちょっと冷たい言い方になってしまいますけど、自分がいなくなったあとの人員配置とか采配、現場をどうするかって考えるのは僕の仕事じゃなくて、マネージャーとか管理者の仕事なんで、それで自分の行動が制限されるのは違うんじゃないかと思うんです」と正直に伝えると、「もちろんそうやけど。ただ1つだけ言えることは…助けてくれー!」と遭難者は2日目を迎える。

「君にしかできない仕事がある」「だれも引継ぐ人がいない」「いてくれて本当に助かっている」「みんな肌が合うと感じている」…等々、辞める人を引き留めるときの常套句が羅列されるわけだが、面と向かって褒められたことがなかったので、そんな風に思っていてくれたなんて…と不覚にも目に涙が溜まってしまった。引き留めプレイ、病み彼女の別れるプレイに似た情動の性感がある。「君がすごいなと思ったのは、文句をひとつも言わないところ。だから何を考えているか分からない時もある。もし、やめるきっかけになったような嫌なところがあれば、君の働きやすいように改善していくから何でも言ってくれ」と言うが、仕事が嫌だから、人が嫌だから辞めるのではないので「そういうことじゃないんすけどね…」と口ごもってしまう。この事業所における特定の業務内容、環境、人物に原因があるのではなく、自分が楽しめない仕事に使われ、時間を持ち去られ、人生をすり減らしていく全体的な手触りが嫌なのである。10年後、40歳になった自分がここで働いている未来がまったく見えない、というのも一因だ。

もとは「家から近い」という理由だけで入ったバイト、「社員にならないか?」との誘いに「時給換算で得だ」という計算で「はい」と答えただけなのに、いつの間にかずるずると家族経営体に自分を深く挿入しすぎていることに気付く。これが発達した管理機能と上下構造をもつ組織なら、ドライな手続きで辞められただろう。組織の一員として会社の事業に関わる、ではなしに、家族の一員として一家のなりわいを手伝う、就職情報誌を飾る「アットホームな職場です」の虚言がここでは逆転して「職場チックなホームです」というM家の物語、その運命共同体に参加している感覚のせいで、心理的な負荷が大きくなっている。自分の親より妻より、M家と一緒に過ごすのだから、家族の一員としてやっていく、という感覚が芽生えるのは当然のことだ。近代の営利組織には珍しく、スタッフ全員が家族的な一体感を持つところが、機械を扱いながらも家内制手工業的な働き方というか、ゲマインシャフト的な温血のつながりが保たれており、それがこの事業所の無形の財産であるとはっきり言える。ただ僕はその一家の物語に付き合うつもりはない、ということだ。

「やめる気持ちはどれくらい固まっているんだ? ジャグラーでいうと、リールをとめて、あとはボタンを離したらペカるのか? 内部でボーナスは成立しているのか?」と、元パチスロ中毒者のMが絶妙なたとえで訊いてくるので、「先ペカです」と答えると、「もう揃えるだけやんけー!」と爆笑していた。すこし天然気味の妹は、「休憩時間にコーヒー飲みながら本読めるスペースつくるから〜」と言う。いや、そういうことじゃないんだよな…w