おならっぷばーん

You can't fart without changing the balance in the universe.

リア充って思ったより深い言葉なのかもしれない

 

僕はクリーニング工場で働いているのだが、毎日の作業中――それは特に洗濯ネットに衣類を詰め込んでいるときの虚無の時間に訪れる――「ああつまんねえな」「毎日なんでこんなことしてんだろ」「なんで仕事を面白くないと思っちゃうんだろ」という思考が、目の前の洗濯槽みたいにグルグル回り出して止まらなくなる。「時間のむだだよ。わずかばかりの安定と引き換えに、かけがえのない時間を搾取されているんだよ」という悪魔の声がする。たまに天使もくる。「そんな腰の入っていない態度で仕事をすると大きなミスにつながるよ。同じことの繰り返しの毎日の中から、今日はなにか一つ学んで帰ろうという姿勢が充実感を生むんだよ」と語る。最近の達成は、毎日のつまんねーへの唯一の対抗策は充実感である、という気付きだ。

リア充とはスクールカースト上位層が経験する、学校生活に付帯した児童・生徒・学生的通過儀礼を一通り経験した、している連中のことを言う。とはいえその中身はほとんど同性/異性交友や性経験に集中する。学生の頃は、容姿とモテが直結するので、ここで多くの挫折が生まれてしまう。だから非モテは非リア充とほとんど同じ意味で使われる。悲しいかな無知の学生諸君よ、事業で成功して居住地域のドン・ファンになれば、50歳下の女をほしいままにできるというのに。

リア充の対象年齢を大人まで拡張すると、定義はかなり難しくなる。日々の仕事、余暇の遊びをもってしても、その生きる現実に充実感があるか?と問うと、即答はない。僕が悩んでいるのは、このリア充感の欠如である。

中学校の同級生で東大に進んだ奴がいる。新卒でトヨタに就職して、一生安泰だな…と思いきや、最近仕事をやめて、沖縄で医者になるべく現地の大学に通っているらしい。なんかそういうの聞くと、充実してんなー!と思う。いまの安定した状況を捨てて、自分の夢にむかって行動するって、最高の大人のリア充じゃん。この事例から、充実感を生むには「目標と行動」のセットが肝だってことが引き出せる。僕が毎日のリア充感に乏しいのは、熱意をそそぐ目標がなくて、目標にたいする行動もないからだと分かってくる。でもその目標がないんだって。本当に苦しいのは目標の貧困だよ。いま一番の目標は「ルービックキューブを30秒以内で解く」こと。医者になるのとパズルおもちゃで遊ぶのを比べたらダメだけど、これも立派な目標だよ。

東大みたいに難しい入学試験もそうだけど、目標到達には自分をテストする機会を設けることがいかに大事か分かってきた。僕は自分の実力が分かっちゃう模擬試験や自己テスト、入学試験に入社試験、大学で課されたTOEICもそうだけど、避けられるものはことごとく避けてきた。点数でズバリ合否を示されるのが嫌なんだ。だからブログのアクセス数も絶対に見ないようにしてる。それが毎日ルービックキューブのタイムを計測して、量的に比較可能な指標で自分の実力を測ることの意義――どうしてタイムが縮まらないか原因を究明するところ、要は改善点を見つけて向上につなげる、みたいな自己テストによる成長のメカニズムをようやく理解しつつあるよ。やっぱテストって大事だったんだな。充実感を得るためには目標と行動と自己テスト。これです。あとは目標を見つけるという目標を見つけるという目標を見つけるだけ!