おならっぷばーん

You can't fart without changing the balance in the universe.

友人代表に選ばれない友人のスピーチ

 

先日、友人の結婚式に参加しました。そこで思ったことを書きます…

 

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ただいまご紹介に預かりました、新郎の友人代表には選ばれない友人代表であります。これまで小中学校の級友、高校の友人の結婚式にお呼ばれしましたが、スピーカーに選ばれたことはおろか、余興の補助役としても誘われたことがありません。目立つのが嫌な私のキャラを知って、というよりは、ちゃんと話せる奴はだれか?と想像したとき、リストの集合写真から漏れている。ここ一番で大役を果たせる胆力と、人受けする魅力、場馴れした経験、時と場所にふさわしい発言をする常識、バランスのとれた人間力ある人物として、まず候補にすら挙がらない事実を受け入れましょう。友人スピーチを聞くたびに「俺だったらこんなこと言うのになあ」と想像して、夢想のまま終わった幻のスピーチは数知れません。本日は発言の機会を与えていただき、感謝いたします。ご列席の皆様方におかれましては、私のスピーチを耳にできる幸運を、大きな拍手でお祝いいたしましょう。

 

さて他人の結婚式がおもしろかったことは過去に一度もありません。おもしろいのは離婚してからです。あんなに盛大に祝われたのに、という回想と現状の鮮やかな対比が爆笑を誘うのであります。大体、結婚式というものは徹頭徹尾女性のためにあるものでして、どの新郎も舞台上では腐ったトマトのようなくずれた苦笑いをするものです。男にとって結婚式とは、掘りごたつの掃除より気乗りしない仕事です。「どんな労苦も今日1日のことだと思え」という名言に勇気を得て白タキに身を包むのであります。本日の式典を円滑に進めてくだすっている学生アルバイトの皆様をみれば、ここはアップルストアかと思うほど、こまめにインカムで話し合っているのがお分かりになると思います。現代における婚礼の儀式とは、これほどまでに効率化されているのかと、運用の技術的洗練に感心することはもちろん、最適化されたシステム内を流動する個人として、どこか自分の感覚にゴム一枚を隔てたような違和感がずっとつきまとうのです。進行がスムーズであればあるほど、ここは祝いたい人間が祝うために集まった純粋な儀式場でなく、主役と無関係な賃金労働者にとっての職場であり、企業にとっての工場であるという側面が、際立つからでありましょう。他人の婚礼を祝うという、自分のことのように祝えないものを祝うときの面従腹背、他人の嫁が自分の嫁より肉感的であればなおさら業腹で、古来は聖書より他人の妻を誘惑するなかれと強く戒められてきた理由がよくわかる場面です。ドレスから露出した新婦のデコルテラインはいま剥いたバナナの白さ。そそぐ好色な目線のプリズム分解を通して、俺はしくじった、と悔やむ既婚男の独言が、買った掃除機の色があとから部屋に合わないのに気づいた男の言い訳が可視化されるようであります。

現代における結婚式の形骸化は、ふくさの存在に象徴的に示されています。きょうもここへ来る途中の車内で、同乗する友人、ちょうどあすこに座っている男ですが、彼と祝儀の話をしました。仲のいい友人の結婚式なら気分は5万だけど実際3万以上包めないなあ、と30代にして社会人2年目の私と無職の彼は合意しました。「俺の結婚式じゃ祝儀は受付のQRコードでPayPay払いできるようにするぜ」と和製ジョブスの意気で日本の未来を語り合いました。ご祝儀袋はふくさに包むのが常識です。私の両親や妻も、そうするのが当たり前だ、恥をさらすなと詰め寄りますが、私は譲らず、100均で買ったままのビニール袋で持参いたしました。どうせふくさに包んだって、そんなものが活躍するシーンは、カバンからご祝儀袋を取り出して、受付係の若い男たちに手渡す10秒足らずの時間です。しかも、その場を見ているのは参列者数人くらいのもの。あとは文字通り、お荷物になってしまいます。1日ふくさを持ち歩いて常識的だと思われるくらいなら、ふくさなくして非常識なやつだと思われたほうが一段と楽であります。

 

さきほど新郎の挨拶にも「コロナ禍という大変な状況のなかお集まりいただき…」とありました。大阪では連日感染者が最高値を更新するさなかの結婚式です。事前の案内にも感染症予防対策、たとえばマスク着用、スタッフの検温、消毒液の設置など記載がありましたが、

 

前方のスクリーンをご覧ください。

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この披露宴会場にいる皆様は、さきほどチャペルでの挙式に参加されたでありましょう。ソーシャルディスタンスなんのその、隣人と肩も触れ合わんばかり、というよりお互いに体を斜めにずらして肩を入れあう昭和パチンコ屋スタイルの、海抜マイナスメートルの世界で、ワイワイガヤガヤ、4,50人が一斉に話すもんですから、ただでさえマスクで聞こえづらい会話がさらに大きく、相手の声が聞こえないから、さらに大きく話す、という悪循環の大騒音のチャペルで、壮絶なクラスターを体験したことは記憶に新しいことと思います。

宴会場の真ん中のテーブルにご注目ください。70歳を超すであろう老婦人が、ノーマスクで食事を楽しんでおられます。50人の人間が一空間に集い、ノーパーテーション、ゼロディスタンスで飲み食いしながら大騒ぎ。もうどうにでもなれ、とヤケになっている。リスクに飛び込むことが最大のリスク回避術だ、というまじないで、グループセックスを楽しむ若者のようなテンションです。コロナでうかつに飲みにも出かけられない連中が、ここぞとばかりに、公的な酒席にかこつけて酒をあおり、鳥貴族の5番テーブルがそこここで再現されている。私はもともと酒を飲まないので今日も車で来ており、ここまでジンジャエールと烏龍茶を貫いておりますが、シラフの人間からみると、あなたがたの振る舞いは動物的な狂気をはらんでおり、こんなに退きたくてウズウズする会場は、就職説明会以来でございます。本当は誰もが働きたくないのに働こうとして説明会に詰めかけるというこれ以上悲しいコントが他にあるでしょうか。だいたいこのコース料理にしてからが苦手でありまして、次から次へと素材も料理名もわからない小皿、あるいは大皿の小盛りプレートを食べさせられて、もう腹がくちくなったところで、さあさと揉み手の料理長がメインディッシュの生焼けの牛肉と、茶碗盛りのご飯を出すという冷酷な追い打ち、この辛さは、アメフト部時代の合宿における食練を思い出します。先輩やコーチにバレないように片側だけにご飯を寄せて、監視の目をやり過ごした記憶が蘇ります。おふくろの味といえばレトルトカレーという私の舌に美味に感じられたのは食後のコーヒーだけでありました。

最も醜いのは、私たち地元メンバーのどんちゃん騒ぎです。会場の待合室から異変はありました。5人掛けソファが5台、決して広くない部屋で、先着の私たち2人は堂々と奥の一番大きなソファを専有しました。これから続々と仲間が集まってくると思ったからです。しかしやってくるのは、見知らぬ男性ばかり。しかも彼らは全員が知り合いで、みるみる大所帯を形成し、私たちは奥の大きなソファから手前の小さなソファへどんどん追いやられていきました。遅れて地元の友達が7人全員揃った頃には、私たちの座るスペースはどこにもありません。誰かが「俺たち劣勢やな…」とつぶやいた。居場所のない私たちは野外で立ちながらアイコスを吸い散らかす、ガラの悪いグループになってしまいました。

 

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宴会の座席表をみれば、新郎が勤める会社の上司に部下ばかり。さっきの大所帯もすべて会社関係の人間で、私たち地元メンバーは、新郎が友達より同僚を優先したという、社会人として当たり前の事実に、存在をないがしろにされた怒りをあらわにします。瓶ビールにハイボール、隣テーブルのメンバーに「うえーい、飲んでるかー?」と絡みに行って一気飲みをせまる、学生のような飲み方、騒ぎ方、楽しみ方。新郎はいじられキャラであり、たびたびLINEでも、言葉によるイジリが起き、それはほとんどイジメに近いものでありますが、とにかく私たちより一段弱い存在であったはずの新郎が、私たちより一段優位の社会集団に準拠して生きている実形勢を示され、生まれた地域に密着し、育った学校のつながりに執着するダサい地元組としてイジり返された私たちは、やけ酒をあおったのであります。「お前ら騒ぎすぎ」と笑う新郎と、笑顔のくもった新婦をみると、気の毒でした。おしゃれでかわいくインスタ映えするはずの結婚式を、新郎の悪友のバカ騒ぎによって邪魔されたのですから。地元メンバーは、ビールで満たした腹をさすりながら、外の喫煙所でアイコスをバカバカ吸い、二次会三次会はどうする、今日はお前をつぶす、どっちが酒強いか勝負や、などと中学生のような会話をしています。結婚して子育てする奴、仕事で成功した奴、仕事のない奴、実家暮らしの奴、独立した奴、彼女いない奴、結婚しないと決めた奴、数年ぶりに集まって老けた顔を見合わせると、いろんな人生の枝葉の途中にあって、俺たちはもう2年3組の頃には戻れない、先生と同じ歳になっちまった、と寂しくなります。あの頃の感覚を取り戻そうと必死なあまり、すくえばすくうほど手から漏れる水のように、自由で、毎日が楽しかった頃のノリを再現しようとして失敗する。それが30代になった地元密着型マイルドヤンキーの成れの果てでございます。休日はミニバンでイオンモール万々歳でございます。

夫婦生活において大事な3つの袋がございます。糞袋、乞食袋、酒嚢飯袋です。どんなにきれいな奥さんも、将来有望の旦那さんもしょせんは糞のつまった袋にすぎない。なにを溜め込んでも乞食袋のガラクタを超えず、ひたすら飯と酒をくらって死んでいくだけの無為な生涯を送るのは万人変わりありません。この基本を念頭において、夫婦生活がなぞる安っぽい家庭ドラマ、安直なライフステージの変化に、四季の移り変わり同様、適時人間らしい感情を催されつつ命を交代していく、そんな教科書どおりの幸福を手に入れてください。有名なお笑い芸人は、祝儀袋に「軍事費」と書いて渡すそうですね。最後に孫氏の『戦争の技術』から「戦争の基本とは、敵をだますことである」を贈ります。敵は、あなたの家の外にいるか、中にいるか分かりません。あなたにとってあなた自身が敵かもわかりません。そんなときはだましだまし乗り越えてください。以上、友人代表に決して選ばれない友人からのスピーチでした。