おならっぷばーん

You can't fart without changing the balance in the universe.

#新しいプロフィール画像

 

・マスクは新しい素顔

 

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ブログのaboutページを更新しました。

「マスクだからバレねえだろw」と思いますが、妻に言わせると、この時代はみんなマスクだから、マスク顔が新しい素顔だと。「隠すなら目元、サングラスがいい」というアドバイスに、なるほどなーと思いました。

まっとうな人間に見えるかもしれないけど、何かとエンジョイできない勢の一員です。人はいい面を見たがり、見せたがる。すべてはうつろなかりそめに過ぎないのさ、フッ。

 


・「仕事やめて好きなことしたらいいんだよ」

クリーニング工場は繁忙期で仕事が増えてつらい。別工場は週休1日、朝7時から深夜0時過ぎのフル稼働で、みんな死んだ魚の眼をしているそうだ。それを聞くと、僕の勤務先は遅くとも20時に終わるので、太極図における陰中の陽、ブラック企業のホワイト事業所といったところだろうか。

現職は「家からの近さ」だけで応募したタウンワークのバイトが元だ。11月に完成予定の新居は、今の仕事場から遠く、通勤が困難になるため、引っ越しに伴い辞めることにした。しかし、妻は反対である。転職支援サービスの企業で働く彼女は、社会人歴が浅い30代の転職がいかに厳しいか知っているので、「通勤が不便でも、今の職場で社員待遇で働かせてもらうほうがいい」と言う。

休みが水日から水金になり、土日祝休みの妻と休日が合わなくなったことを受けて、手のひらを返したように「さっさとそんなとこ辞めて旅行にいこう」と促すようになった。この1年連休がとれず、新婚旅行にも行けていない状況で、彼女なりの不満も溜まっているのである。「仕事やめてあなたの好きなことをすればいいんだよ」の一言にどれだけ救われるか。定年前のお父さんもこんな気持ちだろうか。毎日仕事場で「やめます」と言う場面を想像して、楽しみすぎてウズウズしてしまう。やめたらまず大型バイクの免許とりにいこっと。

 

 

楽天ブックスではじめて本買う

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(駅スタバで勤め人を眺めながら朝活タイム)

「ひっひっひ、こいつら今から出勤かよ」とマスク下でほくそえむが、土日働いているのだから一緒である。

借りたが2週間で読めず、次の予約があるので延長できなかった。自分の問題関心にピッタリだし、難易度も挑戦的で、じっくり取り組むと自分を成長させてくれる本だと確信した。

 

 

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楽天ブックスで初の注文。ポイント還元率6%だった。なんで今までアマゾン使ってたんだろう…)

 

まだ読み始めですが、イイと思ったとこ。

 

私たちは、生産的な奴隷状態か非生産的な自由かという、どちらかといえば悲惨な二者択一に迫られている

マルクスの革命。社会主義の目指すところの悲惨?を語る文脈での表現だ。この二択の感覚は身近だ思う。アレントの「生産」とか「自由/奴隷」の熟語は、通常の意味と異なるから厳密に議論できないけど、あえて労働者社会の一労働者たる自分の日常感覚に照らしていえば、労働=営利活動への参加は、価値創造的だけど企業への隷属を意味して、そういう価値創造の場に関わらないのが子どもの自由であり無職の自由である、と。子どもの場合、親が生命維持装置だけど、大人になったら誰も食わしてくれない。自由の切り売りと生命維持の心地よいバランスを追求するのが夢だけど、最適な両立がまた幸福であるかどうかはわからない。

 

分業では、一つの活動力が非常に多くの細かい部分に分化しているので、それぞれに専門化した作業者は最小の技能しか必要としない、この結果、マルクスが正しく予言したように、熟練労働が完全に廃止される傾向が現れる。したがって、労働市場に持ち込まれて売られるのは、個人の技能ではなく「労働力」となる。

クリーニング工場でも、今日入ったばかりの新人さんがたった10分説明を受けただけで、勤続20年のベテランパートさんと同じように機械を操作し、同じ品質の商品を出すことができる。ここで発揮されているのは、個々人に蓄積された技能ではなく、それぞれが備えた抽象的な労働力(それは単に時間通りに来て指示通りの順序でボタンを押せる能力)である。分業社会のいいところはここだ。辞めてもいくらでも代わりがいると思えば、明日から君という個人が出社する必要はない。

 

死んだ物体とは、結局のところ、小さな、単一の、循環する生命過程の結末にほかならず、それは、一切を含む自然の巨大な円環の中に帰ってゆく。この円環の中では、始めもなければ終りもなく、すべての自然物が、変化もなければ死もない繰り返しの中で回転しているのである。

仏教的な無常観を思わせる独特の自然観だ。アレントのいう「労働」とは、この生命過程の維持であり、自然体が自然から摂取してまた自然に還る活動のことを言う。「手から口へ」の暮らし、ライスワーク、何でもいいけど、働かざる者食うべからずじゃなくて、食うことが働くこと(食ってヤッて生きてヒトという種の遺伝子量を保全継承することが労働)にあたる。この「労働」と、反自然的な「仕事」を区別して話は進むんだけど、続きは本で。

会社勤めに違和感があるあまり「働くってなんだ?」を考究しつつある怠け者には、脱常識的な労働観の樹立を助けてくれる本としておすすめだよ。