おならっぷばーん

You can't fart without changing the balance in the universe.

きょう捨てた本:『ひとり暮らし』,『永井荷風という生き方』

 


谷川俊太郎『ひとり暮らし』新潮文庫

もうひとり暮らしじゃなくなったから。

素晴らしきかなニート時代、家族と暮らしているのに1人で生活しているような気分にひたっていた僕は、ずっと1人で生きていくと思ってたし、この本に「1人でもいいんだよ」という慰めを見出していた。

谷川俊太郎は作家として自立しているが、僕は日々の衣食住を父母に頼る実質3人暮らしであった。30手前で実家を出てすぐ同棲をはじめたので、1人暮らしに相当する期間がない。大学に入ってワンルーム1人暮らし、バイトして、酒飲んで、サークルの女を連れ込むザ・学生ライフにあこがれた。1人暮らしの学生には自然、生活力も備わるだろうが、マザコンひとりっ子万年実家暮らしの僕には、ネギを刻んだり柔軟剤を選んだり家の契約更新をする力がない。今の細君が、ひきこもり更生の手荒な引き出し屋そこのけに部屋から引きずり出してくれたおかげで、はじめて定職につき、たまに親のクレカで箱アイスを買いつつも、ほとんど自立できるまでになった。この成長あるいは俗化は、『ひとり暮らし』を読んだ頃には想像もつかない大人のフィクショナルな世界だ。

谷川俊太郎は孤高の詩人じゃなくて、複数回結婚離婚して子もいる。妻子とは別居中だ。年老いた偏屈詩人のひとり暮らしは実に静かで、わびしく、やさしく、いやらしい。都築響一に『独居老人スタイル』という全国のクレイジージジババを取材した傑作があるが、非常識になれない僕は、どこかそういう変人たちにあこがれるのである。

91歳のおばあちゃんは、母と孫に接しても、ふとした間隙をついて「さびしいわ」の口癖がでる。それを聞くたび心苦しくなる。たとえ周りに人がいても、老境深まるにつれて、人は孤独感を強めていくのだ。自分が年老いたとき、その孤独に耐えられるだろうか。そのときは本当に『ひとり暮らし』を読む必要があるかもな。

 


松本哉永井荷風という生き方』集英社新書

永井荷風という生き方は永井荷風にしかできない。

ふらんす物語』『断腸亭日乗』を読んで、荷風ブームが来てる。荷風の好きなところは、文章がうますぎるところ。エロくて自由人なところ。若い頃に欧米諸国の漫遊をばりばりキメこんじゃってるから、明治昭和の文明風俗にたいする批評眼が、同時代人と遊離しちゃってるところ。そしてまた、文章がうますぎるところ。

昔の文人は、文芸で飯を食うって発想になるくらいだから、生活に困窮しているわけじゃなくて、親の遺産や何やらでほとんど食うに困らない境遇にいる。金銭的・時間的リソースがたっぷりあるから文化・芸術にうつつを抜かしていられるわけだ。これをもって現代日本を眺めみるに、ひきこもりってこの下位互換バージョンなのでは? 親の収入・年金は派手に遊ぶにはちと足りないが、勤労を免れるぶん時間はあるので、趣味に没頭できる。この閉鎖的な遊民からもっと令和の荷風みたいなのが出てこないかね。いや、僕の情報感度が鈍いだけで、細分化したジャンルのそこここでミニ荷風が生まれつつあるんだろうけど。そう思うと、昔の文人の生き方って現代的な生き方でもあったよね。

ぬるい家で育った人は、「別に食うに困らないけど、やりたいこともない」って感覚を共有していると思うんだよね。僕も卒業後に就職せずフラフラして、20代のほとんどを読書と昼寝とYouTubeに捧げて、やりたいことも見つからぬまま活字とよだれとブルーライトを吸収して、今もその延長をやっている。そのなかで見つけた好きなことを、ミニマムに追求して、永井荷風にならなくとも、そよ風荷風、すきま風荷風、ピューと吹く荷風になれたらいいよね。