おならっぷばーん

You can't fart without changing the balance in the universe.

大人になって再読したらなんか良かった『思考の整理学』

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本を読むのは勉強じゃない。実際の労働から自分の知恵を築くのが、真の思考であり、勉強である。本書の趣旨によれば、駐車場でサボってないで次の現場に行くのが思考の整理学だ。


レポートづくりに役立つ本だった。テーマの見つけ方、考えの練り方、ものを書く態度のあり方を教えてくれる。大学の書店では自校の先生の教科書より大々的に売られる。東大京大生が滑り止めにも使わない地方私大に通ったが、「東大京大で一番読まれています」の帯とともに生協にうず高く積まれていた。

当時のアンダーラインを追うと、とりあえず書いてみよう、準備不足と思っても書いていくうちに考えがまとまる、という箇所に関心が向いている。ウィキペディアとネット記事のコピペで、内容の整合性をとりつつ3,000字以上の制限をクリアするにはどうしたらいいか、書き始めの勇気を得るべく読んでいた。学校を出ると、文章を書く機会がなくなり、参考にならなくなった。知的な構成物を成果として求める専門職ならいざ知らず、いま働くクリーニング工場で求められるのは、年齢性別問わず9-17時まで立って動ける身体だけである。拾い読みした『プレジデント』には、「洗たく工」が低時給の仕事ワースト5にランクインしていた。ビル清掃員に転職したい。

 

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社会人になると、もう新しいことを学ばなくても、なんとなく日々の課業をこなしていれば問題なく毎日が送れるようになる。「日々勉強」とはいかにも経営者が好みそうなことばだ。会社の食堂には、血の通っていない社訓、福沢諭吉の名言が貼ってある。「世の中で一番楽しく立派なことは、一生を貫く仕事を持つことである」のすぐ横に、「世の中は まどろまでみる夢なれば みてやおどろく人のはかなき」という現実を虚仮にしたような一休さんの道歌をしれっと貼っておくイタズラを本気で考えた。われわれが見るこれ=現実は、うつらうつら寝ボケざまにみる夢と相違ないのだから、見る見ない内容にいちいち騒いでも始まらないのである。

 

本を捨てるようになった。同じ知的生産術の本でも『IDEA HACKS!』は内容が古くなったので捨てた。ケータイのメモツールを活用しよう、マインドマップを作ろう、など具体的なテクニックを集めた本だ。時が経つと、実際的なところからダメになっていく。『思考の整理学』も、カード・ノートを使った情報整理術は、今じゃPC・スマホ作業になってしまった。本書の魅力は、非実用的なところにある。ビール作りを語ったり、同僚との飲み会の模様を伝えたり、ことわざについて教えたり、どうしてこんなもの読まされているんだ?と思う箇所にあとあと尾を引く味わいが出てくる。繰り返し「見つめるナベは煮えない」の文句が出る。知的生産をあまりに正面から扱うと、煮え切らず類書のように墓場に埋まってしまう。この本は、中心テーマをまじまじ見つめないから成功した。簡単に読めるが、行間に谷がある。読むほどに発見の余地がある。色が変わってみえる悪趣味なヤン車の塗装のようなもので、本と触れ合うときどきの進入角によって、訴えるところが異なる。だから、ずっと手元に置いてもいいと思う。

何度読んでも冒頭の「グライダー/飛行機人間」の比喩はグッとくる。

まがりなりにも教科書の文字列を紙上で再現する技術を磨いた学生なら、ここで指摘される「グライダー人間」=与えられた課題を忠実にこなす番犬ではいけないとの指摘に、ハッとする。学校の犬をやめよう。対置された飛行機の比喩が生きる。うねりを上げて重力に打ち勝ち空港を出る雄大な機体と、独立独歩の雄渾な人間とのイメージが重なる。そうありたいと望む。

 

理想の暮らしがある。午前中、アラームに起こされず、好きなだけ眠る。甘美のなか二度寝、三度寝する。朝早く行動してもいい。時間の使い方はその日の自由だ。気が向いたら平日の午前中から行ってみたいところ、本屋・映画館・美術館・その他もろもろへ予算/明日の予定を気にせずにフットワーク軽く行くことができる。飛行機・新幹線・フェリー・自家用車・ロードバイク二輪車、好きな手段で、好きなところへ行ける。好きなものを好きな量たべる。いいコーヒーを飲み、いい本を読む。いい映画をみる。おいしいアイスをたべる。眠くなったら眠る。

外山氏は「朝飯前」を語る。頭を働かせるのは朝飯前がいい、という主張である。ビジネスパーソンは、仕事にいく前の早朝しか自分の時間がとれないので、自然と朝飯前の行動になってしまう。起きる→考える→食べる→寝る→起きる→考える→…、睡眠を挟んで人為的に「朝飯前」の状態を何度もつくる生活は、自由人だけに許されたあこがれの暮らしであり、ニートのルーティンであり、1日の理想である。

そのなかでなにをするかだ。世の中で傑出した人間になる、飛行機になるにはどうしたらいいんだろう。日々考えるが答えはでない。

「社会人も、ものを考えようとすると、たちまち、行動の世界から逃避して本の中へもぐり込む。読書をしないと、ものを考えるのが困難なのは事実だが、忙しい仕事をしている人間が、読書三昧になれる学生などのまねをしてみても本当の思索は生まれにくい。…仕事をしながら、普通の行動をしながら考えたことを、整理して、新しい世界をつくる。これが飛行機型人間である。」

数年前まで実家自室でほとんどひきこもり生活をしていた頃は、無断で掃除機をかける母に「おいババア!勝手に入ってくんじゃねえよ」を地で行く困った息子ぶりを発揮していた。「ちょっとは本捨てたらいいのに」という軽口をまるで深刻な人格否定と受け取り、1冊も捨ててたまるか、と片意地を張っていた。大学受験に失敗した挫折感、学歴ロンダリング的な進学をしても周囲の人間との地頭・教養的な素地の差についていけないショックで、自分の殻に閉じこもる。集めた本の数が、本棚に並ぶ背表紙の面積が、自分の知的優位性を保ってくれると信じていたのかもしれない。本を捨てることは知識の剥落と思った。同棲・結婚を経て、他者性を無理にでも受け入れざるをえない環境下にある。「ちょっとは本捨ててよ」という妻の小言に、確かにな、と考える思考の余裕ができた。一つの信念に凝り固まっているのは不健康だ。思考の整理とは、頭の工場を清浄に保つことである。今はしがない工員だが、頭には立派な工場を建てて食堂にはこれを貼りたい。「わたくしは何ぴとの雇い人でもない。みずから得たものによって全世界を歩む。他人に雇われる必要はない。神よ、もしも雨を降らそうと望むなら、雨を降らせよ」。