おならっぷばーん

You can't fart without changing the balance in the universe.

【家】御見積

年末最後のハウスメーカーとのお話は、ゼロホームであった。住友不動産に3階建・施工床面積32坪の家で、「金 29,000,000円也」を御見積申し上げられたときには、正直ゲロが出そうであった。ここに「別途」の水道・ガス・解体・外構工事の費用、もろもろの後乗せサクサクを含めると「4000万近くなるよ」と、ハウスメーカー勤務の友人は言う。

4000万円など生涯かけても稼げそうにない。ちなみに令和2年の年収は、給与所得の源泉徴収票を正確に引用して、2,440,331円である。これでも前年のフリーター時代の倍で、気分は大金持ち、世間の覇者といった感であるが、上場企業の契約社員である妻にボロ負けしている。昭和のジェンダー観「男が稼いで女が家事をする」にとらわれない生き方をするのが、大学教育の知的洗練を受けた現代人たる僕の使命である。稼いでいる奴が偉い、みたいな風潮をこき下ろし、高級時計をバカの所有物として無力化できる術は、学卒後10年の無職時代でかたちにした理法である。

SUUMOカウンターのU女史から「おふたりで4500万までローンが組める」との宣託を受け、これが自分たちの覚醒した戦闘力だと思いこみ、モデルハウスを巡った。「コロナ禍で住宅ローンが払えない」というニュースを見、夫の減収、妻の派遣切り、家の売却、借金を抱えたまま安アパートへ転居…という人生ゲームの展開を知り、恐ろしくなってきた。借入可能額=予算と思い込むのが、初心者のやりがちなミスである。そもそも話は本当に家を建てるべきか?という古典的な「賃貸vs戸建て」の図式に立ち戻ってしまう。

持つべきものは親と金である。できれば両方揃うのが望ましい。僕が『フリーター、家を買う』を地で行くのは、親の支援があってこそである。支援と言えば恰好がつくが、結局はパパとママにおうちを買ってもらうのである。家を建ててもらう→家賃ゼロ返済ゼロ→もう必死に働かなくてもよくね? を実現する夢のスーパーニートである。容姿にしろ家族にしろ地頭にしろ、世の中はまず不公平である。その当然を受け入れた上で、自分に与えられたカードを使って幸せに生きるのが人生である。僕のカードとは、「引っ込み思案」「衣食住もろもろ生活全般に興味がない」「人に甘えて生きることを恥じるところがない」「働いていると『人の役に立っている』実感より『こんなしょうもないことやってられるか』という怒気が優先する」「インスタ映えする外界の偶然性より、家中の確実性と机上の過去に生きたい」等々。なにをするのでも非精力的であることに引け目を感じないでいられる、開き直りの技術と精神こそ我が宝玉である。今でも浪人時代の友人は「お前が働いているなんて悲しい。ついに負けてしまったか」と冗談半分真剣半分に嘆く。職務質問にやってきた警官はまず初めに「働いてますか?」と訊く。テレビに出てきた30代の男は両親経営のコンビニを手伝うフリーターであった。メンズメイクに挑戦して彼女をゲットしたいと語る口元には、家族扶養の責任と、会社組織の圧力を逃れた、ゆるさが現れていた。なるほど社会の厳しさが人相を彫刻する。内外面をあわせた僕の真面目は無職然であった。僕の天性は無業にあった。働かないを極めたい。

ゼロホームの見積もりは、1900万であった。そこに外構・水道・地盤関係の諸経費が加わり、多くて2500万円を見込む。これを聞いた母は「余裕やな。でもほんまに金ない言うてもっと安くしてもらいや」と大阪人の根性丸出しである。金持ちのくせにケチだという批判は当たらず、ケチだから金が貯まるのだ、という真理を体現している。その血を受け継ぐ僕は、妻がコンビニで菓子パンやジュースを抱えているのを見ると、レジに行く前に店外へ逃げてしまう。「会計となるといなくなる癖があるね」と嫌味を言われ、家では「ケチくさい口くさい」と韻を踏まれてディスられている。家の仕様は外観から間取り、キッチン・洗面・浴室に至る家事動線、ようは家の肝となる部分はすべて妻が決めている。僕は申し訳程度に用意された1畳半の名ばかり書斎スペースに全宇宙をつぎ込めと言われている。

家を建てる過程を日々追いかけるブログには、同じハウスメーカーを検討する人から、一定量のアクセスがある。妻も母も「ブログ書け」とうるさい。僕は建築方法にも建材にも断熱材にも施工法にも興味がない。とにかくラクに起居できたらそれでいいのである。就職、妻帯、家づくり。この1年でひきこもりのフリーターは、見るも無残にふつうの人になってしまった。なんとなく自分は、小説の主人公みたいに、破綻した性格で破滅した生き方をするものと思っていたのに。ああ来年こそ堕落の年になりますように。