おならっぷばーん

You can't fart without changing the balance in the universe.

詫び状

f:id:gmor:20201129175125j:image

フォトウエディングの写真データがきた。まさか自分がこんなのを送る側に回るとは。

両親に届く年賀はがきの「私たち結婚しました」「新しい家族が増えました」と称する家族写真を見るたびに「けっ、不細工なツラを家族総揃えで、よく満面の笑みで立っていられる。子どもの学校名を自慢げに書き入れたところなど、寒気がして見ちゃいられねえ。住宅ローンの残高を写すほうが、よっぽど人々を幸せな気にさせるってもんだ」と毒づく。すべて年賀状とは、この1年もまた俗世間の汚辱にまみれ、煩悩の業火に焼かれてしまったことの詫び状でないか。

 

・転職

転職エージェントから電話でヒアリングを受ける。ただの転職に、なぜ専門サービスがいる? 駅下のタウンワークを開ける感覚でいけばいいのに、と思うが、これは人生をかけた職探しなので、揃える書類も適当書きの履歴書にプリクラを貼ったものではいけないらしい。「高校時代はアメフトで〜、バイトではスーパーでジジババと一緒に早朝の品出しをして〜」というお世辞にも華麗とはいえない黒歴史を、「幅広い年代の人々と、チームワークを大切にした行動ができ…」という漂白した自己PRに書き換えて用意してくれたとき、ああ、エージェントありがたやと合掌した。

前近代なら、仕事といえば家業を継ぐか、知り合いの紹介でどっかの家内制手工業にぶち込まれるのが関の山だったのが、職業の自由化と分業化と専門化で、サラリーマンをしている人の仕事を探すことが仕事として成立し、一大サービスとして組織的に、工業的に行われるようになったことに、ひそやかに感動した。

職場に40代の男性アルバイトがいる。今年入ってきた最新人である。造園関係の仕事をしていたが、会社の事業が立ち行かなくなり、ここに来たと言う。面接の際には、造作した庭の写真をまとめたポートフォリオを持参した。広告代理店を受ける美大生か!と思うが、バイトの口を得るにも一芸アピールがいるほど、状況は逼迫している。

手に職のある人が、スキルを活かした仕事に就けないことに憤りを覚える。この人はクリーニング会社で車を運転するより、庭を手入れしたほうが、本人にとり地域社会にとっても、生産的だし、高い価値を実現できる。しかし現実そうならないのは、就職の入り口、仕事探しの入り口が、タウンワークにあるからだ。僕も、もう1人の先輩も、タウンワークに類するバイトサイトで現職にたどり着いた。先輩はゆくゆく生協の配達の正社員に応募したい、と語っていたが、それもタウンワークで勤務地を近隣に設定したときに出る求人広告の筆頭である。新卒から総合職、という日本社会で唯一「正規」らしい入り口をしくじった人間は、特別なコネも、生活に足るカネも金満家のオヤもなけりゃ、タウンワーク級の入り口を何度も流転するしか、労働義務の果たしようがない。20万円の人件費予算を3人で分け合うリアルな貧困がある。定給の社員は仕事を早く終わらせたがり、時給のバイトは仕事をゆっくり進めたがる。給与体系の違いによる逆行したインセンティブが現場に摩擦をきたす。

「どんな仕事がいいですか」
「日勤で、週休2日、給料は〜」
と無難に答えるが、本当は働きたくない、という思いがふつふつと湧いてくる。紹介される求人は施工管理ばかりだ。幅広い業種の業界人と交渉して、納期通りに工事を完成させる仕事である。LINEの友達20人、その誰とも年1回も連絡をとらない。極度の電話嫌いで(出産から死亡まですべての連絡は何らかの電子メッセージでよいと思うくらいだ)、手帳を買っても、まともに使えたことがない、いや管理するほど予定がない、そもそも予定に自由時間が圧迫されることが嫌な人間に、どうして務まる仕事だろう。断りきれず「いいかもしれないです」と答えたばかりに、施工管理ばかり紹介されるようになった。30歳にして社会人経験1年、スキルなし資格なしという、いわば事故物件の、労働市場における価値は、本来まともな転職サービスを利用してくれるな、と言われても仕方のない程度のものなのだと知る。

どうせなら非社会人的に生きてみようと思うが、社会の引力というのは、はるか頭上の衛星から、森に隠遁するポツンと一軒家を見つけ出してまで、大衆の構造に組み込んでしまうほど力が強い。制度は、想定する鋳型になじむ人を量産する。僕は量産型にはならない。身はなじんでも心は渡さない。仕事中も、身体の隷属は許すが、思考の自由だけは侵されまじと、必死に考えている。なにをか? それが僕にも分からない。