おならっぷばーん

You can't fart without changing the balance in the universe.

歯医者の予約がとれたときほど人間としての成長を自覚する瞬間はない


人は、就職・結婚・子育て等のライフイベントの課題をこなしたときでもなければ、日常生活のささいな心構えの養生「情けは人の為ならず」式の本当は思ってもみない表面的な儀礼としての親切心とその行動、手伝い・譲り合い・助け合いを実践できたときに、成長するものでは断じてない。人間の成長とは、究極的にいって、歯医者の予約ができたときに完成する。だから歯医者にかからない口内環境よしとする人間は、いつまでも未発達である。「おれ虫歯なったことないねん」と自慢するやつに限って、人格が浅薄なのは、そのためである。

奥歯が欠けて治療の必要を認めてから電話するのに1週間かかった。仕事終わりでもう診療時間を過ぎている、今日は定休日だ、昼休みに電話をかけている余裕はない、なんか気乗りしない、相手と話すのに緊張する、新しい虫歯が見つかるのがコワい等々の理由をつけて先延ばしにした。細君が口やかましく電話したのか訊くので、さすがに嫌になって電話した。定期検診のハガキを無視し続けること1年半ぶりの治療である。
「なにか硬いものでも食べましたか?」
本当は朝食のグラノーラ(朝食も昼食もグラノーラだ。ミルクボーイの漫才ではないが、あの五角形を信じている)を食べているときに、ガリガリ砂を噛むような感触があって、歯が割れているのに気付いたのだが、ここで具体的な「グラノーラ」という名を出すよりは、総称的な「コーンフレーク」と言うほうが分かりいいのではないか、鬼あられを食べたと言うより、せんべいを食べたと言うほうが一般的じゃないか、と訳のわからない葛藤がはじまって、先生にコーンフレークを食べたと嘘をついてしまった。痛くても痛いと言えない。ドリルがしみても手を上げたことはない。大体、痛かったら言ってくださいね、というのは、器具を突っ込まれた口には無理難題である。先生には、一番嘘を言う器官を治療しているという意識を持ってもらいたい。

職場で十数年ぶりに健康診断を受けた。学生時代にも健康診断はあったが、レントゲン車からずるずるとボールチェーンのように校内を這い回った行列にうんざりして「そもそも並ぶのが不健康である」とまっとうな意見から、受診を拒み続けた。健康への過信こそ若者の特権である。

一番怖いのは視力検査だ。免許更新でも「この次は裸眼で通るまい」と毎回思うほど、ものが見えなくなっている。本の読みすぎ、と言えたらカッコいいが、本当はスマホのいじりすぎ、小さい画面でYouTube見すぎ、の即席老眼である。顕微鏡みたいな器具を覗くと、案の定すべての「C」が、輪っかの閉じた「O」に見える。それでもなんとなく「O」の一部にモヤがかかって見える場所があるので、それを答えると両目とも1.0の検査結果を得た。いい加減である。お互いになにも見えちゃいない。人間の意思疎通が本源的に不能であること(に目をつぶってお互いに通じ合っていると錯覚した上ではなしを進めていくこと)を例証するような手続きだ。本日も社会は健康である。