おならっぷばーん

You can't fart without changing the balance in the universe.

どうしてブログが書けないんだろう?


週1更新で何がブロガーだ。

半年ぶりにカムバックした人の「お久しぶりです。私生活でいろんなことがあって、更新できませんでした。たまにアクセスがあって…」という記事を読むのが好きである。そのあと更新が途絶えるところを含めてだ。

入った部活はすべて辞めてきた。仕事は短期バイトを転々、中年社員に「もう飽きた」とうっかり本音を口にして絶句されるほどマジで飽き性の僕が、それでもブログを続けられるのは、いつまでたってもちゃんと書けないからだ。今度こそ正解が出せると思って、盛大に誤答する。案外スラスラ書ける人のほうが、格闘の面白みがなくてやめてしまい、うまく書けない人のほうが、しぶとく続けられるんとちゃうか。電動アシスト自転車と同じだ。安いママチャリを自力で漕ぐ人のほうが、結局は老後まで(筋力的な意味で)自転車に乗り続けられる。

連日の更新で、ブログ界のカーダシアン姉妹、SNS時代の松田聖子となって、柔軟剤のCMに出る予定が、あいかわらず柔軟剤を買う側に落ち着いている。どうして女子は柔軟剤を好むのか。未使用のストックはつねに3本を越す。ドラッグストアで「これ嗅いで」「これ嗅いでみて」と次々ににおいを嗅がされて嫌になる。「ぜんぶ一緒じゃない?」をグッとこらえて、アプリコット&ホワイトフローラルの香りにうなずいてみせる。服からいい匂いがしてどうなんだ? 近年のにおいにたいする意識過剰、自己臭の社会不安を、風呂は3日にいっぺんの流儀から疑ぐる僕は、8時間の立ち仕事から帰って、むれにむれた靴下に鼻を近づけたとき、悪臭どころかホワイトフローラルの華やぐ香りに、柔軟剤ってステキ、と新製品の発売が待ち遠しくなるのであった。

 

***

 

書けない原因は思い込みだ。

思い込み1
まとまった時間がないと書けない

時間をかけたほうが、いいものが書けると思い込んでいる。誰にも邪魔されない静かな空間で、たっぷりと時間がとれる最高の環境を用意して、やっと書き始めることができる。最良の体調、最適の日取り、最高の場所が揃ってはじめて完全なパフォーマンスを発揮できる。10桁のルーレットがゾロ目をつくる日を待っていると、余命のほうが先に来てしまう。

ひとりの自由になる時空間など、ほとんどない。水・日休みで、日曜日は彼女といっしょに過ごす。水曜日にひとりの用事を片付ける。そこでブログも書くわけである。

1月から社労士の資格勉強を始めてようやく勉強のスタイル(1日にこれだけはやっておきたい学習ノルマをこなすこと)が身についた。「勉強ができる」とは「勉強の習慣ができる」ことだと30歳で初めて知る。学生時代の成績不良は、地頭の悪さ(それもあるだろうが、用意された脳の器質がほとんど万人共通であることを考えると、それ)より習慣づくりの失敗に原因があったのだ。

えらい哲学者は「人間は習慣の産物である」と言う。えらい経営者(しかし金持ちをみれば徳持ちとして尊敬する風潮はなんだ。ブラック企業の本を読むと、労働者としての対抗策を思うより、起業するならブラック企業をやれば儲かるんだという当然の仕組みに気づいて慄然とする)も「継続は力なり」と飲んだくれのおっさんのような説教を垂れる。1日10分でもいいから書き進めよう。こんな宣言をするブログに限って、パタっと更新がなくなってしまう。

 

 

ユーキャンのテキストで、「最近やる気が起きないんですけど」という生徒の質問に、

f:id:gmor:20200318173345j:image

と切り捨てるネコ博士がいて、真理突きすぎてつらい。

 

 

思い込み2
人に見られていると書けない

両親はもちろんリア友、実生活上もっとも親しい他人である彼女にもブログの存在を教えていない。PCを打つと「なに書いてるの?」と覗かれる。人と交流しないので、スマホを入力するだけで「なにしてるの?」といやに興味を掻き立ててしまう。だから彼女といるときは、なにも書けない。カフェでも、誰かに見られやしないかドキドキして、ケツ毛を抜く快感を書くところを「四半期の事業達成目標」のスライド作成で格好をつけてしまう。もちろん僕は金を払って騒がしい場所でコーヒーを飲むくらいなら、さっさと家に帰ってゴロ寝するほうがましだと思う内向組だ。

ブログをやってると言ってしまおうか。もう、こそ泥のように書かずに済むが、今度はきわどい話(彼女が生理になると、1週間はセックスしなくていいんだ、文句言われないんだ、と安心するとかいう話)が書けなくなって困る。ブロガーの妻は、彼が文中でこぼすややこしい話題、えげつない猥談、人格が疑われる記述をどう読むのだろうか。土曜日の午後、せっかく買ったキャンピングカーで、渋滞にハマっている人をせせら笑い、税金の還付金で高級時計を買ってしまうサラリーマンを羨望まじりに愚か者と責めたてる、下劣な本性をどう見るだろうか。「くだらないことに時間割いてないで、先にやることやったら」と一蹴される絵が浮かぶ。「おれ将来ブログで食っていこうと思うんだ、ブログ飯ってやつさ」「誰のおかげでご飯が食べれてると思う? ゆっちゃん」「もちろんあやちゃんのおかげよ。でもブロガーになって今よりガンガン稼ぐのって夢があるよね?」「毎月の電気代ガス代も払ってない奴がなに言ってるのかな。まずはちゃんと働いて私に借金返そうね」「はい」

 


思い込み3
できるだけいいものを書きたい

芸術家みたいに文面をとおして理想を表現しようと思うからしんどいのであって、世界史用語集の冷徹さで、説明に集中すればよろしい。僕は表現ではなく説明をするんだ、と思えば、あこがれの人物像を、自殺する文芸家から、白髪染めしない池上彰へすり替えることができる。説明は知識ではない。なのに、どうして説明のうまい人が権力を持ってしまうのか。これはおもしろいテーマである。

僕は30歳で社会人を始めてから、世の中では「物事を説明する能力」が求められると知った。先輩社員は、はじめて機械を扱うパートさんに向けて、いちから分かりやすく仕組みと操作を説明する。それを何度も聞くうちに「そうか、仕事をするとは、状況に無知な人(それは社外で働く人はもちろん、社内でも別部門に属するあらゆる人たち)に状況を説明して、望ましい行動を引きだすことなのだ」と知る。ニュース、時事用語、政治経済をわかりやすく解説する人が尊ばれるのは、社会で説明がうまい人、アカウンタビリティ(説明能力)のある人が尊重されることの正確な反映なのだ。企業は人材登用にあたって「勤労意欲」「社会常識」「コミュニケーション能力」の諸性質を信仰する。まめで話がうまくて常識のある、いわゆる、いかにも社会人的な人間が、ブログをやっても何をやっても成功するんだろう。けっなんだ、働く気のないコミュ障非常識人間が光る場じゃなかったのかよ。とにかく僕はブログを書くにあたっては、川上未映子より池上彰森博嗣より林修を念頭に置くぞ。

社長や校長の話はつまらない(めったに生徒前に顔を出さない校長が卒業式の挨拶で「けさ、ひよどりがにわ、きぎのえだをつたって…」と演説を始めたときは寒気がしたものだ)のに、どうして静聴されるか。それは彼らが偉いからだ。権力とは、つまらない話を聞かせる力のことである。上司の話はいつだって聞かれる。これを逆手に、おもしろい話に耳目を引きつけて力を得るのが芸人、がまの油売り、レジェンド松下である。無力なブロガーも、読ませる力があれば、権力者になれる。そういう意味で文章うまなりたいっすよね。