おならっぷばーん

You can't fart without changing the balance in the universe.

善意はカネで買える


お客さんから預かった商品の検品をしていると、ワイシャツの胸ポケットから綿棒、ジャケットの内ポケットからコンビニレシート、スラックスの二重ポケットから居酒屋の割引券、コートから手袋が出る。とうぜん現金も、まれでない頻度で見つかる。お釣りをポケットに入れて、そのままうっかりクリーニングに出してしまうなぞ、自分でもやりそうなことである。

最高額は、先輩が黒のスラックスから見つけた1万円札3枚で、額が額なだけに、受付店へ電話して「ちゃんと確認してくださいよ。ポケットに入ってるから誰のか分かるけど、集荷の過程でどこかに落ちたら、落ちたものを誰かがアレしたら、あとで文句を言われてもどうしようもなくなるでしょ」と怒っていた。万券2,3枚の出入りは感知できない微電流だ、と言うお金持ちならいざ知らず、ふつう財布から1万円札が消えると気づくものだ。僕は千円札だって毎日財布にその所在を確かめないと落ち着いて外も歩けない。人間が試されるのは、微々たる小銭の場合である。

ジャケットから370円がでた。まず直感的に「昼飯代が浮いた!」と思う。冷静になってから「人のものは返すべきだ」というモラルが立ち上がってくる。よくある天使と悪魔の戦いである。しかし僕はここで「どんな小銭であれ、ちゃんと返す人だと職場でアピールできたら、『あの人は正直者だ』と思ってもらえる。この人的評価には、目の前の370円より高い価値がある」と頭がはたらいてしまう。拾得物の額が低いほど、効果が上がるおいしい設計だ。もちろん、1円を交番に届けたら嫌な顔をされるのと同様、露骨にアピールすると打算を見抜かれたり、面倒なやつだと思われる。こいつ、根っからの人の善さで金を返すんだなあ、と思わせる、絶妙の値ごろ感で「見てくれ見てくれ、そら俺やってるぞ」とやる。

じぶんが打算的な善者であることにつくづく嫌気がさす。駅で転倒したおじいさんがなかなか起き上がれないでいた。通報を受けた駅員が構内を駆けて来る。まわりの学生は知って知らぬふり、主婦は見ぬふり、サラリーマンは遠い目だ。僕は怒っていた。
「なんで誰も助けないんだ!」
これには続きがある。
「なんで誰も助けないんだ! この人は資産家かもしれないだろう。このあたりは高級住宅地なのに!」
駅員が来る前に、おじいさんに肩を貸して起こしてやった。僕が受け取った報酬は、帯封の札束ではなく「スマン、ありがとう」のだみ声だった。 じじいの「スマン、ありがとう」を高価買取してくれるリサイクルショップを探しています。