おならっぷばーん

You can't fart without changing the balance in the universe.

生産性ってホントにあるんだ


熱心なビジネス書リーダーであり、夢見心地の自己啓発書バイヤーであった。「クリエイティブになる」「生産的になる」という言葉が好きだった。

スーパーの品出しバイトで、どこぞの偉いコンサルタントが書いた生産性向上の精神論を応用することなぞを考えて、上層部きどりであった。そもそもバイトにおける成功とは、ひまな仕事を選んで、いかに時給を楽に稼ぐか、に決まる。30歳ではじめて月給取りになった僕は、「毎時間ひまであれ」と願う時給発想を脱し、忙閑どっちらけの月給発想、残業代を小遣いにするために、仕事が終わっても事務所で黙諾の雑談をかわす長時間労働の美意識を手に入れた。

僕にとってブログを書くことは、当時の現状=月収8万・実家住まい・フリーター・貯金なし・展望なしの窮状を脱出する唯一の方法だと思っていた(今でも本当のクリエイティビティを発揮する場所はここしかないと思っている)ので、効率のよい執筆こそが生産性のすべてであった。結果を残すための散歩、食事、瞑想法、やる気を出すための偉人伝、名言集、スピーチ録、「頭がよくなる」「創造力がつく」「天才になる」ための大衆科学のベストセラーが、漠とした生産性にささやかなかたちを与えていた。が、いま働くクリーニング工場では「18」と決まっている。社会に出てはじめて対面した生産性の真の姿である。

洗って仕上げた品物の総点数を、その日使用したパート従業員の総時間数で除したもの、つまり時間あたりの仕上げ点数が18を切らないように時間(人件費)を調整するのが、社員の仕事だ。理屈は分からないが、時給1000円あたり18点の出荷がなければ、利益が残りにくいのだろう。毎日これをエクセルに打ち込んで本部へ送信するのが僕に課された唯一の事務仕事である。生産性と格闘するのは工場長の役目だが、僕もついにそのしっぽを掴んだ。自分のなかで創造にまつわる崇高で、神聖だった生産性、ずっと偶像化を拒んできた信念が、18になった。僕は工場労働者として18を信仰し、18につきまとわれて、生産を忘れていくのだろう。