おならっぷばーん

You can't fart without changing the balance in the universe.

ぜってー社長になっからよ

 

鶏口となれども牛後となるなかれ。大所帯のケツより小グループのトップであれ、というのは、男の幼稚なプライドを満足させる、納得の言いわけ、慰めのひと声、トシ君、佐原さん、丸っちの3人で結成した田舎の暴走族が、自らの活動に疑問を抱かないためのモットーだと思っていた。ところが、曲がりなりにも、常時10人のパート従業員を使用する小工場で、たった2人の社員に続く、ぺーぺーの準社員として第3位に連なり、人に使われる側から人を使う側へと片足を置いてみると、ヒトとカネを使ってどう仕事を回していくか、という視点の浮上が起き、働くのが嫌だったのに、ベーシック・インカムを寄こさない社会を恨んでいたのに、いまは仕事って面白い、と思うようになってしまった。

これが社会人だと喜ぶか、社畜になったと嘆くべきかの判断はつかない。工場の運営は、創業者一家の血が支配し、現場は、30代の孫が指揮する(会社と一族の歴史は、経営権をめぐる家族間の争い、分離独立と裁判、計画倒産と買収に彩られた、それじたい海外ドラマ1シーズン分のエンタテインメントを内包している。社史執筆の際は、ぜひ20年の不信と虚積の、かたむきみちおをご指名ください)。孫は入社時、家業を継ぎたくないという、若者にありがちな反発心がもろに出、従業員間で「クソ息子」と囁かれていた。それでも経営者の家に育ったので、人をどう動かすか、人に動いてもらうために自分はどう振る舞うべきか、というテーマを幼い頃から持ち続ける。リーダーシップとコミュ力の怪物である。こういう人が人の上に立つのだ、社長の息子が社長になるのは、単なる地位の移譲というより思想の教育なのだ、と直観するほど、事業主の思考が鍛えられている。「給料の遅配だけはしないと決めていたから、自分の生活は後回しだった。親にタダ同然で働かされていた」と語るとき、僕はその美談より、給料を払うという感覚に感動した。ずっと末端労働者だった(そしてこれからもそうあり続けるだろう)僕は、給与明細の、時給と時間の掛け算しか気にしてこなかったので、明細そのものがちゃんと届くことに微塵の疑問すら抱かなかった。牛後と鶏口の視点が、こうも違うとは。ああ、もっと早く働いておけばよかった!