おならっぷばーん

You can't fart without changing the balance in the universe.

バイトやめたい(いい意味で

 

僕は寄生虫。同居の彼女は千葉の生家に帰省中。で、独りライフを満喫中。口外できないが、たとえ最も親密な他人である恋人とさえ、僕にとって共同生活は薬より毒である。バイト先の半隠居組、年金プレイヤーは結婚40周年を迎えて言う「嫁が遊びに行った日は、家に誰もいないのが嬉しい」。婚歴40年の疲れに、同棲半年にして共感できる。

僕は30歳から天才になろうと思う。本にレシピを求むれば、IQ140以上であることを示すか、文化・科学的な分野で優れた業績を残すと、天才と呼ばれるそうだ(サイモントン『天才とは何か』)。人生も収穫期に入った僕が、これから人類史に貢献できることがあるとすれば、貧困問題にとりくむ社会学者の研究に、親の年金に生活を頼る40代ひきこもりのA氏として登場し、「若いときはフラフラしててもどうにかなると思ったんです。成功してる同級生と会うのが怖くて同窓会にも出られません」の発言を、学内の紀要論文に刻みつけることくらいである。ならIQはどうか。MENSAのオフィシャルサイトは、いつ見ても、全国のテスト会場が満員で募集打ち切り。幸運なメンサびとのブログを読むと、ブラウザの拡張機能でサイト更新の通知設定をしておいたから楽に予約できた、と話していて、やはり賢い人は違う…僕とは違う…と受験前に結果が見えた。知能のスクリーニングは応募から始まっているのである。合否が示されるのは、面と向かって「あなたは靴裏のガムのように凡庸です」と言われるみたいで嫌なものだ。受けるまで受かるかどうか分からない。ずっと未決の天才でいたいと願う。何を隠そう、凡愚の一生である。

そもそもIQという足の長さより役に立たない指数を知るがために、受験料10,000円、入会金3,000円、年会費3,000円、翌年の年会費3,000円、会員カードの発行手数料に2,000円を支払うこのシステム、凡人はおろか「天才」からも金を吸いとる制度を創った奴が誰よりも天才である。僕も創設者に倣い、全国選りすぐりのダメ人間しか入会できないDAMENSAを立ち上げ、莫大な不労所得を手にし、定年までの賃労働と、シルバー人材センターの派遣業務を免れたい。第1回の入会テストでは、会場に集まった受験者全員が不合格である。指定日時にあわせてスケジュールを調整し、のこのこ電車を乗り継いでやってくるような奴ははなから会員として不適格だ。遅刻より欠席を貴ぶ寝坊常習犯、応募したことをすっかり忘れていたうっかり者だけがダメンサ・メンバーシップの栄誉にあずかれる。そしてこの計画は実行を伴わず、ついに団体が組織されることはない。会長の僕にしてからが、何もやる気がないダメ人間の筆頭だからである。

 

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年内最後の更新だ。総括するにも1年前のことなんか憶えちゃいない。実感できる過去のスケールは、せいぜいおとといの昼食までだ(えび天むすのおにぎりと、ツナマヨのランチパック。食べ合わせは気にしない)。未来も同様、あさってのことしか考えられないので、10年スケールで事業に取り組むエグゼクティブやホワイトカラーのように、ビジョン、計画、目標というりりしいビジネスの宗教的理念とは無縁。流し台のゴミネットを取り替えた日を100円の手帳に記録するのがわが人生設計の全てである。

 

30歳で初めて、昼食をまたぐ8時間勤務を週5でこなすレギュラーバイトに就いた。「長期」「長時間」ということばが判決待ちの被告人のように怖くて、すぐに辞められる物流倉庫の短期バイトか、5-9時に4時間しか働かないスーパーの品出し業務を、主婦と老人に混じって2年半やってきた。今回のクリーニング店のルート配送バイトは、9-17時の、客観的にみればお役所の気楽な短時間業務、主観では経験の倍も長い8時間スペシャルで、社会活動に不慣れなニート体質が拒絶反応を起すのではないかと冷や冷やしたが、持ち前の指示待ち人間っぷり(やれと言われたことをやるだけの、有限責任と限定課題に、安心を覚える。宿題は、自由研究よりページ数の指定された漢字ドリルを好む)と業務のユルさ(座って手足をバタつかせて車を運転するだけ。バスみたいに乗客の命は預からず、宅配便のように時間指定も、出来高制のインセンティブもない。時給制なので、ゆっくり走れば走るだけ、黄信号で停まれば停まるだけ給料が増える設計だ。もと、60代70代の高齢ドライバー向けに調整された時間あたりの仕事量ゆえに、コンビニで寝て帰っても「えらい早かったな」と、お褒めのことばをいただくことがある)のおかげで、なんとか週40時間の法定労働時間を全うし、経済活動に参与できている。工場の休憩室の壁におそらく20年は掲示されているだろう四辺の黒ずんだ紙上の、福沢諭吉翁のいましめ、その教訓「一、世の中で一番立派なことは 生涯を貫く仕事をもつことである」あるいは「一、世の中で一番淋しいことは する仕事のないことである」に、こんな綺麗事で、怠慢になびきがちな人夫を啓蒙しよう、与えられた工場の仕事を一生の天職として全肉全霊を耗費しても取り組むべき神事であると思ってもらおう、と企むのは、いささか19世紀的な、日本の工場労働はなやかなりし頃の遺訓にして悪習であると、おにぎりを頬張った口で半笑いしていたのが、いまや研修を経て、機能する歯車として利潤の機構に組み込まれてみると、お給金をいただけてありがたや、毎日のおまんま充電うれしかり、雇われていることに感謝の念がわいてくる。職場とグループホームにはおなじ思考停止の恍惚がある。

なるほど大人は時間と疲労によって管理されている。短期短時バイトしかしてこなかったので、「忙しい」は実行力欠如のごまかしとして自他の批判を煙に巻く、大人一流の詐術、「疲れた」は体力精神力の不養生、食事睡眠の不徹底による自己管理の失効を、妖怪のせいだとでもいいたげにボヤく、大人のぐずりだと思っていた。書店を賑わす時間術、TVの見せる時短ワザ、つらい疲れにアリナミンVのCMは、すべて商魂たくましい仕掛け人のドッキリだと思っていたのが、実は多忙と重労きわまる現代人の希求する魔術であり霊薬である実態が見えてきた。時間はない。仕事は疲れる。これが社会人のベース思考だ。この価値観グループに参入できるのは、ひと月前まで無職だった身からすれば嬉しい洗脳である。働きながら本業とは別種の趣味で大成した人物、作家や漫画家、ラーメン屋、脱サラ組のクリエイターに起業家が、いかに傑出した人物であるか(だって普通に仕事してたら時間も体力もねえじゃん)を知り、距離の隔絶も知った。「好きなことで生きていく」? なるほど魅惑に聞こえるわけだ。

バイト先のおじんが言う。
「ちょっとのろし上げてくる」
タバコ休憩のしゃれた言い回しである。
配送の道中も「ちょっと停めてくれ」と運行を中断させ、小道で一服すること日に5回。紅葉まばらな六甲山を背にして、身長159センチの小ジジイが、染料抜けしたブルージーンズと、ポケットだらけのベージュの釣りベスト姿で、愛煙のキャメル・ボックスをぷかぷか煙にするさまは、創造力なき男を芸術家に、教養なき男を哲人にする。ナニワのプラトンが1本を灰にするまで、僕は車に乗ったまま、休憩所のお菓子箱からパクってきた緑茶のど飴をねぶりにねぶる。タバコは、絶好のタイミングで、絶妙の小休止を与えてくれる。クソ、喫煙者が憎らしい。月給制の社員がうらやましい。来年の目標は脱フリーター。青信号で車を停めよ。ちょっと反撃ののろしを上げてくる。