おならっぷばーん

You can't fart without changing the balance in the universe.

イブに70歳の恋バナを聞いた

 

イブの朝はクリーニング屋のバイトで、70代の年金生活者にして職場の2年先輩であるノムラさんを乗せて、各店舗を回った。ノムラさんは医療法人を相手にした備品の卸業を営む自営業者だったが、いまは引退して、日々のゴルフ代と飲み代を稼ぐために時給1000円でハンドルを握る。口癖は「よっしゃ」。荷物を捌いたときのよっしゃ、作業を首尾よく終えたときのよっしゃは快いが、信号待ちで何もしていないときに「よっしゃ」がでると、何がよっしゃなのか分からずソワソワしてしまう。「ほうでっかー」「よろしなー」「よっしゃ」「おおきに」「まいど」の五大用語に、大阪商人のボキャブラリーは尽きていた。

バイト中は、同乗者との雑談がひまつぶしだ。コミュ障の僕はリアクターに徹して話は振らない。「スマホアプリは金がかかりそうで怖くて手が出せない」という話に、ワイプのタレントみたいな反応を示すのが仕事である。相手の話題が尽きれば雑談は終わる。沈黙は、ラジオDJが中学生の恋愛相談「好きな人に告白するかどうか迷っています」に「卒業してから、告白しとけばよかったな、と思っても遅いだろう? 勇気だして告っちゃいなよ」を答えるおかげで、無音を病まずに済む。ただ、ノムラさんはラジオをつけない。

エンジンのドロドロ。バウンドする車体のドタドタ、積荷のファサファサ、折りたたみ式台車のケチャケチャ。ウインカーのカチカチと、盲人用信号機のピヨピヨ、ETC車載器の「カードが挿入されていません」が、車内の音響である。たまに「よっしゃ」も入る。

ノムラさんはこの日、朝から気炎烈々であった。
「クリスマスいうのもんはね、私らからしたら西洋のもんいう意識がものすごい強いわけ。君たちみたいに若いもんは盛り上がって、なんやホテルとか予約したでーてなもんで、彼女といくわけでしょ?」
「行ったりする人多いですね」
「よろしなー。私の時代にもクリスマスはあったけれども、貧乏の家やからね、プレゼント交換みたいなことはせなんだんやわ。クリスマス? そうでっかー、てなもんや」
「はあ」
「クリスマス、ええこっちゃ。私には妻がおるけどもね、郵便局に勤めてる40代の女性と仲良くさせてもらってるわけ。これは窓口で勧められた季節のフルーツとか買うたりして、親しくなった仲なんです。メールアドレスも交換して、ときどき連絡もしてる」
「そうなんですか」
「それがやね、きのうメールで『よいクリスマスをお過ごしください』ときたわけや。これどう思う?」
これは非常な難問だった。どう答えるのが正解なのか。そもそも何を問われているのか。世界史一問一答のように、後ろに正答がある問いではない。なにを答えてほしいのか、どの答えがノムラさんの意に沿い、しかも真実に近づく、解のグラフとなるのか。
「どういうことなんでしょうね」
窮余の一策、問い返しである。望む答えを相手から引き出す、ソクラテス式の産婆術である。これで回答する手間を省いて、ラクしようと思った。ところがノムラさんは引き下がらなかった。
「よいクリスマスをお過ごしください。これは私に何かを訴えかけているんやろうか? 君の思う正直な意見を聞かせてほしいねん。あの子は私になにか言いたいんやろか?」
これは恋愛相談であった。ノムラさんは、知り合いの郵便局員が送った時候の挨拶、よくある定型文に、ただならぬ意味を誤読しているらしかった。「よいクリスマスをお過ごしください」を「一緒によいクリスマスを過ごしませんか?」と読みたがっているらしかった。古希ノムラさんの横顔に張りついた、よく焼けのホットケーキみたいな老人性色素斑は、休み時間に意中の相手と目が合ったと騒ぐ女子中生のニキビに見えた。
「季節の挨拶でしょうか、分かりませんけど」
「遠慮せずに言ってほしいねん」
「クリスマスが近いんで、挨拶に添えたって感じですかね」
「そうやな」
ノムラさんは僕の言葉を刃に切腹した。気があるのでは? と期待する心を、自分でもいやしいと自覚しつつ、思いをやっつけるために第三者の冷たい意見を求めたのである。
「あれは社交辞令ちゅうやっちゃな。季節の挨拶みたいなもんで、そう言っただけやな。よいクリスマスをお過ごしください、か。これはただ単に挨拶でそう言っただけやな」
ノムラさんの恋は終わった。
「よっしゃ」