おならっぷばーん

You can't fart without changing the balance in the universe.

暇だから恋の話しよー

 

るみちゃんと付き合ったのは、坂下のいたずらのせい。1組の男子が君を好きになったと嘘をついたのだ。僕は彼女の顔も知らなかったのである。学内ニュースの雑談で、5組の女子がお前に気がある、と伝わる。それから僕も意識せずにはいられず、夢中になった。社会学でいう予言の自己成就、銀行の経営不振の噂が広まり、利用者が一斉に金を引きあげた結果、本当に銀行がつぶれてしまった例の通り、僕に好かれている、と吹き込まれたるみちゃんに好意の反射が起こり、そうだ昼食中に2階から僕の顔を覗くために何度もやってきた、それを知らぬふりで、いい横顔を見せたいと思ったものだ、人から好かれたと聞けば悪い気はせず、異性なら良い気しかせず、本当に予言どおり、いや坂下の思いどおり、僕はるみちゃんを、るみちゃんは僕を好きになっていった。好意の予想は実験によって恋愛の定理になった。

バレンタインデー当日、掃除の時間に起きた。中学の掃除といえば、まじめにやるのは評判を気にする優等生か、やれと言われたことをやるのに平静を見出す凡庸な生徒で、後者の僕は掃き掃除に没頭、今でもホウキを持つと、サッと床を掻く音と、チリが集まって可視化するところになんともいえない生理の快を覚える、でも仕上げの集塵は、どれだけ入念にやっても微粒子を取り逃がすのに堪えられず、ゆえにホウキとチリトリは完璧主義者を殺す道具にもなるが、できるなら掃いて集めずおきたい、捨てずにいたい、ああ誰か代わりにチリトリをやってくれ、と願うところへ、上階のユイちゃん――幼稚園からの顔なじみで、母同士仲が良く、ヴィトン趣味を同じくした。マンションのあやしげな個人経営ブティックに連れていかれたものだ、あれは偽造盗難品をさばく闇市でなかったか――闇仲間のユイちゃん、母親の派手好きをメイクに受け継ぐ肥満体のユイちゃんが、面を貸さないか、お前を呼ぶ人がいる、と言うのである。僕はゴミをおいて教室を出た。うすうす、というのはコンドームの売り文句と気付きの予感だが、僕はぶ厚いゴム手袋の確かなグリップで未来のうなぎが掴めた。るみちゃんうなぎが告白するのだ。

恋愛は選択科目である。今でも、恋愛をテーマにしたドラマ、小説、映画、バラエティ、リアリティ番組の各PR、僕が本編なんか見るわけない、目にするのは広告までだ、その甘酸っぱく、ときにビターな、と表現されるラブストーリーの変奏パターンを見るにつけ、甘酸っぱいのは酢豚で結構、苦いのはニジマスの肝で十分、他人の色恋沙汰など、一日に履きつぶされる靴の中敷きの量より興味なく、そもそも恋愛などという得体の知れぬもの、生産者の顔が見えない野菜のごときものに駆動させられた奴らほどみっともない人間はおらず、自分はああはならないぞと常々注意してきた。マッチングアプリで会った会わない、やったやらないの喧喧囂囂に労力を割く彼女の友達を見ると、そう、これを書く僕には彼女がいて、恋愛すごろくを上がった立場から、盤上のプレイヤーに冷笑を浴びせるのでなしに、仮に交際相手がいなくとも、いや不在であるほうが、もっとこの恋愛というもののつまらなさ、ああ、人類の文化が始まって、世界史に名を刻む偉大な才能が、全力をもって謳いあげ、奉り、むせび泣き、ときには怒り、失望して、口汚く罵ってきた紀元前後の二千年、恋愛が十全に表現されたことはなかったし、靴の中敷きより面白くなった試しはない。いまではジャニーズ主演の学園ドラマに青春の風味を添えて、劇場版の限定リーフレット5種類を売りさばくことに役立つ程度。恋をする暇があるなら、枕カバーの洗濯でもしようものだ。折しも『あいのり』という、醜悪なピンクワゴンに同乗した男女が、アジア・ヨーロッパを巡り、惚れた張れた、掘った掘られたを繰り返す番組がはやっていた。カップル成立で降りるのか、日本食が恋しくて下車するのか知らないが、メンバーを入れ替えながら今日も恋のワゴンは地球を回る風の、恋愛バラエティ全盛期、放送日翌日はたけしゃんがどうのミッチャンがでけでけでと、人物相関図のささいな変更点をめぐり、教室では、設計士と施工業者による不毛な議論が延々と続けられた。僕はくだらない恋愛話に相づちするより、連日久米くんと『MU 奇蹟の大地』のネトゲで遊ぶのに忙しかった。

もう懲りていた。松本さんの家を通ると、今でも、となり街の盆踊りの一休さん音頭「好き好き好き好き好きっ好き 愛してーる」の残響が聞こえる、毎日松本さんと接するうちに惹かれた、という簡単な話ではなく、保健室通いゆえに、備えつけの保健図書で誰より正確な知識をものにした彼女、いまだ子どもが男女の接吻、パパとママのキッスで生まれると誰もが疑わなかった時代に、クラス、いや学年でただ一人、膣に挿入した陰茎の射精、精子卵子の合作によって子どもがなると知った彼女、僕はその神聖な知識をゆで卵を剥く給食中に耳打ちされ、総身の殻がはじけ、大人が口を濁すあいまいなキッス教徒から、質実剛健なセックス教徒へと電撃的回心を遂げる、その伝道者に僕は初恋した。

沖縄旅行のホテルのひき出しから親が盗ったレターセット、歯ブラシにリンス、シャンプー、ボディーソープ、部屋に備えつけのゴーヤ茶が切れたときは清掃係のカートからティーパックをわしづかみにしてこいと命令されたものだった、ホテルの備品ならなんでも我が物と思い込むケチ根性のおかげで、たまたま家にあった便箋へ、どうにも気持ちが抑えられなくなった僕は、松本さんが好きだ、という事実を、松本さんに飲み込んでもらいたい、小学生の性徴なきこころとからだ、色抜きみょうがのペニスをぶらさげて、覚えたての知識を実験に移したいなんていう臓器の衝動があるわけもなく、ただ自分の興奮を、いや、クラスにいる他の男と違ってこんなこともできるんだ俺は、と見せたいあまり、新奇性を打ち出して誰よりイケた人物として傑出したいあまり、今でこそブログで鍛えた腕力で一万字の檄文を贈りつけることもできるが、握りの悪いエンピツで、バランス欠いた大文字で、松本さんのことが大好きです、と書いた。ま、変なこと言ったけど、これからもよろしくね、と最後は照れからケツを割って逃げ出した。そういえば松本さんはケツあごだった。しかしなんとこの大好きですとは陳腐で、無内容で、心情を言い尽くさないこと日時計の縮約だろうか。学校にいつからかの卒業生から贈られた日時計の盤上、薄く伸びた陰からどうして太陽の大きさを想像できるだろうか。好きとは博多ラーメンにも使うことばで、気持ちの苛烈、粘着性はむしろ好意より憎悪をもって表現するほうが近い。可愛さあまって憎さ百倍とは、感情の質感が似ることを示すもので、アイドルファンがストーカー化し、推しメンを痛罵、愚弄、刺殺するに至るまでのバリエーションから、例はいくらでも抽出できる。好きの陳腐を自覚した僕は、ことばの無力を補うために、これは女性のほうこそ、気持ちを実体で寄こせ、想像の幾何学を図によって示せと迫るとおり、使っても減らぬことばの安っぽさを誰より知り抜くのであるが、封筒の余ったスペースに、いや紙一枚を収めるにもあっぷあっぷの封筒にどんな余裕があるだろう、僕はポケモンの金銀メッキのプラフィギュア、スリープ、ゲンガー、ベトベトンを愛情のしるしに、かぐや姫の求めた蓬莱の枝、龍の首、火ねずみの皮として献上すべく、愛をつづった手紙といっしょくたに、閉まらないのをテープでぐるぐる巻きにした上へ、「松本さんへ」と波打つ紙面にのたくる字で書いた、でこぼこの、忘れたカイロみたいにかちこちの封筒を、まだ郵便物の出し方も知らず、年賀状は家まで届けたほうが早いと思った時分、松本さんの家まで出かけ、ポストに入れるのでは他の手紙と混じって本人に届かないと踏んだ僕は、砂利を呑み込んだつちのこを、玄関前に捨て置くようにして帰った。

参ったのは翌日のビンゴ大会だ。松本さんは、各自が持ち込む景品、使わないおもちゃ、未開封のグッズ、子どもの数少ない実物資産のなかから不要物を処分し、欲しいものと交換する、遊びと実益と兼ねた催しものへ、僕が愛の結晶として差し出したポケモンフィギュア3体を持ち込み、あろうことか僕を呼びつけて、「これ向こうへ置いてくれる」と鼻紙を捨てる軽々しさで、景品台へ置くよう指示したのだ。ふだんは喜んで召使いになるところ、この時ばかりは、彼女の無言の拒絶、いや雄弁に過ぎる当てつけに腹が立ち、「自分でやれ」と突っぱねて、席へ戻り、背中で彼女を憎悪した。こんなに好きなのに、こんなに好きなのにわかってもらえないんだ。最初の愛情の挫折であった。昨夜の自分が悔しくてならない。どうして一時の感情にまかせて、浮つく心のままに、その気になれば、一生の汚点として、失態の資料として、お笑いぐさのやり水として、孫の代まで証拠が残る方法で、色とりどりのポケモンを入れた悪法で、好意を伝えてしまったんだろう。玄関先の封筒は、まず彼女の親がドアを開けしな、ザラザラと床を掻く異物として発見され怪しまれるが、つたない字の宛名書きから、子どもの遊び、交換日記、秘密の連絡だと判断されて、居間の家族会議の場へ「ヘンなのが来てたわよ」とセリ市の冷凍マグロのごとく放り出される、父は仕事で不在にしても、発見者の母、呼ばれて出てきた松本さん、その妹、とその妹の女4人、生まれながらの臨床心理士8個の眼球で、検視台で胸を開かれる水死体みたいに、明るいダイニングテーブルで開封されたラブレターが、一字一句ルーペで検分され、犯行の理由を、犯人の特徴を見極める精密検査が行われたと思うと、恥ずかしくてたまらない。それからである。こんなくだらないことはやめよう。気持ちを伝えて後悔するより、黙ったほうがましだ、と考えるようになったのは。

女は小学女児にして、すでに男をもてあそぶ二枚舌を持つものだ。私を好く男、ふってやった男という地位が固定され、そう小学生にとって6年の歳月は無限に等しい、8月31日は空想の極点、夏休みはいつ果てることなき久遠の休暇に思われた、その幼年期のなかで、僕は松本さんに恋しても思いが報われなかった惨敗者として長い苦役を強いられた。いつの時代も女主人は使用人をいじめるのが好きで、松本さんは、僕が漢字を書けずにうろたえるところへ、「あらそんなのも分からないの」と上から目線、お互い下から数えたほうがはかどる席順のくせに、いや向こうは学習塾をかけもちで中の下の得点とくれば、無勉強で下の中にいる僕のほうが勝っていると思われた不出来の両者、一度の告白失敗を、もう覆せない失点のように扱い、漢字テストの一問にも優位の確認をせずにはいられない彼女のいじわるには腹が立ったが、松本さんは、字の成り立ちを口頭で指示するのでなく、僕の横へぴったり体をくっつけて、鉛筆を持つ手にうえから手を重ね、まるでセクハラおやじがゴルフスイングを背後から抱いて教えるように、いやケーキ入刀の仲睦まじい握手のアクションで、優しく、二重の伝導力によれた字で、まんぞくの満を繰り返し書いてくれた。僕は肉の接触に隆起を覚えながら、ついに彼女が自分の好意に振り向いたとは思わなかった。女は冷たい実験者だと思ったのである。思わせぶりな態度で、行動で、消えかかる焚き火へ時どき木をくべる、好意の火を、好きの燃焼を、肉を焼いたり暖をとるためではなく、ただ鑑賞する目的で、炭化した木々が赤の雨中を骨のように朽ちるのを見て楽しむために、持続させる。この女め――僕は手が触れたことより、漢字を書けたことに感謝して、無反応を貫いた。火を期待するものには氷を差し出すのが悪意の礼儀である。湯だと思ったシャワーを冷水で浴びたときの凝結をこの女に与えたやりたい。ただ僕は彼女を憎むより、人を好きに好いて、人生に消しがたく残る汚点をつくった神の一突き、いまわしい現実を結果した究極の第一因である恋愛感情をより深く憎んだ。もう二度と、この動力を使って運動はしない。それはその日、食べすぎで戻した食べ物を、子どもが一生嫌い抜くと決めた反応であった。

大阪のスカートは長い。膝上10センチは、かわいいを自覚する強気の女と、かわいいを錯覚する狂気の女に許される。よく頭は鈍器で殴られて潰されてしまうが、球形の頭にたいしてはほとんどの道具が鋭利なのだから、硬球遠投殺人事件の捜査以外、凶器は鋭器に決まっている。そんなことを、僕を引率するユイちゃん、心ない男子連中から、あれは煮物にすれば美味そうだと罵られた白大根の両脚を、足首までスカートで覆い、狂言師の摺り足で進むユイちゃん、頭は三つ編みのおさげで、海面が割れて露出した地肌の道が、そのまま田畑の一本道に接続する会田誠のJK絵画のように、ユイちゃんの後頭部の肌色が恋愛喜劇の舞台を示すのをみて思う。これがイタリア貴族の男女なら、屋敷の窓辺で禁断の逢引きに、ふたりの美的小宇宙が完成する場面であるが、ここは大阪田舎の市立学校、周辺のどの地名も丘、畑、鉢のつく、どの校歌も裏手の山の名を含む、正真の山肌を削って拓いた学校の、3年生から順番にクーラーつきの新校舎、耐震工事済みの改装校舎を使い、僕ら1年生は、豚小屋に黒板を置いたようなねずみ色の旧校舎、アリの視点で濡れ雑巾のくたくたを見たような不潔の二階建て、そこで会うのが家族3人団地暮らしのボロ生まれカビ育ちの一人っ子、対するは山のふもとで開店状況のはっきりしない曖昧雑貨屋を営む一家、店前林立の自販機で収入を賄っている家族二世帯、その三姉妹で一番垢抜けないニキビ面の末っ子がるみちゃんその人で、両者邂逅の劇空間は、1組と5組をつなぐ大階段、ギャラリーの汚いうわ履きが上がり下がる。ドッキリと知りながらあわて者を演じる芸人のように、これから告白されると知りながら、何が起こるか知らぬ顔。階上、長スカートの軍団先頭に、お菓子の包みを後ろ手にしたるみちゃん、何も言いだせずにいるのを、
「ちょっと話あるから聞いてあげて」
と取り巻きの誰からか催促の伝言が入る。
赤面のるみちゃんが、そうだ眼鏡をかけていた、眼鏡の下にまつ毛を寝かせて、半身に、袋を差し出し、
「え、なに」
「なんだって」
それは好きです、付き合ってください風の定型文だった。僕は、事情を知り、状況を推し、何が起こるか判っていながら、彼女が何を言ったか最初の発声で聞き取っていながら、そうだバレンタインデーにチョコを渡して言うセリフなんて決まっている、照れ隠しに、何度もその、一生に一度あるかないかの貴重なささやきを、果報者だけが耳にできる妖精のむつごとを、歯間の食べかすを味見するように、聞こえないふりして、何度も本人の口から語らせたのだ。長スカートの軍団に、告白を二度聞きする奴があるか、最低だ、くたばれ、女に恥をかかせるな、とやじられ、だまって袋を受けとり、うなずく。むさぼり聞いた陳腐な金言は、記憶を探っても一音も蘇らない。恋愛の詩は影を失った。太陽は消え、日時計が消えた。