おならっぷばーん

You can't fart without changing the balance in the universe.

東京R不動産『団地のはなし』より、リアルな団地のはなしを聞いてほしい

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画像はブックオフで見つけた『団地のはなし』という小冊子みたいな本である。よく見れば、東京R不動産と書いてあるとおり、リノベした団地をおしゃれ住宅として若者に売り込みたい、ダンチに住む=カッコイイの定式化をもくろむ業界メディアが、女性クリエイターを集めて、小説、マンガ、詩に対談、インタビュー、写真とあらゆる手段を講じて、団地の良さを伝える企画である。知るところでは最果タヒジェーン・スー、あとは寡聞にして存じませんが、今をときめくらしい、山内マリコ、茂木綾子、菊池亜希子、松田青子、黑田菜月、岡八郎たこつぼ新之助、黒蜜リーゼント、川野カッパ流れ、賭博亭生活保護、三代目ペニス・バンド・ブラザーズの面々が名を連ねる豪華布陣となっている。表紙のフィルムに透けるのは、不揃いに切り取られたかに見える冒頭4ページ、団地を側面から見たときの過密と遠近のリズムを視覚的に表現した凝ったつくりになっている。一般に装丁に凝った本は中身がしょうむない。いや中身のしょうむなさを補うために外見を着飾らねばならんのだ、それはあたかもクジャクを轢き殺したかに見えるスナックの年増ホステスに同じ、という理論の御多分に漏れず、この本もパラパラめくった限りでは、用紙の配色、フォント、カラー、段組み、画像の入れ方、見せ方にデザイナーのリキがこもっているものの、それゆえにしょうむなさそうであった。もちろんこの本は、団地を知らない中上流家庭の女の子が上京、就職を機に家探しする、そこで手頃な値段で住める団地の良さを知ってもらおう、綺麗便利おしゃれだと思われるために、まず彼女たちの手にとってもらうべく、軽く読めそうなタッチに仕上がっている。僕みたいに3歳から16歳まで大阪北摂のうす汚れた団地群に輝ける幼年の血潮を、たぎる青春の心血をそそいだ生粋の団地人には、上澄みを濾過して集めたウソの天然水に見える。生ぬるいこと抜かしやがって。僕が本当の下水を教えてやる。濃緑のもらもらが浮いた処理前の水面を、においを、底が見えぬヘドロの海を、地獄を、団地獄を、その目に焼きつけるがいい。

 

マサの顔が歪んでいるのは、2階から落ちたからだと言われていた。アゴが出て左にズレたのは、階段の手すりで遊んで落下し、顔で着地したからだと噂されていた。マサがアホでチンチクリンなのは、ケガの後遺症だと信じられていた。マサの兄は学年が4つも上なのに僕らとつるんでいて、だいたい同年代の友達がおらず、歳下とばかり遊んでいる奴はそれだけで暗愚を物語るようであるが、黒服に黒チャリの小ヤンキーで、周りに子どもを集めては「精子いうんはチンコ振ったら出てくる。こう下に振るんや」とブランコに立って、熱心に実演してくれたものだった。ゴミ捨て場の成人雑誌を読みかじっていた僕は「振るの?しごくんじゃないの?」と訊くと、しごくって何だ?ときょとん顔でことばの意味を飲み込めない様子。兄弟そろって2階から落ちたのかもしれなかった。

LEGOは遊ぶたびに目減りし、遊戯王カードは闘うたびに1枚ずつ消えた。それでもまだ小学生がかわいいと思うのは、盗みがあった翌日に、母に諭されて、友達に咎められて、泣きべそかきながら返しに行き、何事もなかったかのようにまた遊びだす、綺麗な友情があったからだ。しかしなかにはくせ者もいた。カードボックスごと盗まれたが、どうせコウタやノブヒコあたりの手癖の悪い奴だろう、明日になれば返ってくると高をくくった。それが5日経っても出てこない。どこかへ置き忘れたのだ、と自分を責めはじめた6日目、10号館の花壇に空のカードボックスを見つけた。落下地点を上へたどった4階にヒロシゲの家がある。いくらアホでも盗んだものを家の前に捨てるか、と半信半疑でヒロシゲを訪ねて、証拠を見せて知らないかと訊いたら、バツの悪そうなヒロシゲが奥へ引っ込み、ヒロシゲの父――酒飲みの無職、年頃の子どもがいるにもかかわらず、ふすまの修理にヘア丸出しの洋物ポルノ写真を貼るような男で、ヒロシゲの家に上がるたびに僕らは女体地図の湿地帯を指でなぞったものだ――がわしづかみのカードを押しつけてボソリ「盗まれるほうが悪い」、ぴしゃりとドアを閉め切った。ぴしゃりというのは、心理的な密閉感を表したもので、本当は、郵便受けが牢屋の食器受け渡し口みたいになったあずき色のぶ厚い鉄扉、ドアスコープなんかなく、かまぼこ板大の網入りガラスが嵌め込まれた、そこから潜水艇のように近づいた訪問客を睨みつける覗き窓が設けられ、もちろんそれだけだと外部から逆に覗かれ放題なので各家庭が工夫して布で目隠しを作った、その色、素材に趣味がでる、ヒロシゲの家の覗き窓は新聞紙を切ってノリで圧着したものだった、その扉がデロドコガッチャンと閉められたのだった。「盗まれたほうが悪い」は、息子をかばう親の捨て台詞としてはおとなげないが、一歩家を出れば外は争い絶えぬ修羅の世界であって、貴重品から目を離してはならない、という私有財産制度確立以後の基本的な市民態度がここに確認されたのであった。盗難事件以後もふつうに遊んだが、なんせヒロシゲ一家はちょっとしたコレ、つまりクルクルパーであるという評判が広がり、なにをしても不思議でないと思われた。しつけが行き届いていない、素行不良、思ったことをついやってしまう、という性格は団地界隈ではむしろ欲求に素直であり、欲望に忠実であり、心が純であることの証拠として、褒められはせずとも、一種の犯せざる聖徳として見過ごされたのである。疎遠になってから聞いた話では、ヒロシゲはまだ少年法で裁かれる以前の歳、ここに書くのもはばかれる破廉恥な行為に及んで父兄を怒らせ、PTAを脅かし、校区をザワつかせて、転校していったそうである。

 

イチゴーカンが経済のすべてであった。1号棟1階に開いた喫茶店、八百屋、肉屋、酒屋、魚屋、床屋、年中シャッターの何やか屋、薬屋が団地の暮らしを支えた。いや支えるべく計画された商店街であったが、店が外と地続きで、アリ、ゴキブリ、カエル、カマキリを寄せつけ、排水で四六時中濡れ濡れになったタイルが黒くかびて、壁にコケが群生し、一帯はまるで廃工場が自然の力に斃れ、緑の海に呑まれるがごとき一景を呈していたので、不潔を嫌った住人たちは遠くても駅前のダイエーに通ったのだった。そのイチゴーカンの酒屋、ソノダ酒店は、事業不振から団地の至るところに自販機を乱立し、自身の店前も前後背中合わせに設置した自販機の壁で、店の入口を覆い尽くす有様であった。

自販機の設置は、住人の喉をうるおすより、僕らの懐をうるわせた。釣り銭口に手を突っ込んで小銭を探す大人は今もいるが、さすがに落ちた10円玉のために、かがんで地面に頬をつき、自販機の下を覗き込む奴はいなかった。彼らの成長しきった羞恥心が、手が指が届かぬところへ、幼い腕はするする入った。それでも届かぬ最深部は、小枝や板きれを使い、黒いホコリやひっくり返ったカナブンの死骸とともに小銭を掻き出し、月の小遣いを一日で稼ぐ日もあった。そのソノダが管理する自販機の下で50円が出た。しめたものだ。これでイチゴーカンのミワ精肉店でミンチカツが買える。奥から100円も出る。チェリオのForも飲めるし、プラッシー・オレンジだって買える。にわかに午後のおやつが豪華になってきた。機械の足の裏から最大の獲物500円玉が転がり込む。うわ、これでミワのからあげ5コ入りにアイスの実、2リットルのアクエリ、奥の薬局まで勢力の伸ばしてカテキンウォーターまで飲める。余りは10円ガムに換えて…と両手に宝をジャラつかせて胸算用をしていると、奥からズンズンとソノダ酒店の店主、白髪の禿頭、60代、いき遅れの娘に店番を任せて、日中はどことなくフラフラほっつき歩いている男で、たまに店にいるかと思うと、赤ペンを耳に競馬新聞と睨み合いをしている男が、豊かな恰幅を、酒屋だけにビール腹をたずさえた巨躯を、ズンズン一直線に僕めがけて進ませる。べっ甲の老眼鏡のうす目が、優しさのうちに僕の手に隠した拾得物を目ざとく見抜き、
「この下で拾たんやな。それはおじさんのモンや。貰っておこう」
と凄んで開いた手のひらへ、自分が悪いことをしたと思って素直に全財産を投げ出した。あいつほどの悪党には大人になってもまだ会ったことがない。

 

盗まれるほうが悪いという論理はここでもしっかり根を張っている。貧すれば鈍する、の言葉どおり、団地メンバーは算数よりも休み時間を得意とし、またそんな無教育の家柄、劣等文化の両親に育った僕らと、将来のエリートたる我が子を交じわらせたくないと思ったハイソサエティーの自覚ある親から「団地にいる子、とくにズボンの擦り切れている子とは遊ぶな」という指令が下るほどであった。

たしかに今から思えば、貧であった。意識ある頃から団地にいるので、空気に色が見えぬように、環境を対象化することができなかったが、学校を出て、社会の階層差を目の当たりにしたり、差別意識、特権意識に触れるようになって、ああ自分の家はなんて小さく汚かったんだろう、と思い出に劇画タッチの影がつきはじめた。気付きをもたらす最初の打撃は、映画『ゲゲゲの鬼太郎』のロケ隊がくる、という掲示板の告知だ。後日本当にキャストがやってきて撮影して帰った。妖怪が出てきてもおかしくない、いやいかにも妖怪が潜んでいそうなセットとして、実際に僕たちが住んでいた部屋のひとつが使われたのだ。映画がヒットすれば、聖地ならぬ俗地巡礼ツアーと称して、住民の暮らしぶり、乳をほっぽり出して洗濯物をとり込むババアを見て「出た、妖怪チチボーロだ」と慌ててカメラをとりだす、サファリパークのカゴ車に乗せられた観光団がやってきて、僕も道ばたで妖怪団子、火の玉わたがし、赤舌キャンデー、一本足焼きイカ、牛鬼ひとくちビーフカツ、海坊主たこ焼き、カッパ寿司、ろくろ首のプリッツェル、ほっちょ婆のホットカスタードパイを売る大人達の手伝いをさせられるところだったが、幸運にも映画は当たらなかった。僕の周りで観たという人は誰もいない。

 

2DKに家族3人で住んだ。2部屋は和室で、畳数は判りかねるが、寝室は布団の左右を重ねてやっと3枚を敷ける広さで、居間はテレビにタンス2台、折り畳みのチャブ台を置くと、もう前後にわずかな空地しか残らなかった。それでも根城の貧相を自覚しなかったのは、小学生にたいしては、すべて大人向けに作られた設備が、ドアにしろ、廊下にしろ、玄関にしろ、大きく映ったからである。部屋の圧迫感を無くすために、ふすまを取り払って、壁へ立てかけてあったのを見た友達が、
「あっちの部屋は何なん」
と訊くので、あれはふすまだけだと答えると、
「いや冗談じゃなくて、あっちの部屋も見せてよ」
としつこく食い下がってきた。戸建て住みの彼には、僕の家の狭さがもう1部屋ないと成立しない悪い冗談に思えたのである。

風呂といえば、塗装の落ちた粗目の木ドアを蹴り開けて、コンクリ土台剥き出しの上へ、青緑のサイコロみたいな立方体の湯船が乗っかる、それも四隅が錆びて禿げあがり、こげたステーキの外観を示しているところへ、膝を抱えるようにして浸かり、天井が卵の殻みたいにパラパラと湯気で崩れて、ときどき塗膜片の雪が降る場所、それがどの家庭でも同じ風呂場の風景だと思っていた。はじめて人の家で風呂に入ったとき、まあそんな機会はめったにないが、なにか汚れる遊びのした後だったか、浴室の綺麗さもさることながら、パネルの操作盤、風呂の外からも、湯張りができる宇宙船のようなハイテク機器に驚いた。湯沸かしといえば、ガスコンロのようなつまみをチッチッチッチカチと鳴るまで回して、ベランダに裸で置かれた給湯器、こいつの銀の頭には、赤く膨らんだ手のシールが貼られていて、触れるとヤケドするぞと脅すから、余計に触れたくて仕方なかった、そこへ水を通して温める手動方式であった。浴室の壁には水道管がのたくった。一本は茶色の樹脂巻きで熱湯が、一本は冷水の通る銀色の管だった、その冷たい管のまわりに結露して、乳房のように垂れ下がった水滴を、指で払ったり、舌先で突いたりしつつ、たまの水分補給に蛇口から直接水を吸ったりして、百まで数えて、ドアを蹴破り外へ出る、これが僕の入浴であった。

 

どの家庭も事情は似る。クロダの誕生会にお呼ばれして行くと、同じ間取りでも一部屋はタンス、ラック、衣装ケースが埋めつくす、ちょっとした脱出アトラクションじみた物置小屋になっていて、空いた一室に折り紙の輪っかを垂らし、チャブ台にケンタッキーほど衣の色、形が良くない黒みがかったチキンピースが数個ととり皿、主役のクロダは紙の王冠を頂いて、機嫌よく座っていた。われわれの貢ぎ物は、バトルエンピツ、手作りスライム、ミニ四駆、キラのカード、余っためんこ、おまけのシール、読み終わったマンガである。そこへ遅れてやってきたのがクロダの父で、これが看護師の嫁に食わせてもらっているギャンブル狂の浮浪人、小遣いはすべてマイルドセブンと1号艇あたまの流し舟券に消えるのか、体は板がボロを纏ったように薄く、頬はゲッソリこけて、目にクマのない日はないほどの不健康体、不健全体を誇っていた。そのクロダ家の家長が咥え煙草に笑みを浮かべつつ外から戻り、提げたビニール袋をクロダへ突きつけるように見せ、「ハイパーヨーヨー買ってきたぞ」と豪語した。座の一同、おお、と感嘆の声を漏らす。当時ハイパーヨーヨーといえば、コロコロコミックの漫画はもちろん、アニメ、アニメ間のCMでも頭のツンツン跳ねた、指なしグローブの青年がブンブン振り回すところの、かっちょいいアイテムで、親にせがんでも、ケチと品薄で手に入らなかった、その入手困難がまた物欲を駆り立てる、団地の少年だれもがうらやむ逸品を、よりにもよってあの貧乏のクロダが、と腹たちまぎれの羨望で、いやいや手を叩いたのである。はじめて現物にお目にかかるというので、息を呑む僕らの前へ、クロダ父がビニール袋に手を突っ込み、
「どや」
と取り出したのは、ハイパーには似ても似つかぬ、模様だけは緑地に赤いイナズマのペイントがしてあるパチモンであった。
「これやろこれ、これやな?」
念押しする父を悲しませたくない、子どもの玩具に疎い親父がそれでも我が子を想って品定めした愛情ゆえに、その失態を彼に知らせたくないという意識のはたらいた僕らは、せめて誕生会のあいだだけは、それをハイパーヨーヨーとみなすことに無言で同意した。本物はベアリング機構を備え、振りだしてから下でしばらく本体が回って糸を巻かずに留まるのを、クロダのハイパーヨーヨーは、振り下ろしたそばから帰ってくる、間抜けな昭和の上下運動を繰り返した。苦笑いの僕らにたいしてクロダは嬉しそうだった。本物と偽物の区別がつかなかったのである。その後クロダの父は蒸発して家に戻らなくなった。彼のほうがハイパーであった。

貧は鈍を招くが、悪を育てない。小さな犯罪はたくさん起きたが、警察が出動して、ちゃんとした捜査が必要になる事件は、少なくとも僕の記憶の限りでは、1度もなかった。団地で育ったメンバーは今も腐ることなく、家族をつくり、よろしくやっている。刑務所に入った奴もいなければ、社長になった奴もいないが、社会の上昇気流に乗らんとしぶとく足掻いている。清水に魚棲まず。泥水に咲くハスの花は、世間の汚濁の中にあっても、なお清潔でいる仏の達成に似るというので、仏教のシンボルにもなるが、腐りかけの団地群にあって、無知と厚顔はびこる、欲望と奸計うずまく百鬼夜行の世界、餓鬼から大鬼、さらに鬼ババまで総出演の妖怪百科絵巻の図中にあって、僕らは根を曲げずに、茎を折らずに実直に育ったのであった。時間は浸食し、洗浄し、美化する。汚い団地の思い出は最高に美しく、これからも美しくなり続ける。