おならっぷばーん

You can't fart without changing the balance in the universe.

おれテレビ全然見ないんだけどさ

 

 

通販は顔を売る

通販番組を見る彼女が、
「ジャパネットの何が良いって、顔なんだよね」
「顔?」
ダイソンのコードレスクリーナーを持つ女が、知っているはずの値段に驚く。
「ブスでもないし可愛くもない。顔が絶妙なのよ」
この直感は絶妙だと思った。僕の評価は技術的側面、つまり商品の美点を効果的に見せるスライド、VTR、実演の技巧にとらわれる。「身体によい」「お孫さんも喜びますよ」「省エネで財布に優しい」と、紀元前より人間を支配してきた、健康、評判、金銭の波形に訴えるトークが、昼間にテレビ前で茶菓子をつまむババアには効くんだ、へっ、うまいこと考えたもんだぜ、と陰湿な理屈をこねてテレビショッピングにハマる人間の心理を読みとった気でいたが、勝負は初めから顔に決していたのだ。

販売員の顔を見ると、男には父の優しさと、夫の怖さがある。耳残りするカン高い声に、おおげさな身ぶり手ぶりでも、小ずるい詐欺師みたいな印象を与えない重厚感がある。美形でもなく、醜くもない。教育上の危険を徹底的に拭いとった幼児向けの抽象アニメみたいな顔だ。僕が結婚詐欺グループの元締めなら、まず採用したい逸材である。

女のほうは、僕からすると、充分に(何をするに充分か知らないが)きれいだ。彼女のいう「可愛くない」は厳しい評価で、「可愛すぎない」のが正確だ。ここが微妙なラインなのだが、テレビ前の彼女を観察していると、あまりに卓越した美貌には嫉妬すら起らず、ただうっとり絵画を鑑賞するばかりの態度で、中途半端な顔のくせに周りが「カワイイ」と持ちあげる誤解のアヒルになると「ハクチョウぶるな」とののしり、勘違いの蛾が舞うと「蝶だと思うな」とやっつけて、終始ご立腹なすっている。女性人気の芸能人を一望すると、とびきりの美人か、「ブスでも可愛くもない」素人じみたタレントか、見た目の奇抜を売りにする芸人に分かれる。ジャパネット司会の男女は、プロダクション所属のタレントではなく、自社の社員だ、ということが、すぐ分かるいい頃合いのアマチュア感を残している。どこの部署にもいるリーマン顔、OL面だ。2流タレントが、グラグラ揺れる仕込みのおばはんオーディエンスを背に、でんどこでんどこ豪華な台車に乗って登場する磁石入り腰痛サポーターに、ワーキャー騒ぐ番組とは、ものを売る信頼感が違う。派手にはうわべの不審がつきまとい、地味には実直の好感が伴う。それが巧妙に演出された地味だとしてもだ。そのおかげで、1日中テレビ前に座る母の家には、押し入れで気を揉んでいるフットマッサージャー、出番を待ちかねて刃も涙もこぼれる包丁セット、ボール箱ですやすや眠るトゥルースリーパーの枕がある。

 

 

ミルクボーイに絞られたい

営業も顔を売っている。平日の午前中、明治牛乳のセールスがきた。同居の彼女は出勤したあと、家には暇な僕だけだ。予定しない来客には居留守を使うが、退屈をまぎらわすために出る。表に立つのは、日焼けした褐色の小顔に八重歯が笑う、短髪のスラッとした、スポーツマンタイプの若い男だ。ヤクルトレディならぬミルクボーイである。ポロシャツからぬっと伸びた首に生々しい龍の関節の湿気がある。下顎から喉もと、下がって喉仏、胸板へいたる導線上、鎖骨が挟む肉のくぼみに精力のしずくが溜まっている。
「只今この辺りを回っておりまして、3組さま限定で、2回目の配達まで無料体験していただけるキャンペーンをご案内しております」
限定、無料…。アタシは、目の前にいる、高校球児のようにクシャクシャに笑う、食べてしまいたいほど可愛い男の子と、無料限定サービスという言葉のコンボに、命の母の効果が吹き飛ぶくらいのめまいに襲われたの。
「奥さまには、美容と健康のために、ヒアルロン酸とコラーゲンの入った、こちらのドリンクはいかがでしょう。栄養補給と同時にお肌のケアもできる、女性に人気の商品です。ふつうのスーパーでは買えません。配達だけの商品です。暑いなかのお買い物、大変ですよね。配達なら、重い牛乳やヨーグルトも、玄関先までお届けいたします」
あらいやだ。童貞の手際がうっすら残る青年に、身体のこと、アタシの同年代のどの女からも抜きん出た美貌のこと、日々の買い物の面倒、主婦業の大変さを気遣ってもらうなんて。
「ちょっとあんた、レモネードでも飲んでいったらいいんだわ」
と言いたくなった。申し込み用紙にフリガナを打ちながら、そりゃこんな好青年に迫られたら、フラッとよろめいて買ってしまうわな、あとから旦那に問われても、あなたの為よ、家族を想ってよ、といえば、どうにでも格好がつく出費だもんな、人選がうまいな、営業ってよくできてるな、と感心したのである。ものを売るのは口でなく顔だ。不動産屋の唇がある、掃除機を語る目がある、魚を捌く鼻があり、野菜を束ねる皺がある。薬剤師の黒目、クスリの売人の白目がある。厳しい営業世界の自然淘汰がそうさせるのか、職業経験の風雨が肉を彫刻するのか、はたまた鏡の自画像が彼にふさわしい仕事を選ぶよう無意識下に働きかけるのか、顔とその持ち主の生き方には、あたかも親戚一同が血族としてやんわり似るように、不思議な類型が認められるものだ。僕の顔はまさにフリーターの顔である。
「どうしても配達を止めたい場合は、お電話1本いただくか、配達ストップカードをボックスに投入していただくだけで結構です」
どこぞの配信サービスみたいに、Q&Aの奥底に退会ボタンをひた隠しにし、どうしてもやめるんですか、こんなサービスもあります、いまなら特別料金でお試し期間を延長できるスペシャルオファーをご用意しました、そうですか、どうしてもと言うなら最後にやめる理由をお聞かせください「テメエのそういうクドいとこだよ!」と言いたくなる、別れぎわの汚いモンスター彼氏の未練がましさに比べると、すっきりした大人の破綻である。タダ乳もらってずらかるぜ、と牛泥棒のニヤリで筆を進めたはいいが、住所が書けなかった。新居に越して3ヵ月、恥ずかしい話が、まだ自分の住所を正確に覚えていない。建物名は書けるが、番地が危うい。いつもは家に届いた郵便物の、住所を写した写真をたよりに書いているが、ここでスマホをとりだす痴態を、この美青年に見られるなんて恥ずい。恥ずかしいわ。「やっぱりやめときます」と追い払うように帰してしまった。彼はまた周辺一帯の「限定3組」のお得意さまを見つけるために、まだ乳搾りの間に合うマダムの胸元へ飛び込んでいくんだろう。

 

テレビ見ないですがなにか

テレビ好きを公言したくない。テレ…ビ? ウォシュレットみたいな、老人用の洗顔機でしたっけ? それとも家の中に口をあけた毒ガスの排管でしたっけ? 実際に人から、
「おもしろい韓流ドラマがあってさ。知らないか、君はテレビ見ないって感じだもんね」と言われると、会話の糸口がつぶれた空所へ、冷凍殺虫スプレーを吹くように「はい。もちろんです。週に2分と見ません」とやってしまう。たしかに実家にいた頃は、親がつけた画面にチラと目線をやる程度。天気予報なら立ち止まって見る程度だったのである。女と一緒に住みだして、テレビが常夜灯になった。帰ってすぐテレビの電源を入れ、寝る前に消す生活が始まった。僕はテレビが居間にある意義に気づく。沈黙が深刻にならない。話すことがなくても、話す気分になれなくても、目線のやりどころがあり、注意の向けどころがある。画面から楽しい雰囲気が発散する。これがどれだけ助かるか。空気清浄機とは、この黒い板のことを言うのである。

彼女の友人が遊びにきてタコパをしたとき(タ・コ・パ。大阪人は3食に1食がたこ焼き、残りの2食がお好み焼きと決まっている)、初対面の異性と緊張の三者面談に臨んだ。うわべだけでも仲良くする、社会人が備えて然るべきスキルを持たない僕は、寝癖も直さず、虫喰いの部屋着そのままで、パーティーの末席に連なり、小麦粉にタコ足をつっこんだ熱気球を口でつぶして黙っていた。イプサのリップ、ルナソルのアイシャドウ、アルビオンのモイスチュア・ミルクに話が及ぶときは平気だが、彼女が席を立つと、ハルチャン(と紹介されたが、僕がハルチャンと呼ぶのは変な気がして、名前も呼べない。ハルチャンさんだろうか。なかやまきんに君さんだろうか)さんと、2人きりの空間ができてしまう。ことばの生じない不毛地帯を、どうでもいい情報と乾いた笑い声で埋めてくれるのが、50年前の三種の神器であった。愛が地球を救わずとも、24時間のテレビが、会話なき家庭を救う。

 

好きな番組

『よ~いドン!』と『どこいこ』が好きだ。何を言っているんだという人もいるかもしれない。どちらも関西ローカルで、関東まで電波と名前が轟いていない。地元愛がそうさせるのか、東京には負けへんでという関西人の勝手なライバル意識がそうさせるのか。『土曜はダメよ!』『今ちゃんの実は』。好むのはたいてい大阪の番組だ。なかでも先に挙げた2つが面白い。

 

・よーいドン!

円広志MCの月金の帯番組である。こんなものを毎日1時間半も見たら気が狂う。円広志織田信成月亭八光が「となりの人間国宝さん」を探す街ブラロケ、大阪のおすすめレストランを紹介するミニコーナー、日替わり出演芸人(石田靖たむらけんじ、ロザン、酒井藍銀シャリ)の企画ロケVTRの合間に、「いやさっき出てきた、あの人どう思います」とダラけた感想が入る。ふつうスタジオの振り返りは、目立った箇所を短くイジって終わるが、この番組では、登場人物を1人ずつ丹念におさらいする。塵も漏らさぬ緻密さは世界史の一問一答である。

「となりの人間国宝さん」というのは、国が認める超一級の藝を体得した本物の人間国宝より、いくぶん庶民的で、まさに「となり」にいてもおかしくない街のカフェショップのオーナーだったり、パン屋の店主だったり、クライミングジムのインストラクターだったりする人物で、歴史ある伝統芸ではないものの、人並み外れた技術と思いで、地域住民に貢献しているプロに番組が贈る名誉の賞、ペライチのステッカーのことである。ここで「人間国宝」と認められたご主人ならびに奥さまが、現在の事業(藍染めの町工場しかりネイルサロンしかり)を始める前に、借金、離婚、倒産、無職、大病、どん底、閉塞、絶望の八苦を舐めたら舐めた数だけ、そこから立ち直って、勤勉につとめているのが偉い、いやあっぱれだ、という論調がスタジオを席巻する。善良な市民道徳の確認である。苦労がいつか報われるという民衆の成功譚である。無名の一般人が偶然スポットを浴び、ドラマじたての経歴紹介とともにローアングルの劇的カットで仕事の一場面が切り抜かれる、なにわの情熱大陸である。

夏日、建設予定地でひとり、地下の排水溝のコンクリ蓋を、円盤のコンクリートカッターで切断して、顔じゅう灰まみれ体じゅう粉だらけの、安全ヘルメットに「コウダ」と名前が大書された、40代の作業員コウダがTVクルーを見上げたところに、円広志が声をかけた。
「いやあ、こんな暑いなか大変ですな」
「ええまあ」
作業員は、応対の語彙を持たない。円広志は、テレビ衣裳のシワひとつない、真っ白のブランドシャツの胸元に手を当て、コウダとの間に橋をかけるように指を曲げて、
「僕もあなたと一緒ですわ。外の仕事。まだいろいろ回らなあきませんねん。お互いにがんばりましょ」
と言って歩き始める。タレントと素人、饒舌と寡黙、印税収入と茶封筒、スタジオ経営者と下請け被用者、ボルサリーノとミドリ安全、マドカとコウダ。簡単には埋まらざる差を「一緒ですわ」のひとことで工事するのは無理に見えたが、たしかに人は何をやっても異にして同、同にして異、という老荘の深そうなことわりにも思え、それが老子理想の「道(タオ)」と同じ字、道の上をいく街ブラロケで垣間見えたというのも、なにかの縁を感じさせる。そう書きながら自分でもよく分からないのは、となりの人間国宝さんはいつも4倍速か、スキップでやり過ごすコーナーだからだ。

おもしろいのは日替わり企画である。彼女は、たむけんの日帰り旅、酒井藍ちゃんのあいLOVE田舎暮らしを、僕はロザンのクイズロケを目当てにして見る。たむけんが商店街でナンパしたおばちゃんを連れて陸路空路で九州、山陰、淡路島、三重、金沢、横浜を行く企画は、彼女が旅行好きゆえに見ているものだと思いきや、出てくるおばはんのキャラが濃いのにウケている。おばはんが汚ければ汚いほど、テレビ用に身なりをとり繕っても素材の粗が目立つところを嗤っている。君もじきにああなるよ、と言うと口も聞いてもらえない。酒井藍は、100キロの肉厚を誇る吉本新喜劇の女座長。あいLOVE田舎暮らしとは、彼女が奈良、兵庫、滋賀の山間田中、緑のたなびくに視界一面を攫取せられる僻地において、空き家になった物件をめぐってロケする不動産斡旋のコーナーである。ここで刺激される価値観は、街の駅ゲロ、コンビニサラダ、バニラトラックをはなれて、田舎のとれたて自家野菜、昆虫の混声四部合唱、穴あきビニル裏返しの星空に親しんで、人間性をとり戻そうという自然回帰志向。都市生活者が一度は抱き枕にして眠る、楽園の暮らし向きである。テレビ慣れしない不動産屋のおっさんが妙な調子で言う、
「大阪からのアクセスもよく、家は縦貫道路から車で20分。車で15分のところにイオンもあり、大変住みよい立地になっております」
これを聞いて、
「どこが便利やねん」
と突っ込むのが、この企画の楽しみ方である。アホか。こんな田舎に住んだら不便すぎてやっていかれへんわ。ヘビは這う、イノシシは突く。夏は涼しいかもしらんが、冬は極寒と膝上10センチの積雪と格闘せなあかん。コンビニも遠いし、病院も遠い。コミュニティも閉鎖的かつ固定的でしんどいし、草木以外に語りかける相手がおらんから寂しい。やっぱり都会がええのんや、といまの住環境をまだましだと感じられる劣位の比較対象を提供するのが、このコーナーの裏の効能である。田舎暮らしもいいが、仕事が学校が、生活の基盤がこっちにあるから移住できない。あこがれとしがらみの苦悩を、980万円の庭つきログハウスの別荘――山に住むのはイヤだ。でも退職したら静かに暮らすのもいいな。買えない額じゃないんだし――で昇華し、明日の活力を得るために、デジタルの田園風景は消費される。

 

・どこいこ

海原やすよともこ、というこれまた関西色の強い姉妹コンビが、毎週ゲスト(テンダラーメッセンジャー黒田、兵藤大樹、トータルテンボス陣内智則笑い飯野性爆弾、ダイアン、天竺鼠アインシュタインツートライブ、プラス・マイナス、ミキ、令和喜多みな実、ゆりあんレトリィバァ)とともに買い物する番組である。ふつうテレビの買い物企画といえば、旬のフルーツ、流行りのグッズ、話題の新製品、手に入らない限定品、手の届かない高級品を、宣伝がてらに紹介するものか、芸人が集まって欲しくもないものを買って大騒ぎするものか、の2つだ。

『どこいこ』は、エディオンで単4電池、コーナンでハンガー5本セット、ダイコクドラッグでアタック1.8倍つめかえ用、北野エースチーズおかき、ライフでから揚げの惣菜など、およそテレビで映す意味があるのかと疑問を感じるほど日常に密着した、いや主婦の買い物そのものを見せつけられる。家具、家電、洗剤、食器、食品、雑貨、化粧品を実際に買って試したやすともの2人が「これええねん」と薦めるから、企業出資のPR企画と区別がつかない他番組より信用できる。その消費者目線が、大阪在住の主婦200万人にアピールする。駅ビルの雑貨店で「どこいこで紹介されました」と書いたポップをよく見る。どこいこで見たやつだ!と自分と縁遠い化粧水を見ても、興奮する。

僕は買い物が下手だ。ショッピングモールの回遊を思うだけで疲れる。買い物に食事に排泄、つまり経済活動と生理現象が一個の細胞で完結するのがモールだ。人・物・金・機能の凝集のただなかで、自分は単なる財布とモノ掛けハンガーに過ぎないと悟ったお父さんたちが、離島のソファで枯れ木の庭園を造っている。僕も将来的にはあの一団に加わると思うと、ディズニーストアにネズミ駆除の業者を呼びたくなる。

現実は商品の世界だ。宝石が、腎臓が、愛が、あらゆるものが値札を持つ。金で買えないものを大切に、と主張する本は金で買えるし、自給自足の田舎暮しも「番組を見た」で50万円の値引きが受けられる(あいLOVE田舎暮らし)。僕は学生時代を含めて働かない時期が長く、自由に使えるお金を持つことが少なかったせいで、どこへ行っても、どの店へ入っても、数字をもつすべての商品が、つまり世界のあらゆるものが、自分にたいして不可能性として立ち上がってくる一面を知っている。なにか物的なものはくだらないな、と思う蔑視、自分の低収入が引き起こす、欲しい物が買えない不満を解消するための窮余の策として、すべては初めから買う価値のないものだと割り切る諦観と無関心が生まれた。もっと買い物を楽しめるかもしれない、というもしもを投影できるのが『どこいこ』だ。自分ではぜったいに買わない柔軟剤、スポンジ、チャプチェの素などが、どかどか買い物カゴへ落ちていく。物欲に駆動せられた人間のあわれさを見ると同時に、「自由とは消費だ」という現代社会のテーゼを、芸能人でありながら大衆と同じスケールで実現する(そう、どんなアイドルもトイレットペーパーを買う必要性からは逃れられない)やすともに、敬意を覚える。僕にとって『どこいこ』は買い物の通信教育だ。

 

かつて文化社会学の教授は、テレビ番組はCMにくっついたおまけだ、と言った。たしかに放映時間こそ番組のほうが長いが、資金の流れとパワーバランスをみれば、スポンサーが主で、番組が従である。CMを見てもらうために番組が存在する。ポテチを買ってもらうために野球カードがある。耳栓をつけるために耳穴が空いている。だからテレビの話とは、CMを語ることであって、番組を語ることではない。テレビはリアルタイムで見るより、録画したものをCMカットで見るほうが時間効率が高い(人が低画質でもネットのアップロード動画を好むのは、つまらないところを飛ばせるからだ)と言っているやつは、何も見えていないのである。CMを見て、買い物する。このテレビとレジの往復が、僕らの自由だ。