おならっぷばーん

You can't fart without changing the balance in the universe.

こんなに暇でいいのか

 

できるビジネスマンは手帳を駆使しているそうで…

生産性の高い連中の行動論や養生訓をこれ金科玉条とばかりにあがめたてまつり、彼らの方法を下は愚民から上は平民にいたるまで浸潤させて、結果GDPを底上げしようとするのが、資本主義社会の用意する当然の精神性である。不出来なら不出来の者なりに、正規ルートに乗り損ねた落ちこぼれは落ちこぼれなりに、自分のぐうたらな性格や、ものぐさの生活術、でたらめな言い訳に自信をもって生きていけばいいものを、無理に社会の上層の価値観に擦りあわせ、そうあらねば、と自身に言い聞かせるところにつまらなさが生じるのである。

僕は学校を出てから、まともに社会人をした経験がない(就業経験のないあなたでも大丈夫。専任のエージェントがあなたにぴったりの求人をご提案いたします)。社会人としての規則や倫理観、発想を内面化していないこと、そういうものに毒されていないことを、自分の強みだとすら思っている。いや、そうでも思わないとやっていかれないのである。よく短所は長所、欠点は利点と言う。自分の弱みに引け目を感じて、うつろな鼓舞と深刻ぶった言い訳にくだを巻くくらいなら、その弱みを前面に押し出して、まともでないところで勝負したらいいと思うのだ。だから僕には手帳も手帳術もいらない。これに気付くまで一体何冊の手帳を無駄にしてきたろうか。そう言えば、ブログやインスタで、カラーペンとマスキングテープを多用した日記を公開している人がいるが、あれを見るとなんだか笑ってしまう。他人に見せるつもりで書いた日記が、いかに乾いた無内容を誇るか、あらためて実感させられる。ノートはきれいでも勉強はいまひとつ、という同級生なら過去にいくらでもいたのである。どうせなら「法事であのババアと会う。とっととくたばれ」と鉛筆で走り書きしてある日記のほうが、脳裡に映える。

こんな話をするのは『手帳300%活用術』を読んで、自分に予定を組むだけの仕事がないこと、よって手帳を1%も活用できないことが嫌になって、開き直りの弁を弄したというよりは、バイト先の半老人のおっさんから「やりたいことはないのか」と急所を突くような質問をされて、答えに窮し、うーん自分は何がしたいんだろうと、やりたいことなるものの幻影に神経過敏になっているせいでもある。

 

スーパーの早朝バイトだ。トラックは毎朝6時に荷受けに着く。それを待っている時である。六十恰好のおっさんは長時間の立ち仕事が身体にこたえるのか、壁にもたれてヤンキー座り、交通量のまばらな朝の道路を眺めている。

「遅いな。まだ来えへんで」
「遅いっすね」
「そういやお前、いくつやっけ?」
「今29っす」
「もう30やんけ。どないすんねん」
「いやあ」
「何かやりたいことないんか」
「うーん、これっていうのはないですね」
「やっぱり自分で何かせなあかんで」
「何やるにしてももう遅いですかね」
「いやいや、せめて40までには」
「40って遅ないすか」

僕は今まで人から先生と呼ばれる人間を何人も見てきたが、彼らは書類上の手続きがうまいだけで、つまらない学科の講師とはなりしも、人生の師と呼ぶには、年輪の魅力、ようは書物で取り引きされることばの知性ではない、自作の知恵に乏しかった。自分が積み上げてきた狭小ながら深い経験の層から、独自の経験則を抽出し、それを臆することなく他の事象にあてはめて解釈し、確信をもって行動していく自己中心の力強さに乏しかった。字を操り、字によって自身の進退を操られる人間の、これは正しい答えだろうか、とテストの二度見のような疑念につきまとわれている感覚、教育を受けた人間の怯懦な知的態度、弱さみたいなものが、そのおっさんには全くない。地元じゃワルで有名な高校を出て、職を転々としつつも、20代前半から疾駆して3人の子どもを大学に上げる。顔のシワが深まり、腰にサポーターを当てなければ満足に動けぬような歳になっても、ヒビ割れで真っ白の指先の手で、生活費を稼ぐために20代に交じって働き続ける初老の男を、僕は勝手に人生の師と認めている。

 

師には名言が多い。
「カスは何人集まってもカスや」
これは至言である。師は、現場の最長老であるが、最も重い荷物を扱い、それでいて最も仕事が速い。無遅刻無欠勤は当たり前。風邪で休もうものなら、「熱が何度あろうが這ってでも行くんが企業戦士いうもんや。昔、風疹なってフラフラで会社行ったら、みんな頼むから帰ってくれ言いよんねん。ワッハッハ」と、旧き良き日本の風情を持ち出してくる。嫌味でなく、さわやかな笑い話としてである。「何人休もうが、こんな仕事変わらへんねん。いや、かえって人が多過ぎるほうが、皆怠けて働かへんくなるやろ」「この仕事は遊びや」「今日はどうやって遊ぶかな」。ああバイトつまんねえな、こんなことして何になるんだろうな、と労働の価値を、作業内容の意味を見出せずに気が滅入っているとき、そうかこれは遊びなんだ、最初からまじめな意味なんてないんだ、と思うと気がラクになる。人生をサバイバルする要諦は、無意味なことに意味をもって向かうことである。さすれば、意味あることをすべて無意味なものとして扱うことができる。という禅問答みたいなことばを、特殊部隊に入るための拷問訓練のくだりで読み、関心したのを覚えている*1。水責めの苦にも意味が見出せれば、百の人命がかかった重大な任務も無意味の軽やかさで乗り越えられる、と言うのだ。その理窟は判らないが、何にでもすぐに意味のあるなしを測って疲れてしまう僕は、意味に無意味を、無意味に意味をもって立ち向かう姿勢に癒しを得た。エピクテトスは言う。「人を不安にさせるのは事柄そのものではなく、事柄に関する考えである」。

 

師曰く「40までに自分の仕事を見つけろ」。僕が入りたての26,7のときは「30までに」と言っていたので、期限が大幅にスライドした。目の前のどうしようもない若者を、いやもう若者とすら呼べないクズを気遣ってのことだ。口は荒くても根が優しいところに僕は惚れている。「人間は気のもんや」という簡潔な定義に、世渡りの奥儀が隠されている。「何かやりたいことないんか」に答えられなかった。この白紙の答案について、ここ数日ずっと考えている。やりたいことがない、という状態をなにか悪いことのように思うは間違いではないか、と疑っている。やりたいこと、好きなことなんてないほうがかえって健全ではないか、と思っている。なにかに没頭すること、こだわることは、それ自体愚かしいことだと感じている。

無理に気力ある人になろうとしないで、無気力を認めてしまったほうが楽になれる。やる気がないのは、何をするにしても欲望を掻きたてる世の中にあって、得がたい心性だと心得る。勤勉な師の前では言えなった、やりたいことがある。それは誰からも干渉されない自由な時間をできるだけ多く持つこと。つまりめちゃくちゃダラダラすることだ。バイトが終わって午前9時、ここから本業、家業、学業、主婦業に向かう人が多い中、僕は家に帰ってYouTube三昧。眠くなったら寝、腹が減っては食べ、偉そうにしたくなったら読む。ここ数年ずっとそんな生活である。

タイの仏教僧は、厳しい修行の日課をこなしているかと思いきや、基本のお経を唱えて、朝の托鉢を終えたあとは1日12時間くらい暇をする*2。散歩したり、瞑想したり、雑談したり、戒律に触れなければどう過ごそうが自由だ。仏教学者の佐々木閑が分析するには、釈迦は仏教徒の共同体をつくり、修業しながらも肝心の飯は乞食して回ることで、一切の生産労働から逃れ、膨大な自由時間を確保した。その時間を何に使うのかといえば、ひたすら自分と向き合うのである。徹底して自分と対峙することが修業になると言うのである。これを聞いたとき、僕と一緒じゃないか、というか仕事もせずに親の世話になっているニート・フリーター全国100万人の友はみな、膨大な自由時間に自分と闘っている孤独の修行僧なのだ、と気付いた。そうだ、僕らは日々のんべんだらりと生きている風に見えるけど、実はタイのお坊さんたちと同じくらい厳しい修行を積んでいる偉い存在なのだ、と開き直ると、まことに気は軽くなって結構なのだが、彼ら本場本物の修行僧たちは一切の娯楽が禁じられていて、食事も1日1回のみ、小腹がすいてはポテチを食い、やりたいときにセックスし、ゲーム漬け、ギャンブル中毒、ネット依存、持てる時間のすべてを娯楽に費やしている僕らとは、修業の性質が根本的に違うのである。彼らが苦行(もちろん釈迦の教えは中道。極端な苦行を無意味だと退けるが、坊主の貧相な暮らしは、僕ら凡俗にとっては苦行である)なら、僕らは楽行に身を投じているわけである。娯楽なしの修業中にほんとうの安らぎが見出され、楽しみたい、楽したいばっかりの楽行中に、なんやかや身も凍るような苦しみが各人を待ち受けているのはなんという人生の皮肉だろうか。僕が日々、自身の無力感と不確かな期日の切迫感、不安、自己否定の感、頭髪の後退、陰茎の無動作性委縮、手荒れ、鼻脂、脇のにおい、光熱費の支払い、ペットボトルのリサイクルに悩んでいるのは、すべて楽行中の苦であるというわけだ。

 
「お前いくつになったんや」
「もう39ですわ」
「何かやりたいことないんか」
「まだ見つかりまへん」
「そうやな、せめて50までには……」

 

*1:”The secret of success is this. Train like it means everything when it means nothing - so you can fight like it means nothing when it means everything.” The Good Psychopath's Guide to Success by Andy McNab, Kevin Dutton

*2:斎藤成也, 佐々木閑生物学者と仏教学者 七つの対論』