おならっぷばーん

You can't fart without changing the balance in the universe.

寄せ書きってなんなん


ことばは詐欺である。最も性欲が強いのはうさぎである。だからプレイボーイは口先の曲芸で女を裸にし、雑誌は白い小動物をトレードマークに採用する。ブログは、こんなことを書いておけば、いくらでも字数を稼げるが、寄せ書きはそうもいかない。名刺半分サイズのふせんの、たった数行が埋まらない。3センチの罫線は万里の城壁。あいだ7ミリの空白が遭難を誘う雪の原野に見えてくる。


バイト先のパートのおばちゃんが辞めるので、書いてくれと頼まれた。一体、僕はこの寄せ書きというものの意味がわからない。学生時代から、部活をやめる先輩、もう会わなくなる担任に何枚も書いてきたが、心を込めたことはない。心を込めるほどの付き合いも思い入れもない。ああイヤだイヤだ、面倒だと思って書くのが解るので、貰う側になっても、一度目を通して、どいつもこいつも当たり障りのねえこと書いてやがんな、と思って捨てるゴミである。部屋に、居酒屋バイトの色紙、大学サークルの集合写真なんかを飾っていると、ああこいつは人格が円満なんだな、と思って急につまらない人のように見える。僕は、色紙をやりとりするような人間関係を作れないし、色紙に飄々と心にもないことを書いて何も思わずにやっていける社交術も知らないので、順調に寄せ書きを収集・分配している人をみると、うらやましい。


「こういうの苦手やねん。なに書いたらいいか分からん」
と言うのは、辞めるおばちゃんと10年の付き合いがある、背の低い、子どもみたいな顔で笑う40代のおじさんだった。彼はずっとそのおばちゃんと同じ部門で働いてきた。仕事はスーパーの品出しだが、大型店ゆえにセクショナリズムが強く、従業員が一緒になって商品を出すというよりは、パンはパン、肉は肉、豆腐は豆腐と、明確に担当部署が決まっている。病欠、遅刻による多少の移動はあるが、基本は入社時の振分が固定される。だから朝顔を合わせて、終業時までほとんどすれ違わない人も出てくる。僕にとって、そのおばちゃんは、まさに縁遠い人であった。

「なに書くか迷いますね。とりあえず最後まで書かないとアレですもんね」
と調子を合わせて答えた。そのとき僕は、羊羹とゼリーを載せた荷物台車の空いた棚板のうえで、雲のかたちに吹き出したふせんをちびちび埋めているところだった。おじさんが覗き込んで、
「やらしいな君、いっぱい書いて。俺のこれ見てや」
おじさんのふせんは大きい四角だった。むろん紙の大小は、書き手とおばちゃんの交際の深浅にあわせて、送別会の主催者が手配しているらしかった。おじさんは棚板に肘をついてひょろひょろとペンを動かした。
「どや。もう書くことないし、これでええやろ」


ふせんには、充分に余白をとって

今まで
ありがとうございました

と書いてあるだけだった。僕はこの、最もありふれた社交辞令の定型文に深い愛情を感じた。付き合いが深いからこそ何も書かなくていいのだ。短いことばでも足るのだ。いや、こんなふせんじゃ思うところは書き出せないと充分に伝えきる名文だった。それに比べて、交際の浅い僕は、あの時こうしてもらって嬉しかったです、だの、毎日のあいさつで元気が出ただの、記憶のしぼりカスでなんとか空白を埋めようとした苦心と潤色の跡が見えて、読み返すほどに見苦しかった。ことばは長さではない。もっというと、ことばもいらないのだ。気持ちが気持ちで伝わる関係があったならば。