おならっぷばーん

You can't fart without changing the balance in the universe.

髪を切ったらブログを書きたくなるのはなぜだろう

 

1000円カットの自販機が1100円だった。ここはボッタクリバーバーだ。大人1100円・小人1000円という値段が店のあやしさを物語る。駅構内の狭小テナントで、座席数3にたいして従業員数2。引き算の間違った床屋が、やっぱり帳簿も間違えて、今年頭に閉店した。ある理容チェーンがそれを買取り、設備そのままに運営している。昔の免許に食わせてもらっている、やっぱり手に職はつけるものだ、といった感じのありありと伝わる、やさぐれの中年バイトの理容師しかいなかったのが、系列店から送られてきた、俺の指さばきはハサミがないときに本領発揮しちゃうすけどね系の、チャラく、あかぬけたお兄さんばかりになった。

丸めがねがついた。僕は丸めがねの人間を信用しない。黒マスク、白パンツも同様である。若い人の丸めがねは、はやりに乗ってゴキゲンだねえ、と対岸の火事で眺められる。ところが、僕についた丸めがねは、側頭に白の混じり始めた40代の、本気で丸めがねをかけこなす、正統派であった。

開始10分、なにも話さない。安心して目を閉じる。鏡の自分とは目が合わせられない。ハサミがバリカンに変わり、ラインを合わせる最終工程で、
「これからおでかけですか」
ときた。男が加湿器だったらまちがいなく自然気化式の、うすく、優しい声だった。しゃべりっぱなしではつらい。だから、去り際ふたことみこと交わして関係をしまっておこう。業界歴の呼吸を感じさせる技ありの第一声であった。
「いや特にないです」
しかし相手が悪かった。日曜午前の散髪とくれば、気持ちも新たにパチンコ台へ向かうというのが多重債務者の生活習慣である。借金できる信用さえない僕は、気に入った本をアマゾンの欲しいものリストに入れて帰るという、愚にもつかない遊びのためにわざわざ駅までやってきた。

さすが熟練の理容師、予定なしにも一切うろたえず、
「にしても暑いですね」
と鉄板の天気ネタを放りこむ。
「暑いです。30℃近いって言ってました」
「もう夏ですわ」
「まだ5月なのに」
「そう」
この店もすごい暑いですもんね
と言うのをためらった。店は、経費削減のため、どの商店も冷房をつける夏日に、自動ドアを開けっ放しにする措置のみで、風通し悪く、タオルの蒸し器やドライヤーがむんむんと稼動する溶銑炉の労働であった。そこで店が暑いと口にすると、クーラーをつけろと注文しているみたいだ。丸めがねは沈黙の間が気まずくなる前に、
「このあいだも救急車で運ばれてましたよ」
熱中症ですか」
「いろんなところで倒れてます」
「昔は熱中症なんて言わなかったですよね」
「そう、暑かったはずやのに」

昔話である。バイト先のスーパーで60代に囲まれて仕事すると、すぐに「昔は〇〇だった」「俺が若い頃は××だった」と歴史の講義が始まる。年寄りは、軍手とアナログラジオ、そして昔話が好きなのだ。丸めがねは年寄りというには若すぎるが、年長者に変わりない。
「昔の運動部はこんな日でも、一滴も水を飲まなかったんでしょう?」
「いや、大変でしたね」
ここから男の述懐は始まった。思い出はいつも甘美である。誰しも純粋な肉にしみ込んだ、運動の記憶がある。定型のドラマにやすい感動が残っている。男の話は省略するが、飲まずにはやっていられないので隠れて飲んでいた、という話だった。君はどうだ?という顔をするが、僕はテニス部でも最後の試合を無断欠席するような部員だったので、空のあいづちを返すのが精一杯だった。丸めがねの首すじは汗に濡れ、僕はケープの下で脇が濡れる。それでも水を飲まずに、じっと耐えている。そう、ここが昔であった。令和の丸めがねであった。どんな今を生きても人は、凝固した時間のなかを飛び続ける、こはくの虫であった。