おならっぷばーん

You can't fart without changing the balance in the universe.

29歳にして家を出てはじめて気付いたこと

 

旧居を実家と言い、新居を家と呼び始める。両家は自転車10分、原付なら5分の同市内にあり、別天地で新生活が始まる、と言うよりは、デイケア施設と自宅を往復する老人のようである。彼らは除菌されたリハビリ台で日常生活への復帰を試みるが、僕は彼女の買ったテレビと冷蔵庫のあいだで、社会生活への復帰を目指すか、目指すまいか迷っている。保健体育の教科書がいう「標準」のライフステージでは、10代後半か20代前半に自立するようだが、僕は角のコラムで「深刻化する中年ニート問題」として扱われるような年齢で、やっと家を出、衣食住のごく些末な問題に頭を回すようになり、大発見をした。アメリカ旅行で新大陸を見つけたと騒ぐような話だが、これはそのレポートである。

 


 

Wi-Fiありがてえ

親の前に、ネット回線に感謝したい。引っ越し1週間で、まだ不通である。アパートの全戸加入プランへ申請書類を送ったところだ。スマホで免許証を撮って送れば、金融屋が金さえ貸してくれる時代に、あろうことかネット回線を提供する会社の手続きに、のりとハサミと紙とコピー機が必要とはこれいかに。免許の交付に「電車かバスでお越しください」と言われるようなもので、バイクの免許ならあるのに、ともどかしさを感じる。僕のバイクは月3Gまで高速通信できる格安SIMで、越してきた4日目にデータを食いつぶし、1枚の画像表示に15年前の電話回線のようなジリジリした攻防が生じる。ショッピングモールの無料Wi-Fiで、観たい動画を片っ端から落として帰る、電波乞食の生活だ。低速でも素早く読み込めるテキストブログの存在にありがたみを感じたので、今回は画像がない。

 

・サードプレイスありがてえ

実家なら両親、家なら彼女と同居なので、人の目は免れない。便座に腰かけるとき、風呂場の鏡を見るとき、ひとりが恋しくなる。彼女は仕事が始まっておらず、連休も重なり、大小の排泄時を除いてほとんど同じ時間、同じ場所で同じことをしている。寝転がって本でも読もうものなら、片づけとか皿洗いとか他にもやることがあるだろう、という目で見られる。日中、家に居場所のないお父さんたちが、喫茶店競艇場、パチンコ屋、釣り堀、ジム、フードコート、打ちっぱなし、公園、排水溝、地面の割目、持ち上げた石の裏へ、逃げるように集まっている理由がわかった。当店はお客さまのサードプレイスとなるようなカフェを目指します、と聞くと、たかが茶1杯に何がサードプレイスだ恰好つけやがって、と思うが、家でも職場でもない場は稀有であることを身をもって知る。家人と社員の目の届かぬ場所なら、数円で飲めるコーヒーに、100倍の値を払ってもいい。彼女のフルタイムの仕事が始まったら、しばらく主夫のような生活スタイルになる。令和元年からこのブログは、実家にこもりがちの視野せまい系フリーターがヘンなことを言うブログから、主夫の100円ショップ活用術、あんなモノまで作れちゃうカンタン節約ブログへ変わる。

 

・テーブルは、玄関のサイズを測ってから買え

ニトリのダイニングセットは、4人用のテーブルにイス2脚とベンチチェアで3万円。先日、3千円だと思ったマットレスが1万3千円であることがレジで判り、ゾッとしながらも恰好つけて返さなかった僕の財政はあやしく、中古は嫌だと言う彼女を「君が生まれるときに通った産道だって、君のお父さんの使い古しさ」という論理で攻略し、リサイクルショップへ連れだした。そっくりのセットが1万円台である。店の軽トラで自走すれば、割引もある。買った。

福山雅治似の男が八重歯をちらりと見せて、
「このテーブルは脚がすぐに取り外せない構造ですが、お宅の玄関扉のサイズは測られました?」
僕らは顔を見合わせた。床に透明の家具を並べる空想だけ楽しんで、産道には気が回らなかったのである。不備を察した福山は、
「持って帰っても、家に入らなかったケースが多々あるのでね」
と独りごとのように言う。その場合どうなるのか続きを話さないし、こちらも聞きたくなかった。ここでドラマなら雨が降る。現実にはゲリラ豪雨が降った。アパートの通路に放り出されたダイニングテーブルが、わびしく雨に打たれる絵で、僕の空想は書き換えられた。

結果から言うと、玄関には入ったのである。ところが、居間へ抜けるドアに天板がつかえて通らなかった。分解すればどうにかなる。ただ脚を外す工具を探し求める気力が失せて、とりあえず軽トラを返しに戻った。
雅治の八重歯がチカリと光る。
「無事に入りましたか?」
「ええもちろん!」
勢いで答えてしまった。テーブルは廊下で、干上がったカナブンみたいに足ピンのままひっくり返っていることを、ましゃは知らない。

 

・他者性を受け入れる

『バカともつき合って』によると、芸人以前、20代でサラリーマンをしていたマキタスポーツ青年は、孤独のうちに、自分だけの聖域=バカを排除した神聖な箱庭をつくっていた。ところが彼女(妻)を得て、狭い宇宙が壊れていく。他者が、独りよがりのバカ状態を抜け出す機会を与えてくれるという。僕は毎朝トイレで、彼女がとりつけた便座カバーと対面するとき、知らない人間と出会う。肌が直接触れるのが嫌らしいが、僕はシートになにかが(そんなもの1、2種類しかない)付着しそうで、気味が悪い。マキタ氏に倣って、なにも言わずに受け入れる。浴室のマットもそうだ。座るとき快適らしいが、僕は尻をついても床の硬さを気にしない。異文化の衝突はまだある。Tシャツを干すのに肩の縫い目をハンガーに合わせる、スリッパを履いて移動する、寝るとき以外テレビはつけっぱなし。ハヤシライスのルウが安いという理由で、開店前のスーパーに並んでいるとき、僕は自分の生活が始まったのだと不意に思った。スーパーには並ばない、ハヤシライスも食べない。店が開くと同時になだれ込む人。サングラスのおじいが「おい姉ちゃん、※○△はどこや」とわめき散らす。群衆を器用にかき分けて、人波のかなたへ消える彼女。空のカゴを持ったまま、おばあのカートに挟まれて身動きできずにいる僕は、ああ自分の闘いがここに始まったのだ、と気付いた。