食評第2弾は「かし原の塩羊かん」である。なんだろう、この大阪のオバハンのクローゼットをスケルトンにしたようなお菓子は。僕にも少なからず大阪のオバハンの血が流れているので、妙に惹かれるものがある。
そして、この塩(シオ)である。
文字の中心線を崩してまで、塩をシオと読ませたい理由はなんだろうか。エンでもシオでもどっちでもいいじゃないか。そもそもどうしてパッケージの真ん中に「塩」を置かねばならんのか。ほかに味噌、しょうゆのラインナップがあるなら、区別のために書くのも解るが、そんな同系統の羊かんはない。というか食べたくない。
毒ヘビの脱皮ですか?
開けやすいように切れ込みが入っている。
意外と優しいところもあるのである。
ソリッドな寝ぐせが食欲を奪う。歴史の教科書でみた石包丁そっくりだ。バナナを捨てたあと数日間放置したゴミ箱の臭気がする。これは僕の部屋のにおいであった。つまり無臭なのだ。鼻の先が当たるまで近づいても、ファブリーズの無香料よりにおわない。
う、うーん…。
しまった、木工用ボンドを食べてしまった。という勘違いが消えるのは、ちょうど餡がつぶれて溶ける頃。あずきの甘みの波が、ふた口三口と進むうちに、みるみる増幅する。無味無臭だったのが、甘すぎるくらいだ。このまま甘さが止まらなければ俺はどうなってしまうんだ、という切迫感と期待感がMAXになったとき、1本目が終わる。
真夏に触れる毛布のように、身体がひっつくのさえうっとうしい。早くシャワーを浴びて、汗を流したい。汚れた先を水にさらしたい、となる。時間をあけて、2本目にいくと、味が消えている。また1からやり直しだ。
「砂糖・生餡・水飴・寒天・塩」
こんなシンプルな裏書きみたことがない。デキストリン、カラメル色素、ソルビトールの横文字なしに、室町時代の漢字だけで構成されている。中居・木村・稲垣・草彅・香取の神々しさである。
味がシンプル過ぎて、決め手に欠ける。僕にはまだ早すぎたようだ。ハデに着飾った大阪のオバハンも中身は純朴なのである。ん、
東京のオバハンだった!
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