おならっぷばーん

You can't fart without changing the balance in the universe.

暇人の美学

 

第一次大戦下のフランス、闘う仲間の四肢が、腹が、顔が吹き飛ばされる凄惨な光景を、つまり戦争の日常風景を、幾度も目にしたせいでおかしくなった僕は、兵隊として使い物にならなくなった人間を入れておくためのゴミ箱みたいな収容所に送られることになった。

慰問に訪れた劇団が、戦意高揚のために上演した愛国の物語に、うその涙を浮かべて、そばで見守る医師に看護師に、心の正常をアピールする。ほんとは戦争なんてクソ喰らえだ。こんなことで命を落とすくらいなら、餅をのどに詰まらせて死んだほうがまだ意味ある死だ。

食堂で役者相手に、でっちあげの武勇伝を聞かせてやっていると、錆びた銅板の顔に、ホクロみたいに緑青のかたまりをくっつけた大仏が、合掌したままのそのそと部屋に押し入ってきた。おい皆、あそこに大仏がいるぞ、と指をさして教えてやると、周りの患者と劇団員がすべてきたない羊に変わっていた。

これが僕の初夢である。

寝る前に開いた本の内容が、ごちゃまぜになって出てきた。精神病院はセリーヌ『夜の果てへの旅』、大仏は道元正法眼蔵』、羊はベルクソン『意識に直接与えられたものについての試論』の、

50頭の羊そのものは脇に置いて、それらの観念だけを保持することにしよう。その場合、われわれはすべての羊たちを同一のイメージにおいて理解するか、どれか1頭の羊のイメージを50回反復するかのいずれかであって、前者の場合には、われわれは羊たちを理念的な空間のうちに併置する必要があり、後者の場合には、羊たちの系列は空間よりもむしろ持続のうちに場所を占めるように思われる。

という悪夢のように意味不明の箇所だ。

 

 

・・・

 

年賀状は1枚も来ないが荷物は届く。

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CD3枚
Kenny Dorham – Quiet Kenny
Enrico Pieranunzi – Special Encounter
Donald Harrison – Nouveau Swing

本1冊
岩波書店『日本思想大系・近世芸道論』

収録された茶の書『南方録』にみる千利休の美学が、禅の境地に近いと言うので、読んでみたくなった(竹村牧男『はじめての禅』講談社現代新書

 

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でも茶器の置き方ばっかりで、なんか思ってたのと違う…

 

僕は年がら年中だらだら過ごしている。正月は皆が同じようにだらだらしていると思うと、心おきなくだらだらできる。まとまった休みがとれないまともな社会人の友達は、隙あらば飲み会、ゴルフに出かけて忙しくしているようである。予定を増やそうと思い、月間カレンダーだけの手帳をやめて、ワンサイズ大きいものに買い替えたのに、いまだ書き込みはない。千利休は、雪間にねむる青葉を愛でた。彼は「単なる否定一辺倒の世界にではなく、否定の極みにおいて、かそけくも真なる生命がういういしく萌え出ずるところに、わびの美学を見ていた」(前掲書)らしいが、僕の手帳の雪の深きに、否定一辺倒の不毛な世界に、なにを見るだろうか。あまりの予定のなさに、コーヒーを吹き出すんじゃないか。