おならっぷばーん

You can't fart without changing the balance in the universe.

一般文芸書@4968

 

休みだったので、梅田でお買い物しました。

Loftにガンダムの巨大な頭がありました。ガンプラEXPOの開催中らしく、それもイベント最終日にうっかり乗り込んでしまったのですが、会場には不思議そうな顔でプラモデルの写真を撮る外国人観光客が3人いるだけで、図書館の自習室のような静けさでした。

ガンダムも人気なくなったのかな、と思いましたが、こんなビジネス街のど真ん中で平日の昼間っからウロウロしてる奴のほうがおかしいんだよ、と1/1スケールガンダムヘッドの口が動いたような気がします。

 

文具コーナーでさんざん迷って買わなかったのが「エディターズシリーズ」というノートです。

カバーのシンプルさ、手触り、色がすてきでした。ノートはうすい方眼紙で368枚、同じ厚さの製品とくらべると、2倍のページ数があります。これ1冊で1年持つぞ、どうする買うか、と自問すると、押入れに山を成す未使用ノート、なにか崇高な目的をとちゅうで断念した使いさしノートの大群が目に浮かび、買えませんでした。

そもそも毎日の生活で記録することがありません。『僕の人生』という題の作文は「特記事項ナシ」の1行で終わっても先生から満点がもらえるくらいです。そんな状態で、ノートがあれば書くからと主張するのは、ゲーム買ってくれたら勉強するからと言う小学生の約束ほど信用できません。

 

ノートを我慢したぶん、本を買ってしまいました。

f:id:gmor:20171113192051j:plain

f:id:gmor:20171113192058j:plain

1点4,968円…

 

買ったのは、

f:id:gmor:20171113192106j:plain

ダントーの『ありふれたものの変容』という本です。

 

まえに佐々木健一『美学への招待』を読んだとき、繰り返しこのダントーという名の哲学者に言及していて、その幕の内、崎陽軒のシウマイといった感じの名前が気になっていました。

美術館へ行くと、道で拾ったゴミを丸めてつくったみたいな物体が展示されていることがあります。道ばたのゴミと、その作品では何が違うのか。芸術と非芸術を分けるものは何なのか、と気になります。その疑問に答えたのが牛肉どまん中らしいのです。

モナリザ』とデュシャンの『泉』をともに満足させるように[芸術を]定義することは、ほとんど絶望的です。そこでダントーの提出したテーゼは、<<何が芸術であるかは、アートワールドが決める>>というものです。この「アートワールド(芸術界)」とは、芸術に携わる専門家たちの集合体のことです。すなわち、芸術家、評論家、学者、ジャーナリスト、美術館の学芸員たちが、この「アートワールド」の住人たち、ということになります。
佐々木健一『美学への招待』p.171

だったら業界人の言ったもん勝ちじゃね? と思うのですが、くどくどと作家のパッションが…と言われるより、彼の説明のほうが実感に即していて、もっと詳しく知りたいと思ったのでした。

こういう翻訳書は、原書にあたったほうが安いし、訳者が「ダントーの文体は文学的要素をたぶんに含んでいる」と言うように、文章を読む楽しみも増えるのですが、いかんせん話の抽象度が高く、英検5級の僕にはついていけないと判断して、長年慣れ親しんだ日本語で読むことにしました。

 

 

その他気になったけど予算不足で買えなかった本。

 

ビアトリス・コロミーナ他『我々は人間なのか?』

紙面構成がすげー格好よかった。
デザインを語る本はまず本じたいのデザインがよくないと、太ったジムのインストラクターみたいに説得力ねえぞってことなるから大変だよね。

 

原研哉『Ex-formation』

なんだ学生の作品集かよって思ったけど、美大でデザインを学んでる奴らってやっぱすげえセンスしてんな、と感服した。僕らはなんでも情報化して、すべてを既知にする社会に生きているけど、その流れに逆らうように、デザインを通して日常を未知化していく、という授業のコンセプトにも惹かれました。でもそれってほぼアートだよね。芸術と非芸術、アートとデザインの差とは……もうわけわかりまへん。