おならっぷばーん

You can't fart without changing the balance in the universe.

業界用語「メシアゲ」とは


どこにでも業界用語がある。符丁がある。ゴミ回収業で「ドロクボ」といったら水を含んで重くなったゴミ袋のことだし、スーパーで「やっちゃか」といえば、値引きシールを張り替える行為を指す。水商売で「げなん」と称すのは金のない客で、時計を現金で買いたがる客は、「un éternuement(アネテルニュモン)」(フランス語のくしゃみ)とブティックで呼ばれる。これらは当然にいま思いついたでまかせだが、ようするにどんな組織であれ、部外者には杳と知れない独自の言語圏を形成するものだ。

クリーニング業界に身をおいて正味2ヵ月を過ぎたところで、前々から耳にしていた奇妙な言葉「メシアゲ」の内実をついに掴むことができた。「これはメシアゲでいける」「所長のメシアゲはうまい」「忙しくなってきたら、メシアゲが効力を発揮する」という実例から、洗濯した衣服をスチームアイロンで仕上げる作業のうち、なにか特別な器具装置をつかって、熟練の技で、手早く、服のしわをとり、縮みを伸ばして、きれいにすることだと思っていた。なるほど事業所に高らかと掲げられた所長の「クリーニング師」の資格免状は、ここに実体を伴うわけだ。ところが実際の「メシアゲ」の場面に居合わせると、ハンガーにかかった服の型を整えたり、目立つホコリを取り除いたりするだけで、一切手をつけない。メシアゲとは、あえて仕上げる必要のないきれいなニットやダウンジャケットを、目ぢからで仕上げること(つまり仕上げたことにすること)、であった。しなくていいことをしないのは、利潤を追求する経済活動からいって正当である。僕はこれを省力・省時間のビジネス的視点から褒めたいのでなくて、何もしないのを目でもって仕上げている、と読み替えるおしゃれさに惹かれる。メシアゲの場面では、目から出る光線に防虫効果がある、ダメだ目が疲れてきた、等の冗談が発せられる。今後もおもしろい言葉を発見次第、報告していこう。

この記事は推敲なしの目仕上げで出荷しています。

 

初任給だ!

 

生まれて初めてもらう月給が、明細をウキウキして持って帰って未開封のまま神棚に供え(そんなものないが)、こんな僕を雇ってくれた社長、いっしょに働いてくれる仲間、日々の事業を成立させる設備、またその機械類をメンテナンスする人、備品を買ってくれる人、届けてくれる人、アイスのど飴ホームパイを常備してくれる工場長の奥さん、ご飯を作ってくれる彼女、2万円のPCを5万だと申告しても、型式もググらずにお金を払ってくれるお母さん、またその金を捻出しているお父さん、そして何より仕事を作ってくれるお客さまに感謝して、明細にハサミを入れる。二つ折りで総支給額を最後まで見せないのは憎い演出だ。映画のラストにタイトルを持ってくるはやりの手法だな、とか何とか言いつつ目にした数字は140,***。おい、バイト時代(13万)と少しも変わらねえじゃねえか。それもそのはず、給与はすべてかつてと同じ時給1,000円で計算されているのだ。聞いてた話と違う。信用を裏切られた怒りのあまり涙目になった。これまでの労働のモチベは、ふふふ、時給計算すれば、ここにいるパートさんの誰よりもいい額を貰えるんだ、しかも事務所に座って何もしていない時間についても支払われるんだぜ、と得意になれることだけだったのに、この1ヵ月ほんとうにバイトとして働いていたとは。気持ちを見透かされていたのか。僕は神棚をめちゃくちゃに壊し、すべての関係者を憎悪し、勤労意欲を失くした。

夜、寝る前の日課の読書中も、どうやって文句を言ってやろうか、「給料は月給制で、基本給が…」と話した担当者にどう詰問して、うろたえさせてやろうか、仮に差額がのちに振り込まれるようになったとしても、支払いの遅れたぶんの遅延損害金を年率何%にしてやろうか、と対抗シミュレーションがめらめら膨らんで、本どころではなかった。炎のかなり後景に、「おやおやそんなにいきり立って。田舎の中小企業に勤めるとは、ずさんな労務管理に堪えることだぞよ」とつぶやくお地蔵さんもいたにはいたが。

翌日、開口一番に「金金金だ、給料よこせ」と詰め寄るのでは、夏休みだよりの注意「拝金主義に陥らないようにしましょう」を破ってしまうので、仕事終わりにあっそういえばのトーンでしれっと伝えてみた。確認を経たのち、給料日の今日、前出の給料と差額がいっしょに振り込まれていた。わくわくして見る残高の追加額、2万円弱。僕の懊悩、激昂、交渉、悲嘆、感涙はすべてこの2万円弱のために。2万円弱、これを勝ちとるために闘うのが、労働者のリアルさ。