おならっぷばーん

You can't fart without changing the balance in the universe.

嫁に内緒で4000円のルービックキューブ買ってビビらしたれ!

 

やっぱり男ちうのは、遊びやね。道楽で値打ちが上がる。落語の枕でいいよるやろ、えー昔から男の三大道楽というのは飲む、打つ、買うと言いましてえ。わいは全部やる。これが近代三種のオリンピックやったら日本代表や。世界のドンフアンと闘うて、メダル獲って、帰りの電車で鏡面におなごのパンツ覗いたる。世界の政治力学はつねに女のズロースならびにシュミーズの色に表れるのであります。

酒を浴びる。競艇で勝った日なんかにね、5リットルの焼酎ボトルを給湯器に挿して、お湯割りのシャワーで祝杯をあげる。顔洗いながらごくごく飲む。湯けむりのなか酩酊すると、さも空を飛ぶような気分です。星野リゾートもこんなん考えつけへんやろ。酒池肉林で、酒の湯船に女はべらしてちちくり合うのも実に理想やけど、家にはヨレヨレのぽちゃぽちゃのカカアしかおらん。せっかくこっちは今日は12ラウンドまで闘うたるで、いうボクサーの気持ちやのに、あんな体にはピクリともせえへんで。テレビ通販でやってる和式便所の踏み板が左右にスライドするような怪態な運動器具でもって、おのれのワギナ鍛えて長瓜でもまぷたつに割って晩飯のおかずに添えたらんかい。せやけど街なかでみる、女性だけの30分の健康体操「カーブス」いうのは、男はあかんのかい、と看板みただけでムッとするな。そんなん通ても、所詮かあブス、母ちゃんブスのまんま、いうのが音韻から秘密裏に納得されるから男は怒らへん。こら、うまいことでけたある。

最近の遊びは、回すやね。回すいうても、昔ワルの仲間とやったような女遊びとちゃうねん。昭和のおもちゃルービックキューブだすねん。6色が目まぐるしく色を転じて場所を変えてグルグルぐるぐる回る様子は、熱中すると視覚がキューブに拡大限定化されて、世界中が色の組体操、LSDの切手シート舐める遊びの再現や思うくらい楽しい。この立方体に命かけてるときだけ、カカアの小言聞かんでもすむし、明日のしょうむない仕事のことを考えんですむし、街金からつまんだ300万やら、米兵とかけおちした娘のことやら、血液の異常値やら、手つけたパートのおばはんの始末やら、経理ちょろまかして得た小銭やら、年々薄くなる髪の毛や、当て逃げしてもたベンツのことや、わいの前科について近所にビラ撒きされた嫌がらせのこと、みな忘れられる。レールの移動規則に支配された完全立方体だけが、外のごたごた、例外、まやかし、でたらめ、狂気、罵詈雑言、おちゃらけ、冷笑、ひそひそ話と隔絶した永遠の真理やねん。6色やけど、わいにとったら黄金一色、まばゆいばかり。

 

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「4000円やないかボケナス」
カカア怒りよった。わいが3000円や言うて、3980円のキューブ買うたから。3000円代やがな、差額たった980円でそない怒るかいうくらいヒステリックにわめき散らしよった。1000円を慎重に扱わな破綻してまう家計みたいで、わいが格好悪いやんけ。自分では5000円6000円もする化粧品買ったりして平気な顔しくさってからに。あかん、むしゃくしゃしてきた。またぞろヤクルトのおばはんでも呼んでいてこましたろか。婦人倶楽部のお茶会で薬盛って全員かわりべんたんに犯したろか。昔の人は「女のスカートの下にはどういう結構な孔があるのだろう。浅く掘れば薬瓶だし、深く掘れば棺桶だ」と言うた。なにが薬瓶じゃアホンダラ。わいは町内で一番深い棺桶穿ったる。ブラジルまで掘って南米女あさったる。幽霊女はお手の物、古代は恐竜の幽霊だってディロンからマメンチサウルスまでみな姦したる。

 

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「新しいのは何が違うのん?」と聞きよる。素人丸出しの質問はやめてくれんか。回し心地が全然違うやないか。以前の安物が手押し車、唐茄子売りの天秤棒やとするとやね、今回のはハイブリッドカーのなめらかさと静けさや。証拠に磁石はいっとるがな。磁石は血流ようして肩こりに効くいうのと同じで、キューブの流れをよくしよる。前に今年の目標は1分切りと言ったけど、早々に達成でけた。このキューブ使うたら48秒でたがな。見とけよ、30秒切ったら今度は7000円の買うたるからな。

 

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カカアは嫌がっとるけど、こう並べたらフランシス・ベーコンの三幅対に匹敵する美的構成や思いまへんか? タイム縮めるには手順を覚えるより良いキューブに買い替えろ、いうアドバイスは的確やったなあ。キューブとかけて女とときます。さてその心は、高いやつのがすべりがええでしょう。じゃかじゃんじゃん…

きょう捨てた本:『ひとり暮らし』,『永井荷風という生き方』

 


谷川俊太郎『ひとり暮らし』新潮文庫

もうひとり暮らしじゃなくなったから。

素晴らしきかなニート時代、家族と暮らしているのに1人で生活しているような気分にひたっていた僕は、ずっと1人で生きていくと思ってたし、この本に「1人でもいいんだよ」という慰めを見出していた。

谷川俊太郎は作家として自立しているが、僕は日々の衣食住を父母に頼る実質3人暮らしであった。30手前で実家を出てすぐ同棲をはじめたので、1人暮らしに相当する期間がない。大学に入ってワンルーム1人暮らし、バイトして、酒飲んで、サークルの女を連れ込むザ・学生ライフにあこがれた。1人暮らしの学生には自然、生活力も備わるだろうが、マザコンひとりっ子万年実家暮らしの僕には、ネギを刻んだり柔軟剤を選んだり家の契約更新をする力がない。今の細君が、ひきこもり更生の手荒な引き出し屋そこのけに部屋から引きずり出してくれたおかげで、はじめて定職につき、たまに親のクレカで箱アイスを買いつつも、ほとんど自立できるまでになった。この成長あるいは俗化は、『ひとり暮らし』を読んだ頃には想像もつかない大人のフィクショナルな世界だ。

谷川俊太郎は孤高の詩人じゃなくて、複数回結婚離婚して子もいる。妻子とは別居中だ。年老いた偏屈詩人のひとり暮らしは実に静かで、わびしく、やさしく、いやらしい。都築響一に『独居老人スタイル』という全国のクレイジージジババを取材した傑作があるが、非常識になれない僕は、どこかそういう変人たちにあこがれるのである。

91歳のおばあちゃんは、母と孫に接しても、ふとした間隙をついて「さびしいわ」の口癖がでる。それを聞くたび心苦しくなる。たとえ周りに人がいても、老境深まるにつれて、人は孤独感を強めていくのだ。自分が年老いたとき、その孤独に耐えられるだろうか。そのときは本当に『ひとり暮らし』を読む必要があるかもな。

 


松本哉永井荷風という生き方』集英社新書

永井荷風という生き方は永井荷風にしかできない。

ふらんす物語』『断腸亭日乗』を読んで、荷風ブームが来てる。荷風の好きなところは、文章がうますぎるところ。エロくて自由人なところ。若い頃に欧米諸国の漫遊をばりばりキメこんじゃってるから、明治昭和の文明風俗にたいする批評眼が、同時代人と遊離しちゃってるところ。そしてまた、文章がうますぎるところ。

昔の文人は、文芸で飯を食うって発想になるくらいだから、生活に困窮しているわけじゃなくて、親の遺産や何やらでほとんど食うに困らない境遇にいる。金銭的・時間的リソースがたっぷりあるから文化・芸術にうつつを抜かしていられるわけだ。これをもって現代日本を眺めみるに、ひきこもりってこの下位互換バージョンなのでは? 親の収入・年金は派手に遊ぶにはちと足りないが、勤労を免れるぶん時間はあるので、趣味に没頭できる。この閉鎖的な遊民からもっと令和の荷風みたいなのが出てこないかね。いや、僕の情報感度が鈍いだけで、細分化したジャンルのそこここでミニ荷風が生まれつつあるんだろうけど。そう思うと、昔の文人の生き方って現代的な生き方でもあったよね。

ぬるい家で育った人は、「別に食うに困らないけど、やりたいこともない」って感覚を共有していると思うんだよね。僕も卒業後に就職せずフラフラして、20代のほとんどを読書と昼寝とYouTubeに捧げて、やりたいことも見つからぬまま活字とよだれとブルーライトを吸収して、今もその延長をやっている。そのなかで見つけた好きなことを、ミニマムに追求して、永井荷風にならなくとも、そよ風荷風、すきま風荷風、ピューと吹く荷風になれたらいいよね。