おならっぷばーん

You can't fart without changing the balance in the universe.

きっさ しゅみ

 

200トンの汽船に揺られ2週間、本をあらかた読んでしまった私は、南洋の沖で暇に苦しんだ。同じ三等室で雑魚寝する土着民と思しき親子の母がせっせと手編みする毛糸の模様が、日に日に出来上がるのをみて楽しんだ、とか。伊豆の韮山から西へ5里、田子ノ浦に沿って富士川を超えるところで荷車の轂にヒビが入った。由比の宿場についたのは宵五ツ時であった、とか。旅のわくわくを演出する道具が現代の交通にあるだろうか。神戸は大阪から高速で45分、行路上唯一のサービスエリアには尿意があっても寄る気が起きず、どこを走っても山のなか、DJは帰ったら手洗いうがいをしていますと場つなぎの世間話、そのラジオも途絶えるトンネルのうち、出口を消失点とする一点透視図法でガラスは真っ黒になる、はやさじかんきょりの感覚を失ったまま市街地へ放り出されて、神戸である。

 

 

 

f:id:gmor:20190113220206j:image

神戸港メリケンパークのBE KOBE。

モニュメントは、女子大生の撮影小道具と化している。アース ミュージック&エコロジー(黒マスクの韓流アイドルPVとイケメンモテ男を頂点とする生態系で地球が回ると考える女子のナチュラルな可愛さを惹きだしてくれるカジュアルレディースブランド)の総売出しといった女に、
「すみませーん、写真とってもらってもいいですか」
と頼まれた。
思い思いのポーズを決める彼女たちを撮るふりして、インカメラで口元を写す。差し歯の根元で、むらさき色になった歯茎を大写しにして――してやりたかった。海を背に白い文字でなく、歯茎をバックに黄色い歯を並べてやりたかった。

 

 

 

僕はJDに対抗して、

f:id:gmor:20190113215908j:image

謎のオブジェとトリオを組む。

 

海を見下ろすようにスタバが建つ。コンクリの消波ブロックに波がちらつく埠頭から30歩、店のぐるりに潮風の当たる野外席を設けた、気取りきった店である。僕は年賀状についたスタバの金券を使ってココアを買い、ソファに足を伸ばした。望む限りの群青は太平洋、いや大阪湾、蒸気にかすむ遠影の赤レンガは明治期の船倉庫、いや新興埋立地に建つ築10年の大学キャンパス。街の立て板のすき間から、音もなく一枚絵の巨大船舶がすべり出る。安い土産のペン軸で、液体中をしっとり下る白人女の運動だ。客もまばらな店内で、控えめなジャズを聞き、海を見、船を見、ココアを飲む僕という自分像に酔うと、眺望のきく角席に、こんな景色大したことあらへんと言わんばかり、海を背にしてどかんと座った男あり。短い銀髪の50代、白いハズキルーペが浅黒の顔に映えた。ペイズリーのネッカチーフを結ばすに胸へ垂らして、首から干しイカを下げたみたいである。こんがり焼けたイモムシの指が、もぞもぞガラケーのすき間に入り込む。

「あー、えらいすいません、西島さんとこ連絡したんやけどね、明日ちょっと早う来て欲しいみたいやわ」
「俺やけど今電話できる? 明日やねんけどね、西島さんとこ行くやろ」
「あんたんとこいま何人いてる? 西島さんが――」

大阪商人特有のダミ声で方々に連絡をとり始めた。スタバの空気をぶちこわす親父は憎いが、これがリアルだと目が覚めた。どちらかと言うと自分は親父側の人間であった。出口、海風をダイレクトに受けるテラス席の一画、カップルシートに女性客がひとり顔をうずめて倒れていた。フラれて泣いているのだ、溶け落ちたアイシャドウの黒じみで雑居ビルの壁面みたいになった顔を見てやろうと思って覗いたら、iPadでさっき撮ったカップ越しの海の画像編集に余念がない近眼の女だった。

 

 

 

f:id:gmor:20190113215922j:image

南京町

赤い十字架を寝かせたような街である。広場の中心で、財財、来来と書いた赤服の男女の子ども人形が、クンフーの組み手で笑っている。人怖じしないように本能の改造された鳩が、買い食い客の喜捨を狙って通りを練り歩く。その横で串刺しの北京ダックが、股を開いて高速回転している。そんな街である。

 

 

 

そこへ一店舗、別宇宙があった。

f:id:gmor:20190113215931j:image

きっさ しゅみ。いい趣味してますね〜

赤ちょうちんと金ブタを見続けた目が休まる。引き算の美学とやらを発見するが、店を構えたあとに一帯が中華街として栄えたので、10円ハゲのようにここだけ地味が露出しているように見えるのだ。 入りたいが、個人経営の店はオーナーと距離が近そうで、コミュニケーションが密になると嫌だな、という人見知り特有のネガティブ・シンクが働く。看板どおり色の落ちた男女、人生も枯淡にさしかかった人しか、自然に入店できない空気だ。波止場のスタバでうはうはテンションが上がる奴には早すぎる。しかし、ネットがこの繁華街だとしたら、僕はこんなぶろぐしゅみがいいと思った。