おならっぷばーん

You can't fart without changing the balance in the universe.

あたらしい前歯に替えなくちゃ

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君も例外ではないと思うが、私と前歯の付き合いは長い。

先日おかきを食べたら左の前歯が欠けた。ガリガリ音がして、噛み切れないおかきがあったので、ぷっと吐いたら白の欠けら。嫌な予感がして、舌で奥歯から順番に歯の状態を確認すると、前歯で切断面に触る。ショックというより、通院のわずらわしさが勝つ。もう5回目なのである。因縁は幼稚園の頃から続く話なので割愛するが――それは夏の日だった。たんぽぽ組のマドンナの前で、すべり台を頭から下ったら、石の台座に口から着地した。涙、鼻血、口血を噴出させてママと泣き叫ぶ。まいちゃんは不憫に思ったのか、その年だけはバレンタインデーをくれた。ない前歯で噛みしめるチョコレートの味は辛かった。

スピード2マスク2クロコダイル・ダンディー2の通り、映画の続編はつまらない。歯の話も結局は折れる展開をなぞるだけである。マンネリ打破の凝った道具立てが素材を殺すのだ。だから直近の事件に話を戻して――まあたらしい永久歯の命は短かった。共働きの家で、鍵を持たされていた私は、鍵のゴムひもをくわえて遊んでいた。輪ゴムで玉を飛ばすぱちんこの要領で、鍵を持つ手を前方へ伸ばし、口をはなす。すると、ゴムがビュッと飛ぶのだが、そのとき間違えて鍵のほうを離してしまった。鋼鉄がゴムの軌道をさかのぼって前歯に直撃する。痛みはない。半月状に切りとられた歯の断面が、薄荷の飴を食べたみたいにスウスウした。それから直しては欠け、欠けては直しの繰り返し。ついに元の歯が脱落して、差し歯を入れるが、月の満ち欠けは平等にめぐる。

指し歯の金属が大胆に露出して、鉄板屋の小さいこてを前歯に挿して歩く奇人、こうするとお好み焼きとかもんじゃ食うときに便利でっしゃろと息巻くびっくり人間である。寝癖ひとつを一大事とする多感な時期なら、学校も休むだろうが、もう見た目に頓着する時代は過ぎたので、マスクもせずに堂々とバイトに向かった。笑うときに、上唇を動かさなければバレることはない。君も鏡で試せば分ると思うが、これは人を小馬鹿にした表情になる。結果、ある先輩社員の怒りを買って、
「おいみんなこいつ歯がないぜ」
と騒がれてしまうのであった。

セレンディピティは、歴史上の発見にことごとく関与するので、ティのつく言葉としてはスパゲティ、ジャコメッティ、パンティをしのぐ高級概念と言えよう。フレミングは、たまたまシャーレに入ったカビによってペニシリンを見つけ、100万人の命を救った。グッドイヤーは、ゴムをうっかりストーブに触れさせて製法を見い出し、私たちは薄いコンドームの恩恵にあずかれる。田中耕一は、あやまって混ぜた素材を使って、タンパク質の気化に成功、月並みな名前でもノーベル賞を獲れることを証明し、全国の田中に勇気を与えた。世界的発明のうらには、研究者十年の一意専心がある。幸運は用意のある者だけにやってくると言うが、

私は歯科医院の電動イスに横たわって、
「ちょっとここ見てほしいんですけど」
歯科助手に言われるがまま手鏡を持ち上げると、医療用のまぶしいライトに照らされた鼻の穴から、巨船が海底へ下ろす錨のような鼻毛がどっしり垂れているのを見つけた。欠けた前歯を見ようとして鼻毛の露出を知る。これが私のセレンディピティである。