おならっぷばーん

You can't fart without changing the balance in the universe.

大人メンズに学ぶ秋の1色コーデ

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本屋に地味すぎるおじさんがいた。カラフルな背表紙の前、背景にとけるどころか宇宙船のような立体感で迫る。ベージュのキャップ、グレーの作業着、ベージュのスラックス、ベージュのカバン、グレーの運動靴。上から下まで一切の色味を欠き、白黒映画の登場人物である。

歳をとったら自分も同じファッションにたどり着くのだとうすうす勘づいている。同年代の女性は意識高く、マダム雑誌の受け売りで差し色のスカーフを巻いたり、美容院の入れ知恵で髪の毛を魔界の焼きそば風にパープルに染めたりする。中年男は、息子お下がりの英字プリントロンT、仕事の作業着、葉っぱ、貝がら、トイレットペーパーの芯を普段着にする。服の乱れ、汚れ、異臭なんのその、耳毛、鼻毛は伸び放題。頭髪だけは気になって薬局に黒い粉スプレーを買い求めるわびしい男たちの列ができる。男の威信はケンカの強さ、稼ぎの良さ、男根の太さだったものが、いずれ髪の濃さひとつになるのである。ベージュとグレーでなるべく地味に歳相応の恰好を試みるが、頭を隠すキャップだけはかたくなに脱がない。

欧米は罪の文化、日本は恥の文化。恥をしのんで百科事典をひくと、
「両者の違いは、行為に対する規範的規則の源泉が、内なる自己(良心)にあるか、それとも自己の外側(世評とか知人からの嘲笑)にあるかに基づいている」
なるほどアメリカ人は内なる良心に従って、ホテルの窓からアサルトライフルを撃ち、死傷者をたった481人にとどめたり、誘拐した少女をわずか16年だけ地下室に閉じ込めたりするわけだ。日本人は嘲笑を恐れて、集団で痴漢したり、女装して女湯に忍び込んだり、下半身を露出しながらバイクで疾走したりするわけだ。

年寄男の1色コーデは羞恥心の裏返しである。女は齢をとると露出を恥じ、手袋、マスク、アームカバー、日傘、スカーフ、サンバイザーで素肌を1㎠も見せなくなる。男は陰毛の白化にともない、明るさを不相応だと感じ、白・黒・灰の無彩色を好むようになる。陰のうの枯渇と現役からの退却はまさに脱色としてあらわれる。そんな無露出、無色のシニアカップルが、事後の世間話を車内に持ち込んで、黄色い歯をちらつかせながら、ラブホテルの駐車場から垂れ幕を裂いて堂々、国道の車列にコンパクトカーの頭をねじ込むことを我われは知っている。無色を見、無音を聞く老いの境涯に身をおいてこそ浮かぶ青筋もあれ、湿ける沢もあれ。「これぞ再春感制約」というシャレを思いついたので、あとはひとりでうまくやってくれ。