おならっぷばーん

You can't fart without changing the balance in the universe.

まっは・ふらへひーの

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スタバはふた月にいっぺん。今日はなんだかオシャレに決めたいぞ、と気が狂ったら入る。かたいイス、気取った客、コーヒー豆がモチーフのよくわからない絵、わからないコーヒー。人目で落ち着かず、ラーメン屋じゃないのに回転率が気になって長居もしにくい。結局、家がいい。家のカレーが一番であるのと同じ理由で、家のコーヒーが一番うまい。

夢はホリエモン佐藤可士和の可士エモンという若者が、趣味がわかるように入念に選んだステッカーを貼りつけたMacBookで作業し、時おり思い出したようにカップに口をつけて天井にほっ、の吐息玉を出す。都市伝説で語られる客の典型像である。しかし僕の住む大阪郊外の店舗では、コーヒーなら何でもいい老人、試験勉強する女子高生、文化会館の集まりに出る婦人連、いつ行っても同じ野球帽に同じバスケユニフォームで、見えない相手とブツブツ会話しているご陽気な人、の4人種で構成される。

レジ前で
「姉ちゃんコーヒー!」
「ホットですかアイスですか」
「ホット」
「サイズは?」
「小さいの!」
万事この感じである。

店は都会的に洗練されたイメージを与えるのに必死だが、中はコーヒーを出す大衆居酒屋といった感じで、雑芥と野鄙とにまみれている。ここに喫茶店を開けば自然といろんな人が集まるのか、それともスターバックスだからこうなるのか。食べさしのリンゴと2本尾の人魚が人びとを惑わせる。

 

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この手の本は読まない。理由は「しょうもなそう」だから。日経ビジネス人文庫というが、日経にもビジネスにも縁がない。企業トップの成功譚を聞くくらいなら、競輪で破滅したホームレスの愚痴、大麻合法化アクティビストの煙ったい議論、どう見ても精神的にヤバい人の怪ブログに接するほうがまだ楽しい。営業の秘訣なら、スターバックスを世界一にした原則とエンリケ著『日本一売り上げるキャバ嬢の指名され続ける力』のなにが違うというのか。「私たちはコーヒーを売っているのではなく、コーヒーを通して人を喜ばせる仕事をしているのだ」と著者は語る。この下線部をメガネ、時計、トイレットペーパー、ヨーグルト、スピーカー、CD、Tシャツ、コースター、手帳、タブレット…任意の商品に置き換えてほしい。農家から立ちんぼまで、すべての商売にあてはまる解の公式である。なるほど、この本も本を売っているのではなく、本を通して読者を喜ばせようとしているわけだから、買うことにした。

 

あなたが夢に向かって仕事をしていないなら、ただ仕事だからという理由で働いているのなら、あなたは間違った場所にいる

この本、陳腐なタイトルと既視感ありありのコンセプトのわりにいい本だ。資本主義の末端構成員(=バイト)として日々雑用をこなす僕にさえ響く言葉がある。見出しに挙げた「ただ仕事だからという理由で働いているのなら、あなたは間違った場所にいる」なんて断言されたら、単に家から近くて高時給という理由で働いている僕はヒヤッとする。さらに僕を絶望させるのは、夢がないことだ。「好きを仕事に」の合言葉がはやっているが、問題の背景は職の欠陥ではなく、夢の欠乏にあるのではないか。ネカフェ民の取材でミュージシャン志望の男(31)が出てきた。夢のために貧乏を引き受けるのが、いかにもミュージシャンっぽかった。カラオケ感覚で歌手デビューするタレント2世とは雲泥萬里の隔たりがある。本書におさまる各種アフォリズムから一片、「世界がなにを求めているのかと尋ねてはいけない。なにが自分を生き生きとさせるかを尋ね、それを行うこと。なぜなら世界が求めているのは、生き生きとした人間だから」(哲学者ハワード・サーマン)。なにをしても生き生きとした人間を見たいものだ。僕は死んだように昼寝しているときにもっとも生き生き輝く。

 

掃除する人がほうきを選ぶべきだ

当たり前である。「備品の見積もりに慣れた購買部が、全社で何本のほうきが必要かを把握し、五、六種類のほうきを選ぶことはできるだろう。だが、そのほうきを実際に使うわけでもない購買部の人間が、どうして最終的な決断を下すことができるだろう?」。現場レベルの意思決定を重視せよ、と種明かしするとつまらないが、単純なフレーズに含みがあっておもしろい。運転する人が車を選ぶべきだ。抜歯する人が歯を選ぶべきだ。妊娠する人が体位を選ぶべきだ等々、日常での応用範囲も広い。「セクシーな下着を配偶者から贈られたイギリス人女性の1%は、それを彼の誕生日にだけ着る」と丸谷才一の本(『猫だって夢を見る』)で読んだが、この場合も、穿く人が下着を選ぶべきだ、という本書のルールに適合している。むかし「これがわたしの勝負下着なの」と女が見せてくれたものは、ま紫のひもに、ラメ入りの蛍光糸で編まれたきみどりの三角巾であった。轢かれて内臓が四方に飛びだしたぺしゃんこのカマキリであった。やっぱり脱がす人が下着を選ぶべきではないか。

 

もしこの世界に賞賛も批判もないとしたら、あなたはどういう人間になりたいですか?

「これは究極の問いかけだ。私はこの問いを額に入れて壁に飾ることにした」。こんな標語を壁に掛けた人のオフィスには入りたくないが、「しめて乗れシートベルトと気のゆるみ」より上等である。褒められたいがためにすること、けなされたくないあまりにできないことが誰にもある。他人の評価がないなら、自分はいったい何をしたい人間なのか考えてみる。ダメだ、さっぱりわからない。賛否のない世界はいやだ。再生1秒、YouTuberの声が気に入らないからBad評価を押すのが楽しいのであって、あのボタンがない世界を思うとゾッとする。褒められたいからこんなブログをやる。ひとりでも「おもしろい」と思ってくれる人がいれば、それでいいのである。世界に賞賛も批判もないなら、私はいっそ貝になりたい。スタバを世界一にするためのルールにことごとく反発したら、貝は貝でも世界最下位になっちゃったりして。

「私は駄文を売っているのではなく、駄文を通して人を喜ばせる仕事をしているのだ」——ブロガー志望の男(28)