おならっぷばーん

You can't fart without changing the balance in the universe.

なんか言うちから

 

気楽なバイトの身分とはいえ、定期的に主任と一対一の面談がある。だだっ広い会議室で机を挟んで睨み合うのではなく、検便用のスティックがラーメン屋の箸立てみたいにあちこちから突き出たり、「資源の有効利用!両面コピーの徹底!」という張り紙がどでかいフルカラー片面印刷で堂々と掲示してある雑理雑頓のいきとどいた事務室で、ボロのパイプ椅子に横並びで語りあう。クーラーは標準温度の一括管理。標準という思想、管理の体制がどれだけ政治に悪影響を及ぼすか、身をもって体験する。質問は造作もない。通勤手段は、通勤時間は、勤務日数は、曜日は、健康状態は、といった履歴書の再確認である。単純な一問一答はわが意を得たりの勢い、水を得た魚、魚を得たさかなクンの呼吸で答えられる。ところが面談も最後に及んで、なにか言っておきたいことはありますか、と訊かれると、5秒間の考えるふりのあと「特にないですね」が炸裂するのである。

わかりません。特にないです。世のなかで「寝てた」「熱でた」「行けたら行くわ」の次に便利なことばである。わかりませんをもっとも多用したのは高校のときで、もとの地頭にくわえて雨が降ったら登校しないという自分ルールの徹底により、授業についていけなくなったので、あらゆる質問をわかりませんの一語で押し通してきた。わかりませんは、考えた末に答えが出なかったのではなく、次の生徒に解答権を移してくれ、の合図である。先生はたいてい、授業の停滞と指導の面倒を嫌って、わかりませんの煙幕玉でドロンする生徒を見逃す。バカと関わらないことが、人生のはかばかしさをうむと知っているからである。ところが変わり者で有名な、トカゲのようなギョロ目と細い手足の化学の先生(大学の実験室借りてよ、薬品つかって何時間も実験しとったら涙がとまらんなって頭も割れるように痛なって、そっから俺は頭がおかしくなったんじゃいや)だけはわかりませんを見逃さず、なんか言えなんか言えと怒り出すのであった。

黒板のNH3を指して、
「これなんや」
「わかりません」
「あかーん。あかん、なんか言え」
「わかんないです」
「なんか言え、なんか言うまで進まんぞ」
「硝酸!」
「よっしゃ!全然ちがう!」
毎度この感じであった。わからないと言っているのにどうして次の生徒に飛ばさないんだ、と当時は憤っていたが、今じゃ先生の気持ちが分かる。なんか言うことが大事なのだ。わからないと言うのは、初めから考えずに楽をしている。正解を知らないのが悪いのではない。なぜ正解を知らないのか、自分の状況に考えが及んでいないところが悪いのである。

あらかじめ正答が用意されている問い(学校のテスト、クイズ番組、私と仕事どっちが大事なの?)ならまだましだ。大学生になると、ほんとうは答えることより問うことのほうが難しいと知る。多くの学生が、卒論のテーマに苦しんで指導教官に泣きつく。この構図は、ネタ切れのブロガーが「今週のお題」にすがりつく様子とよく似ている。意志薄弱の僕を見かねて教官は「きみはあまりに喋らなすぎるね。話すコツはね、話し始めてから話すことを考えることだよ」と浅くて深いことばをかけてくれた。書き始めてから書くことを考える。なんか言う。自分でつくった締切にしっぽを掴まれながらそんなことを考えた。オチ? わかりません。