おならっぷばーん

You can't fart without changing the balance in the universe.

たたまらん、わしゃこんな本すっきゃねん

f:id:gmor:20180720134827j:image室生犀星(1958)『随筆 女ひと』

良い随筆にあたった喜びは何にも代えがたい。僕が女なら、東大卒のイケメン代議士に婚活パーティで相席したようなトキメキ、狂喜雀躍である。男っぷりを高学歴・高収入・高身長の三高で表すなら、随筆っぷりは古人・古文・古紙の三古で表される。新しい家電はスタイリッシュで機能も優れるが、博物館におさまった古いテレビのたたずまいにホッとする温かさ、ギョッとする恰好よさを感じることがある。本も似たような世界だ。

 

 

f:id:gmor:20180720134834j:image(この茶け感を見てほしい)

通勤電車でも、ページが茶色くなった文庫本を大事そうに革のブックカバーに包んで読む人を見ると「そうだよなあ、いいよなあ」と仲間意識が芽生える。さっき書店で買ったばかりの『いるだけでどうしようもなく心を奪う女になる』みたいな本を、むさぼるように読みふける内気そうな女を見たときも「そうだよなあ、モテたいよなあ」と非モテグループ同士の暗のつながりを感じるものである。おれは移動中にあえてスマホをいじらずにいることで、世間にたいして優越するのだとアゴをつきあげて車中を見渡す青年と目が合ったときも「でもなあ、人生はひまつぶしとも言うしなあ」と思うわけである。

 

 

f:id:gmor:20180720134840j:image(このホットケーキ色、たまらん…)

ページの境目に鼻を入れて息を吸うと、ほのかに焼き菓子のような甘さが香る。だいたい本というものは、においで良し悪しがわかるものだ。物置小屋の粉っぽいにおいが染みついたもの、愛煙家1日20本の白煙にいぶされたヤニくさいもの。ブックオフで熱心に本を嗅ぐマダムは、そんな悪書を嫌っておにおいあそばせているものと思う。全くにおいのしないものは、くさいものよりさらに悪い。新刊なら未成熟の証拠で、中古ならホルマリン漬けの死体みたいに、外形だけは残っても中身が息しない証拠である。いい本はほんとうに紙のあいだからチョコレートのような甘くて清冽なにおいがする。吸い込むと、頭中に散らばった空っぽの桶が、瞬時に甘いつゆで満たされてぽわっとなる。読むまえからすでに本の麻薬的効果にやられてしまう。

 

随筆は女に女。1から10までこんな女が好きだと説く。しかしそこは詩人、紀州ドンファンと違って、表現がいちいち上品である。たとえばモダンガールがスカートを穿くようになって、はっと足の美しさに気付き、

日本の女の子の足がこんなに重要な艶姿をもつことに気づいたのも、きものを脱いだ裸の足の美しさを認めたからである。私はそれ以来二十年間も、街路や電車で見る女の快活な艶姿に、日として見とれないことはなかった。足なんか決った形体のものである筈だが、それは女の人の顔の判断からつながるところの、顔の美醜につづく抒情詩をたもつものであり、終わりの一行のあでやかさであった。p.45

すっと伸びた女の生足を、顔から続く詩の一行ととらえるくだりは圧巻である。そうだ、世の中にあるフェチとは、結局そこにポエジーを感じるということなのだ。黒髪フェチにとって黒髪は詩であり、メガネ好きにとってメガネが詩である。僕が、変色した古紙や紙に打たれた旧字体の活字にうっとりするのも、そこに言葉の定義を受けつけない感能の世界があるからなのだ。定義に挑んで失敗しつづけるのが職業詩人であり、感じたままでいるのがわれわれ一般詩人である。ところで、きみの詩はなにかね。