おならっぷばーん

You can't fart without changing the balance in the universe.

自称文章フェチが丸谷才一を読まないのはちよつとをかしい

 

今回は皆さんに丸谷才一『低空飛行』を紹介したい。

 

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1970年代に書かれた古いエッセイだ。

中身より気になつたのが、巻末の注意書きである。

 

 

何行か拾つて読んでほしい。

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ふつう、ここは編集部が古い内容の再録にあたつて、「今日の人権感覚に照らして不適切」だとか、しかし「作者が故人であることを考えると」などと言い訳を書きつける場所である。そこへ自分が決めた書き方のルールをこまごまと、しかも本人が書きつけてゐるといふところにそこらへんの本にない値打ちがある。

日本語と外来語の「つ/ッ」の大きさを一体誰が気にするものか。模様の様は「よう」と書くが、花のようのようは「やう」と書きわける凝りやうはどう考へたつて変態だ。ここまで徹底してことばを使ひわける現代人は日本ぢゆう探したつてひとりも見つかりつこないだらう。いや、ひとりぐらいゐるかもしれない。ただ今さらそんなオジンくさい読み物を読まされてはたまつたものぢやない。我われにとつて漢語と大和ことばの違いを知るのは、ミカンとポンカンを見わけるより大変な仕事だ。現代には現代流のレトリックがあるし、それを軽薄だといつて毛嫌ひしちやいけないよ。利用してやらうといふ気がないと、同世代の人間にはアピールできないと思ふ。古い本ばかり読んでゐる連中は、いつのまにか文体の伝統主義に陥つて、本人も知らないうちに書き方が時代と逆行してしまふものだ。僕もヘンなこだはりを捨てて、新しい時代にあつた表現をするやう気をつけないといけないと思つた。