おならっぷばーん

You can't fart without changing the balance in the universe.

モット・クリエイティブニナリティ

 

人の大きさは、憂うつの差。

偉大な哲学者は、宇宙の存在に悩み、崇高な宗教家は、人類の救済に身を砕く。卑小な哲学者は、丸めたアルミホイルが燃えるゴミかどうか考え、低俗な宗教家は、女の世話と金の勘定に忙しい。

僕を悩ませるのは、片方消えた靴下、休日の空白、部屋のすみで茶色になったペットボトル、噛んだ舌の痛み、鼻水、それから本の感想である。

感想が書けない。秀逸な書評ブログをみると、僕は中身が読めていない気がして不安になる。読書はデータの出し入れではなく、ソフトの交換によってハード(僕という人間)の変化を楽しむものだ、という珍奇な説まで信じるようになった。面白い本はある。しかし面白さを伝えるには、僕の合いの手を挟んだ抜き書きの羅列より、本そのものを読んだほうがいい。天然のジュースを101%にする自信はない。僕の手は濃縮の熱というより、希釈の水である。レビューを一個の作品とする批評家の手もあるが、既存の学説や理論と接続しないとインパクトを持たないし、かといって個人の思った、感じたの印象評では本人によほどの眼がないと読みものとして成立しないし、僕にはそもそもやる気がないし。結局、僕に自信があるのは言い訳だけだ。2万字書けない理由なら5万字書ける。

最近クリエイティブになるにはどうすればいいかよく考える。散歩する、読書する、瞑想する、とにかく外で人に会う、ものに触れることが良いとされる。そんなことは競艇場に行くおっさんだってやっている。駅に向かい(散歩)、スポーツ紙を読み(読書)、レース展開を予想し(瞑想)、仲間と合流し(人に会う)、1-2-4の3連単で勝負する(ものに触れる)。彼は享楽的だが創造的ではない。しかしまったく創造的でないかというとそうでもない。勝てばクラブのホステス相手の漫談で、負ければコップ酒片手の恨み節で、彼の創造性はスパークする。

遠藤周作山田風太郎北杜夫色川武大寺山修司菊池寛澁澤龍彦蛭子能収――賭けが好きな作家は多い。吉行淳之介は「パチンコ屋で僕は神経を休める。と同時に、幾分ハラハラしながら玉の行方を目で追っていることが、精神のウォーミング・アップになるらしい。パチンコをしたあとでは、僕は仕事がはかどるのが常である」と言う(「雑踏の中で」)競艇場のおっさんが創造的に見えないのは、単に広く流通するかたちのクリエイションを指向していないからである。人は創造的になるのではなく、すでに創造的なのだ。あとは引き出しかたである。馬鹿とはさみは使いよう、クリエイテビテは用いよう、漱石死因は胃潰瘍である。

 

なにも生み出せない理由は3つ。

①目標がない
②計画がない
③机に向かわない

これを逆さにすれば、カップ麺から宇宙人ステーションまで、ありとあらゆるものが創り出せる。

伊集院光は「おしゃべりがうまくなる」という目標と、それに繋がるだろう行動のリストを整理して実行するとラジオで話していた。1人で2時間、圧力を保ちながら語る技術は、2分の雑談もままならない僕からすると神業だが、それでもまだ「うまくなろう」と思っていることが恐ろしい。同じことは若手芸人から質問を受けた内村光良にも当てはまる。

「内村さんに悩み相談したら『もっと悩みなさい』と言われました。内村さんは今何に悩んでいますか?」と問われた内村は、照れ笑いで答えをはぐらかしながら「いや俺、わたしですか?」と一度下を見て向き直り、今度は真剣の目で「いやだから、もっと売れるにはどうすればいいか、ですよ」と語った。

売れている人間の発想はすごい。素人が充分だと思うレベルで満足しているようでは一線には残れないのだ。自然数が無限なのは、どんなに大きい数にもそれより1大きい数があるからである。洗濯バサミが腋臭みたいににおうのは、太陽光線がプラスチックを分解するからである。ヨドバシで試聴するイヤフォンから洗わない枕カバーのにおいがするのは、一日何十何百という人間の耳垢、背脂に触れるからである。理想なきところに進歩なし。におうところに光りあり、人気(ひとけ)あり。

28歳にしてようやく自分が長時間机に座っていることが苦手だと判った。ブログを書こうと思っても、すぐ足の爪を切ったり、クローゼットを整理したり、コーヒーを淹れたりお菓子をつまんだり、本式にご飯を食べ始めたり、オナニーしたり、風呂に入ったり、本屋に行ったり、昼寝したりして下書きできない。創造力とは感情の噴火だ、人間本能の叫びだ、心音だ脈拍だ出血だと言うのはウソで、実際は机にじっと座っていられる能力のことを指す。僕らが本当に闘うべき相手は、ネタ不足やインスピレーションの欠如、愛や平和や人生の意義といったテーマではなく、尻の痛みである。文章上達の解説書が、尻の鍛錬で始まらないのはおかしい。

ノーベル賞作家ウィリアム・フォークナーの名言に
Don't be a writer; be writing. というのがある。

これは sitting の間違いではないかとにらんでいる。