おならっぷばーん

You can't fart without changing the balance in the universe.

美術鑑賞講座2 「姉妹」編

 

当ブログで圧倒的な不評を誇るこの講座、過去に「1」とナンバリングしておきながら2があるのか、そもそも続きを書く気があるのか、と続編の制作が人知れず危ぶまれていた。しかし今夜、誰が望むか不人気バンドの再結成ライブの規模と熱量で、復活する。

目標は、前記事の星4つを上回ること。――星。いつから星は見るものからつけるものへ、信じるものから疑うものへ変わったのか。ああ、アマゾンレビューの星よ、食べログの星よ、はてなブログの星たちよ。高評価を信じて試聴もせずに買ったジャズのCDが、部族民謡のドンドコドンだったとき、僕は星を見るのをやめたのだ。

私の魂は、星から遠く離れた、国にある。
ヘンリー・ヴォーン形而上詩人

田舎は星多い。
かたむきみちお(フリーター)

 

 

***

 

 

今日、鑑賞するのはこのオブジェだ。

f:id:gmor:20180206172800j:imageUntitled, Artist unknown / Steel, Plastic, 80 × 30 cm, Various location

工事現場を彩る女性型カラーコーンである。

 

 

頭上と股間の2本の鉄パイプで、

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どこまでも、

 

 

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どこまでも連結されてゆく。

 

きけんな作業に安心を、きたない現場に清潔を、きつい仕事に華やかさを感じさせるための建設資材である。むろん、本当のガテン系女子は、マスカラ、チーク、リップなんかつけて来ず、黒く焼けた精悍な顔立ちで男性作業員と見分けられない。蛍光ベストのわずかな胸のふくらみと、ヘルメットのうしろに束ねた長髪を見て、やっと判るものである。このオブジェ、カワイイというよりおぞましくないか。まるで連行される奴隷である。無限に続く拘束と強制労働のなかで、プラスチック化した人間である。無人格で中立的な従来のカラーコーンを、どうしてわざわざ人にするのか。

 

エレベーターのアナウンスは決まって女性の声だが、それが不平等だからと言って、

 

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こうはしないだろう。

「どちらまで?」
「僕は困り顔の男で」とでも言うのか。

 

***

 

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「女は性器にエロを感じない」という話を思い出すと意味深である。彼女にとって、頭上の観念としてのペニスと、股下の実体としてのペニスが、同じ灰色のパイプにすぎない、ということなのだ。その棒が女と女を結びつけ、穴兄弟ならぬ竿姉妹のネットワークを形成する。鉄の支配は、ヤリチンの形象化である。

しかしこれは本当に女なのか?
たくましい男根が彼女のものだったとしたら。

文化においては、男も女も意味としてのみ機能し、解剖学的な器官としてのペニスの有無は、もはや男女を分けるメルクマールではない。〈実質 substance〉としてのペニスは存在しても、これは「男」という概念とは必ずしも関係なく、存在するものは〈形相 forme〉としてのファルスであり、生物学上の人間の雌がこれを所有する文化圏だっていくつもあるのである。
丸山圭三郎『文化のフェティシズム勁草書房

パイプは〈形相〉としてのファルスを象徴する。女は、男を意味する新たな記号なのである。当初、男臭い仕事場の一点の紅となるべく導入されたかに見えた寡黙な女は、しかし職場のさらなる男性化を図らずも促進してしまう。

バリケードの外にあるのは意味を失った記号だ。

彼女なし、当然子もなし父でなし、まともな職にもつけず真っ当な社会人にもなれず、僕は定義を失くした単語として空虚な男を生きている。

 

君の意味は辞典に載っているか?
安心せよ。あすこは死語が収まる場所だ。
かたむきみちお(フリーター)