おならっぷばーん

You can't fart without changing the balance in the universe.

もうひとつの不毛地帯

 

下の毛を全部抜いてから女の子と会った。

僕が期待したのは少女だ。

地雷の一掃された安全区域を目にして、
「ワー、すごい。綺麗になってんじゃん!」
と手を叩いて飛び跳ねる、戦地の少女である。

そうなると思っていた。

しかし現実は、部活終わりの運動部が、となりでチームメイトの着替えを見るような冷たさとつれなさで、
「へー、剃ったんだ。まあGACKTも剃ってるって言うしね」
ぱっと股間へ確認の一瞥をくれるだけであった。剃ったんじゃなくて、一本一本、丹念に抜いていったのだ。それに僕が憧れたのはGACKTではなく、千原せいじである。

人は陰毛など気にしないのだ。自分の毛ですら一顧だにしないのだから、まして他人の毛っけにおいてをや、である。街を歩いても、わっ、このおじさんの下の毛は、あの女性の丘陵は、と眼光のエックス・レイで下着を透視しようとは思わない。僕が期待しすぎたのだ。

では三日三晩の苦渋と忍耐はすべて無駄だったか?

実用主義の立場にたてば、そんなことはない。

「あっ、でも持ちやすいかも」
女はペットボトルのくぼみに手をかけたみたいに言うのであった。結果が好ましければ、手段は正当化される。誰のための陰毛か、ということだ。もし頭髪やその他の毛が人の快を保つなら、白牌だって同じである。無用の用に倣えば、無毛の毛である。

 

***

 

もうひとつの不毛地帯がある。

国道沿いに建つラウンドワンのゲーセンで、もうすぐ30歳になる男女が、指先をまっ黒にしてメダルゲームで遊んだ。大人になったら、もっと高級な遊びをすると思っていた。酒と木目の、濃いブラウンに満ちたバー、白いクロスと皿に、パプリカで絵を描くレストラン。そんな所へ出掛けて、ワインと旅行と慈善事業について話すものとばかり思っていたが、実際はさびれた郊外のアミューズメント施設で、のちにゴミと化すようなくだらない人形をUFOキャッチャーの爪で引っ掻いたり、けばけばしい色のプラスチックにさらに派手な電飾をほどこした巨大ペンタゴン、ヘキサゴンの各辺に膝を突き合わせて、メダルの払い出しをいまかいまかと待ち続けたりしている。食事は自販機の黄色いソーダと、階下に併設されたファストフードのてりやきバーガーである。これが中学生の休日ならわかるが、いい年した大人が、しかも未婚の男女が、たまのデートに金と時間と身体を使う場所としては、悲愴である。

タバコを吸ったエアコンのフィルターが、温風にヤニをといて混ぜたような、ねっとりした気団を送り出し、油断すると鼻からのどまで、ぬるい、腐った水風船みたいなものを千個と押し込むので、チロチロと嘔吐中枢が刺激される。見渡せば、作業着のドカタ、ゲームと子作りだけが楽しみという感じの家族、良からぬ想像を追い払うように一心不乱にボタンを打つ婆さん、水筒を持参して競馬ゲームに没頭する大黒柱、ライン工の俊敏と精確で、モニタの指示どおりに黙々と動作する音ゲーマニアの青年たち。みなときおり表情やしぐさで喜びを表現するものの、目は笑っていない。瞳は、どこか、こんなことしていても無駄なのだ、という諦観と、しかしそうするほかにやりようがないのだ、という倦怠とを含み、重みで底へ沈んでいる。

不毛なのだ。

「やってるとだんだん空しくなってくるよ。これならスロットでもしたほうが、金になるし、まだマシかなと思うけど、楽しいんだよね」
女はメダルを数枚、同時にぱぱっと投入しながらボヤいた。パチンコ屋だって同じ不毛の土地だ。幻に誘われた亡者が、ふらふらとさまよう貧しい娯楽の死地である。

僕らの遊びは、乾いている。