おならっぷばーん

You can't fart without changing the balance in the universe.

不毛の議論

 

さて、陰毛である。

チハラトーク(2016/12/23)で、千原せいじがブラジリアンワックスを使い、VIOラインすべてのむだ毛を処理したと話した。弟に股間を見せて、
「どうや、頬ずりできるやろ」
と自慢げに語る。

五十歳近い実の兄弟が、一方は裸で腰に手をあて悠々と、一方が足もとにしゃがんで苗をやさしく手に包み、茎を摘んでひょいと持ち上げ、黒い胡麻の埋まったブツブツの皮ふへ頬をスリスリ擦り寄せるところを想像してみる。キリストが預言した、世界の終末はこれよりおぞましかったか? 希望をもたらす兄弟愛は、平和をうみだす人類愛は、これよりうつくしくあったか?

前にも書いた通り、僕は顔に生えてくるヒゲを一本一本ピンセットで抜いている。毎朝のヒゲ剃りが面倒だ、とぼやく友人に「抜けばイイんだよ。全部抜いたら、あとは3日に1回で平気だぞ」と、とっておきの美容法を教えてやると「そんな暇はない」と言下になで斬りにされてしまった。そう、彼は健全な社会人で、僕は日中おおかた寝床で過ごす使えない兵隊なのである。暇とピンセットがあるところに、千原せいじのツルツルテンのVIOが加わると、どういう化学反応が起こるのか。賢明なる読者諸氏はすでに予想がついていることと思う。僕は陰毛を抜き始めた。

なにが辛いって、その姿勢である。痛みなぞ、ブツっと白いゼリー状の組織をくっつけて毛が出てくる抜毛の生理的快感にくらべると、添えものの果物に過ぎない。己れの股間を覗き込むと、2分もしないうちに、曲げた背中が痛み、血の昇った頭がクラクラする。神は自分の性器を見つめるよう人間を造らなかったのだ。我われはパートナーを前提とする協働の生き物であり、元来孤独から救われているということだ。しかし神は過ちを犯した。右手を作ってしまったのだ。ヨガを習う男はすべて、オートフェラチオの習得を目指している。

うずら卵とヒジキの和えもの、点火したスチールウール、放棄されたトリの巣、砂場のへりに盛られた土くれ、トイレのもの掛けハンガー、羽化を忘れたサナギ、茂みのなかのぬるい犬の糞、「切」のトグルスイッチ、黒く湯気立つやかん、なんとでも形容できるのだが、自分の性器をこれでもかと見続け、周りにたかる黒いもやを払い続けて数時間、やっとまあたらしい地肌の回復が目に見えてきたとき、僕はペニスを失った。

歩行、着替え、用便のとき、いちいち下着のゴムに引っかかっていた毛の感触がない。僕ははじめて陰毛の重大さに気付いた。性器はつねに陰毛によって自覚せられたる存在なのである。いわば内向きに展開する猫のひげ、鳶のニッカポッカだ。第二次性徴期、アレが単なる排水の蛇口以上の意味を持ち始めるとともに毛もあらわれるが、それは機能を保護するためでなく、機能への注意を促すためにある。「ここにあるやつちゃんと使わんかい」という私信である。この秘密の伝令が受けとれなくなった以上、男根は孤立し蒸発する。

友人は銭湯で、ライオンのたてがみのように雄々しい陰毛を撫でつけながら、「おれは頭にはリンスをしないが、チン毛にはリンスをしてやるのだ」と仁王立ちで語った。カッコ良かった。僕は関羽の美髭にも憧れる。しかし一度抜き始めた以上、途中でやめられないのだ。バイトが終わると「よし今日も帰って抜くぞ」と訳のわからない気持ちで胸がざわめく。自分でも楽しんでいるのである。ここでカメラを一旦後ろに引くと、パンツをずり下げ、あらわになった下半身に顔をうずめて、まるで縫い物でもするように、股間の毛玉へピンセットを当てる男のうら寂しい内職が写る。

僕はあと数日で「な? 頬ずりできるやろ」となる。近々女の子と会う予定がある。ハゲた雌鶏が、首をひそめて夜露をしのいでいるような、愁傷と滑稽を誘う場面をみて彼女はなにを言うだろうか。