おならっぷばーん

You can't fart without changing the balance in the universe.

筋肉雑感

 

きゃりーぱみゅぱみゅをコピー機にかけたものを今度はエンピツで紙に書き写したような、こぴーこぴゅこぴゅはメンヘラで、いっしょに歩くと「ワー」と叫んで、パンプスをガチャつかせながら、駆けだすことしばしばであった。足はもはや10代の原子を失い、居酒屋の卓上で、残っただし巻きの皿へ伸びる満腹の割り箸そっくりである。僕は彼女を追いかけた。そのとき笑いが止まらなかった。

彼女が背負う財布ひとつで満杯になる小さすぎるカバンを見て? 青文字だか赤文字だか、流行の先頭走者を自負する奇抜な色の取り合わせで、輸入もののアイスクリームみたいになった恰好を見て? ちがう。草むらのなかで逃げる女を走って追いかける、という行為自体にである。動物の自覚、野性への回帰、原始の脈動、あとから退屈な概念を持ち出して分析することもできるが、それは言語による分別以前の、肉体と密着した純粋なよろこびであった。女の子のスカートを捲るために遊戯室を夢中で駆けた園児時代のたわむれであった。

以前、JCVD(ジャン・クロード・ヴァンダム)になる、と宣言してから、バイト以外ではベッドで寝たきりの生活を送る若年性老人症の僕は、運動をし始めて、体を動かすことに、野原で女を狩るに似た、よろこびがあることを思い出した。JCには悪いが、シュワルツネッガーのモチベーションビデオを見て、やる気を奮い立たせる。パジャマから運動着に着替え、夜、公園で懸垂する。冷えた鉄棒に指が食い込む。手首から肘、肩、腰まで、関節をつなぐ筋肉という筋肉が悶え苦しみ、発狂する。折れた油揚げみたいにグラウンドへ倒れる。アゴが上がり、バカみたいに口で息して、石のような疲労感が体のすみずみにまで行き渡るのを、ただただ眺める。耳に直接与えられる心音と血液の行進を聞きながら、火事がおさまるのを待つ。すべての力で世界に対抗したという満足感が体をめぐる。高く掴みどころのない暗闇から、針で刺したような光りが点々と漏れている。星はあったのだ。数直線を分割するデデキントの点である。僕は過去と未来を分かつ現在に確かに呼吸して、空と地との境界に体を横たえている。かつて草地でこぴゅこぴゅを追い回したときと同じよろこびで、顔が意図せずニタニタと笑っている。

体を鍛えた人間が気味悪がられるのは、洗面鏡の自撮りがナルシストっぽいからではなく、その筋肉が贅肉だからである。日々の労働で自然に身についた肉ではなく、器械を使った不自然なワークアウトと人工的に調整された贅沢な栄養素によって作られた、不用の肉塊だからである。背中の筋一本まで鍛え抜かれたボディビル競技者の肉体は、へそのまわりで腹毛がうずを作っている白い肥満体を見たときと、同じ嫌悪感を催させる。新石器時代の豊満な女性像も、ギリシャ彫刻の完璧な裸体も、現実に血が通う人間と取り替えてみると、実に醜いものだ。彫刻が美しいのはモデルのせいではなく、流れるものが留まり、腐るものが保たれ、朽ちるものが生き延びる、固定と結晶化のおかげである。ほんとうに美しい人体の彫刻は、冷凍人間の保管倉庫に眠っている、モノたちだろう。

プッシュアップバー、プロテイン、トレーニングの説明書。体を鍛えるためにいろんなグッズを買ったが、僕は一体何のために運動するのだろう。美しくなるため? 健康になるため? 心のバランスを整えるため? ひまつぶしのため? ブログネタのため? 自尊心を満たすため? 結局、鍛えるために鍛える、という同語反復に陥るか、体を動かすことには動物としての根源的なよろこびがある、というあやしい本能説を取ることになる。

くだらない。腕立て伏せの時間だ。

ウジウジした頭の運動を止めるための、運動だッ。