おならっぷばーん

You can't fart without changing the balance in the universe.

うらおもて京都旅

 

 

出発

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大阪空港のバス停で京都行きの始発を待ちます。京都へは電車のほうが安いですが、通勤ラッシュと乗り換えのわずらわしさを嫌って、バスにしました。朝陽がまぶしい早朝の高速道路をスムーズに駆け抜けて京都へ向かいます。旅の充実を予感させる最高のすべり出しです。

 

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最低である。

ついに出発してしまった。台風が直撃して旅程が飛んでしまえと思いながら、天気アプリの予想進路図を眺めていた。ふたを開けると、いまわしき台風一過の秋晴れである。

今日は、前にプレゼントを催促されたと書いた、元カノの誕生日だ。京都めぐりに付き合ってほしいと言う。誕生日の願いをむげに断れはしない。彼女が欲しがっていた時計も買ってしまった。プレゼントだけ渡して帰りたいが、そうもいかない。

遠出を嫌うのは、慣れない場所での食事、排せつ、寝起きが苦痛だからである。小さい頃は平気だったが、心の柔軟さが失われるにしたがい、家を離れた生活が苦しい。せっかくの休みに、どうしてわざわざしんどい思いをしなければならないのか。行きたくない、逃げたい、休みたい。しかしバスは、追越車線をひた走る。

 

清水寺

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定刻どおり京都に到着しました。彼女と合流してまずは清水寺へ向かいます。修学旅行の定番のスポットですが、僕は大人になってから初めて訪れました。本堂の手すりから身をのり出して下をのぞき「清水の舞台から飛び降りる」ってこれか、と感動したものです。木々もほんのり色づき始め、古都に色を添えます。本格的な紅葉シーズンになったら、また来たいですね。

 

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しかし全貌はこれである。屋根の工事中なのだ。

不運としか言いようがないが、今さら不運を嘆いたって仕方がない。かりに寺の全貌があらわだったとしても、写真を撮って次の場所へ向かうのみだ。パンフレットに載っている有名らしいスポットの写真を、実際の光景と照合すれば満足なのである。歴史の謂われや重みは、説明看板を埋める塗料でしかない。ガラスを飛ぶ小バエのように、観光地をうわ滑りしてゆくのが僕らの仕事だ。本質を求めるのは初めから流儀に反している。

 

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清水寺は参拝料を納めた者だけが入門を許される。タダ乗りを防ぐため入念にバリケードされた脇の通路を見るたび、400円の壁はかくも厚いものかと圧倒される。

仏教にはよく、木が光るのを見て悟ったとか、葉っぱが落ちる音を聞いて悟ったとかいう話が出てくる。偉いお坊さんのもとで修行する男が、ある日師匠から朝食を食べたか訊かれ、もう済ませたと答えると、「それならあなたの茶碗を洗ったらよかろう」と言われた、そのひとことで悟りを開いた例もある。しかし仏像を熱心に拝んで真理を得たという話はまるで聞いたことがない。

 

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参拝客は境内の仏像に手を合わせてありがたがるが、そんなものより、400円の壁を超えた先にある1対のデッキブラシの方に存在の妙がある。写真を撮ると、彼女がうしろから「バカが出た。恥ずかしいからやめなよ」と服を引っぱる。葉っぱと朝食で悟れて、デッキブラシで悟れぬわけがない。

 

嵐山

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次に向かったのは嵐山の渡月橋です。やさしく日の差す川べりに座り、桂川の音に耳を澄ませて、何も考えずボーッとしていると、いつの間にか1時間が経っていました。あわただしい日常を離れて、ただゆっくりと時を過ごすこと。これが何ものにも代えがたい、最高の贅沢ではないでしょうか。

 

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行列で時間をつぶすことは最低の浪費である。話題のカフェへ行くと、店は便秘した腹のように膨満し、はちきれた人の列が路上へびゅっと尾を引いていた。その様子にげっそりしたが、彼女がなに食わぬ顔で列の最後尾に加わり、心から黒い液体がしみ出すのを感じた。コーヒー1杯のために30分も待つなんて、悪い意味で仏じみている。みなコーヒーが飲みたいのではない。紙カップを歩道の柵に立て、渡月橋をバックに写真を撮りたいのである。「インスタにあげたいなら、ゴミ箱から空のカップを拾ったほうが早いよね」と前向きな提案をしたら、無言のまま軽蔑の目線をくれるだけであった。

 

鉄道博物館

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鉄道博物館です。館内には、実際に運用されていた車両が多数展示してありました。初代の新幹線の座席は、前の網ポケットがなく、不便そうです。再現された昭和時代の駅にはチョークで書き入れる伝言板が設置してあり、不確かな方法でメッセージをやりとりしていた当時の光景を思い、癒されました。蒸気機関車は圧倒的でした。太いアームが複雑に絡みあい、大きな車輪を掴んで駆動させるメカニカルな機構部のそばに立つと、動かずとも走りの力強さに打たれます。明治人が聞いた文明開化の音とは、黒い鉄のかたまりが白いけむりをあげて田園を切り裂き走る怪音だったのではないか、と思い馳せます。

 

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電車が憎い。

男子のおもちゃはプラレールトミカに分かれるが、生涯プラレールに触れたのは、付き合いで遊んだ2回だけだ。電車に乗ると、好きなところで左右に曲がれない不自由さに絶望した。若者が既成のルールや価値観に衝突したとき「敷かれたレールの上を走るのはいやだ」という比喩を使うが、僕はほんとうに電車が敷いたレールの上しか走れないことにイラ立っていたのである。

いつもはホームから側面を眺めるだけ車両を、地上から真正面に見ると、これが自殺者が最期に目にする光景なんだ、とぞっとして、電車の前で立ち止まっていられなかった。

バイト先のパートのおばちゃんが言う。
「なんでみんな自殺なんかしたがるんやろか。私な、このまえ甲子園の駅で事故の現場にでくわしてん。もう大変やで。係の人がいろんなところに飛び散った肉片をひとつひとつ拾っていくねんで。それが夏場やから、どうなったと思う? 鉄のうえでジュージュー焼けんねん。だから人間の肉いうたって赤ちゃうで、茶色やで。轢き肉の焼き肉やで」

 

焼き肉

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夕食は、四条の焼き肉店でコースをいただきます。牛タン、豚トロ、カルビ、どれも美味しかったです。特にミスジには驚きました。芸能人が食レポで言う「口の中に入れた瞬間にとけた」が、本当に起こります。写真を見返すと腹が鳴ります。空腹の状態でまた出直したいです。

 

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僕は満腹という体の状態に嫌悪感を覚える少食派なので、決められた分量を平らげないと次のプレートが出てこないコース料理は地獄である。1人前は、どこのだれを想定しているのか知らないが、僕にとってはつねに2人前だ。ただひたすら出されたものを食べていく工場労働式の食事をしていると、出荷するためにたえずエサを補給される養豚場の豚になった気がしないか。

家の外で焼き肉を食べたのは10年ぶりだった。なにを食べても脂の味しかしない。ミスジなんてどこの部位かわからない。食べきれない肉を、押入れにパンツをしまう要領で受け皿に押し込んでいく。このまま化石になれば、未来の学者は古代生物の奇怪さに驚くだろうな、と思った。

 

総評

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旅は終わる。

彼女の誕生日を祝って京都をめぐり、プレゼントを手渡し、美味しいディナーを食べた。このままどこかで泊まってもいいように翌日のバイトを休みにしていたが、事前にそれとなく意向をたずねると、
「あれが来ちゃったからダメ」
と言う。まさか図書館の返却期限ではあるまい。うそをつくな、どれ見せてみろ、と迫るのは良くないので、真相は穴のなかに置いておく。

「旅が人を成長させる」の法則は、整備された観光都市では当てはまらない。自分の欠点に愛着が深まるばかりである。ただ、別れてから
「ありがとう。幸せな誕生日を過ごせたよ」
という何気ないお礼のラインを見て、僕みたいなどうしようもない人間でも、ひとりの人を幸せにする力が残されているのだ、と思った。