おならっぷばーん

You can't fart without changing the balance in the universe.

美術鑑賞講座1 「マ」編

 

皆さん、芸術的に生きてますか?

ストリート・アート・ファシリテータ1級、「まちの芸術」推進委員会のかたむきみちおです。美術館では味わえない、街のリアルな芸術を体験する、お手伝いをしています。今日は皆さんと、実際に作品を見ながら、鑑賞の基礎を学んでいきたいと思います。

 

とりあげる作品はこちらです。

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飲み屋の外壁に、赤とも茶ともいえない、乾いた血を思わせる色のスプレーで描かれた3字のカタカナ。右下へ向かってなだらかに下降する文字列と、しだいに薄くなる文字色のバランスが、たよりなく、脱力した印象を与えますが、妙な緊張感があるのは、この単語が何なのか、決定的な判断がつきかねるからでしょう。

マは判る。ンもかろうじて読める。ところが最後の字となると、自信が持てなくなる。既知の単語から類推して、あるいはこれが「落書き」であることを加味して、どうやら「コ」らしい、と見当をつけます。

マンタの可能性も十分にあります。そもそも、書かれた文字なら既成の単語を構成する、必ず意味を持つ、という前提がおかしいのです。マンク、マンス、マンフ、マンメ、マンロ、マンワでも構いません。最後の字をあえて壁に滲ませるように不明瞭に描いたのは、私たちが当たり前に従っている記号の慣習というものの無根拠性を、あらためて自覚させる狙いがあるのです。

とはいえ、私たちはこれを「マンコ」と読みます。素直に見るならマンコですし、私に至ってはそうであって欲しいとすら思っているくらいです。これがマンコなら、このマンコはふたつの問いを惹起します。

 

・なぜ絵ではないのか

人にわいせつ感を与えるためなら、性器の俗称より見た目を描いたほうが、効果的です。1万5千年前の洞窟壁画の牛は、見たままの姿であり、「牛」といった抽象的な記号ではありませんでした。「原始時代の狩人たちは、獲物の絵を描くだけで、そしてたぶん、それを槍や石斧で打ちつづけるだけで、本物の動物も自分たちに屈服するだろうと考えていた」(E・H・コンブリッチ『美術の物語』)と美術史家は予想しますが、この居酒屋の壁画が、女性器を自分に屈服させたいと思っている中学生男子のイタズラだったとしても、その思いを味気ない線分の組み合わせで表現するのは、よく考えると変なはなしです。作者を含む私たち現代人は、かつての人類が、動物の絵で自然の操作を試みたように、文字を使って環境を操る、記号の世界に生きています。女性器そのもののイラストを見るより、「マンコ」という文字を読むほうが、かえって生なましい印象を受けるのです。美術史家の木村重信は言います。

現代の記号は、昔のようなたんなる目印ではなく、人と商品、人間と社会とが結びつくひとつの生活領域を開く機能体として、それ自体で社会的に実在する。好むと好まざるとにかかわらず、それが現代の事実なのであり、そしてこのような記号環境に即して、美術もその性格を変えざるをえないのである。
『モダン・アートへの招待』

 

 

・なぜ「チンコ」ではないのか

街を歩いても「チンコ」の落書きを見ることはありません。チンコには、もはや私たちの感情を揺さぶる力がないのです。スピルバーグに『タンタンの冒険』(The Adventures of Tintin)という映画がありますが、これは原題に即して『チンチンの冒険』で良かったと思います。不倫の話だと思われるのが嫌だったのでしょうか。

 

人類学者は、タブーを次の図式でとらえます。

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AかつAではない、という両義的な部分、どちらに属するとも言えない境界域が、タブーになると考えます。女であり女でないというふたつの時期、つまり女子高生と熟女が、業界でとくべつな眼差しを向けられることを思うと判りやすいでしょう。

プライベート/非プライベート(=パブリック)という対立項において、チンコは公的な性格を持っているために(沈降、鎮国寺、鎮魂歌、がちんこ、パチンコ、のどちんこ)、いまさら人前に持ち出しても、タブーとして心に訴えるインパクトがありません。しかしマンコは、チンコと同類でありながら、なお私秘性が強い。むかし、小学校のパソコン授業で、チャットサイトに出入りしていた男児が「マンコってなに」と騒ぎだし、あわてた先生が手を打って「さあ次はお絵かきですよ」と言ったことを思い出します。あれがチンコだったら、私たちは退屈なペイントをせずに済んだはずです。

家の敷居があります。敷居は「内でも外でもなく、同時に内でも外でもある境界特有の不思議な性質を持っている。空間を内と外に切断してコスモスを作りだしながら、それ自体は秩序の割れ目にできたカオスであって、恐ろしい魔物や不気味な怪獣のうごめく異界を覗かせていたのである。そこから『敷居を枕にして寝る』と幽霊が現れるとか、『敷居の上に坐る』と雷にうたれるとかいう俗信が出てきた」(山内昶『ヒトはなぜペットを食べないか』)と言いますが、この秩序の割れ目こそがまさにマンコであって、私たちはそこに自分たちの恐ろしい獣性や、得体のしれない欲動、不気味な生命というシステムのうごめく異界を見るのです。

 

ギリシアの医師ガレノスは、ペニスとヴァギナを同一視していました。女性は男性より熱が少ないために、ペニスが体外に出ず、埋没したままだと考えたのです。男性を完全体とみる2世紀当時の男女観を反映した理解ですが、こと観念としてのマンコが公衆へ姿をあらわすには、おなじような熱、つまり既成の秩序に挑戦する芸術的な熱気が必要になるかと思います。私たちが壁画に見たのは、膣序の誕生だったのです。

 

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