おならっぷばーん

You can't fart without changing the balance in the universe.

われはいかにして人間ナプキンとなりしか

 

ビジネスツインは妙である。

凹字に広がった部屋で、真ん中にはでんと共用のユニットバスがある。左右の小部屋に一人用のベッド、エアコン、テレビ、照明、冷蔵庫をひとつずつ、鏡に映したように配した妙な造りだ。並んで寝るのは嫌だが、同じ部屋で一夜を明かすのは許せる。そんな人間と使う。相手が異性となると、関係はさらに微妙だ。そこへ、別れた彼女と泊まった。

会ってすぐ、
「実は、お知らせがあるんだけど」
と言われて、僕はピンと来た。
「生理になっちゃった」
やっぱりだ。家に帰ってボートレースの中継でも見るほうがマシだと思ったが、口には出さない。
「そうなんだ。大丈夫?」
もちろん彼女のほうでも僕が帰りたいと思っていることぐらい分っている。だから事前に伝えなかった。それなら日を改めよう、と言われぬために、直前になって切り出したのだ。理由はほかにもある。
「大丈夫。ごめんね。でも私達ってそういう関係だけじゃないでしょ」
彼女にとっては、行為なしで一緒にいる、ということが、模造の真珠とそうでない本物を分ける、輝きの違いらしい。
「もちろん」
残念だが、僕は宝石の真贋に興味はない。

久しぶりに会ったのにできねえのかよ。なんで俺はこんな女を連れて歩いてんだ。いや、これこそ、きみがあこがれる高潔な人間の高潔な交際というものだ。バカ言え、扉の開かないビルに建物の用があるものか。それに高潔ぶった奴くらいゾッとする俗物はいないんだ。諸君、それは焼き肉である。きみはまじめに振るまうことで自尊心を満足させてきた。女をモノでなく精神として扱うことは、きみが性欲一本槍の人間でないと証明するまたとない機会だ。焼き肉はひと口目がうまい、それと同じで、たまの初回がもっとも感じるものである。俺は女をモノとして見ちゃいない。女の精神とは、その身体なのだ。老化は鈍化、日よけの傘に手袋が、教養を磨く学びというわけさ。俺は身体のなかで唯一まともな、そして純な精神を保つ臓器で、脳と対置された偽りなき神経の突出で、女の教養を吸い出したい。しかし3皿目には飽きがくる。最後は茶色のガムを噛んでいるようなものだ。素直じゃないね。きみが三日三晩女と一緒にいてなにを思うか教えてやろう。「もう勉強はいやだ」。それでも女はペンを握らせる。最後は血で字を書く思いさ。終われば女は冷静で、服の値段を見るようにゴムの先っぽを手に受けてためつすがめつ、「昨日より少ないね、気持ちよくなかったんだ」と分析する。そんなことないよ、と否定しても、一方の精神は純だから、嘘がつけない。きみはあわれな奴隷だ。ワギナの前であくせく働く奴隷なのだ。ときどき街で見るだろう。男の股間から伸びた透明な縄を。その縄をたずさえて、まるで飼い犬みたいに男を引っ張って歩く女を。きみの金玉も見えない縄で縛られて、あの女に引っ張られているのさ。知るか。操られるなら、操られるがままだ――先導されて、ホテルに着いた。

童貞の頃、自動車教習所の教官が教えてくれたことがある。
「ほら、ここ見てみ」
座席に黒いしみがあった。
「さっき乗った子がな、急にその、なりよってな。ちょっと汚れたあんねん。あの、女の血というのは、臭いからな」
僕の顔をみて、
「まだ君には分からんやろけど」
僕はこれから自分が座るシートを汚されたことより、童貞と見くびられたことに怒っていた。事実、女の子の手の感触も知らなかったが、さも経験ありなんという顔をして仲間内でもバレずに通っていると思っていたのである。免許をとって一年後だ。タオルを敷けばどうにかなる、と言う女から抜き取った、うすく赤みを帯びた指の、爪のあいだのしみのにおいを嗅いだのは。

「臭いからダメ。嗅いだことないでしょ。なんか普通の血のにおいじゃないんだよね、老廃物というか排泄物みたいな感じ。だから触んないで。パンツの上からならいいけど」
冷えて固まったカイロの感触がする。
「気持ちよくないんだけど」
だから初めから直接式でいこうと言ったのに、手間のかかる奴である。僕は無言で下着に手をいれ、彼女は無抵抗で応じる。部屋に上がるのはまずいので、玄関のドア・ノッカーの鉄の輪を、掴むでもなく掴み、叩きもせず叩く。耳を当てて中の様子をうかがうと、声がする。安いビジネスホテルに獣の言葉が満ちている。引き抜いた指を鼻へ近づけようとすると、さっきまでの興奮と自失が嘘のように、白昼光の冷静をとり戻した彼女が素早く起き上がって手首をつかみ、
「ダメダメ。洗ってきて。きたないから」
蛇口をひらき、水にさらす。その前に、指のにおいを確かめる顔が、洗面台の鏡に映った。パンを盗み食いする店員はこういう顔をしている。

射精がない。死がない。舟の行き着く岸がない。物理的な終局がないというのは、生きる地獄である。ヒーロー戦隊は最後に合体するが、僕らには完成がない。オーブンが壊れても生地をこねるしかないあわれなパン職人のように、舌で舌を練る。座ってキスし、立ってキスし、部屋を変えてキスし、宿泊客が歩く廊下のすぐ裏でドアの覗き穴を片目に見ながらキスし、洗面台でキスし浴槽でキスし、場所がなくなると、ベッドに戻ってまた寝ながらキスをする。のどが乾いたら水を飲み、飲んだ水を口移しにして、移し返される。口を通ったなまあたたかい水には甘美な催吐性がある。 吐き気をこらえて飲み、飲み切らない余りをまた移し返す。水だかだ液だか、相手の口だか自分の口だか分らない。近づいても交わらぬ漸近線の遊びにも、形式的な終わりはある。彼女が訊く。
「口か手だったら、どっちがいい」
難問である。哲学者は、愛人の質問に答えるために、アウフヘーベンという方法を思いついた。僕も両方と答える。ずるい笑みを見て、目を閉じる。あとは口とも手とも区別がつかない粘膜の海岸線で、パンが焼けるのを待つ。

余韻を突いて彼女が顔を寄せて訊いた。
「ねえ、私たちってセフレなの」
また難問である。そんな言葉ではこぼれ落ちる、もっと豊かな何かだと思いたいが、やっていることを見れば、そうだ。犯行の自覚はない。しかし状況証拠は犯人だと教える。黙っていると、
「ずるいよね、××ちゃんは」
と言って話題を変えてしまう。関係をはっきりさせたいが、答えは聞きたくないのだ。僕がどう返事するのか、彼女はすでに知っている。

別れの時。恋人ならハグやキスもするだろうが、僕たちは友人だから友人として離れねばならぬ。しかしただの友人でもない。手を握って、また、と言ったきり、振り返らず、去るのである。