ミチオ君、東京をいく

 

大阪人として「なにが東京」と思う反面、あこがれもある。テレビ雑誌で見る場所、聞く地名のほとんどは都内にある。拠点が東京にあるから当然である。

大阪といっても、映画館ひとつない片田舎に住む僕は、六本木と聞けば「あの…」、渋谷と見ると「かの…」と名に押され、街を歩けば、両肩に迫るガラス張りのデザインビルの連なりに圧倒される。肝試しで墓地をいく少年のように「こんなの大したことない」と言わずには交差点のひとつも渡れない。

 

あの、神保町に来た。

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「神保町 本屋 おすすめ」でリストアップした書店をめぐるが、とにかく暑い。道は黒白の二色にわかれ、下水の臭気を含んだ蒸気がむらむらと路面から吹き上げる。その中、店前に出たワゴン内の、何百という本の背表紙の細かい字を追っていると、頭がクラクラする。

暑さが神経活動の大敵であることは、赤道下の住民が腹をだして昼寝ばかりしているのをみれば分かることだ。熱さはものを焼き、暑さはひとを自棄にする。実力テストは夏休み明け、クーラーのない部屋に40人を詰めて行われたが、僕はあまりの暑さにやる気をなくし、名前を書き込んだあとは、垂れる汗のしずくをすべて解答用紙で受けとめて、これがおれの答えだとばかりにフヤけた紙を提出してやった。ペンも持たず、じっと紙上に伏せたままでいるのを、見回りの教師が見たら変だと思ったろうが、先生のほうもパイプ椅子から動かず、目をつむって扇子をあおぐだけであった。

 

 

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買ったのは2冊だけだ。山田風太郎『半身棺桶』は、出発前に新大阪駅のリブロで、泡坂妻夫『湖底のまつり』は帰る直前、東京駅の三省堂で買った。結局、神保町では1冊も買わなかったのである。ほんものの稀覯本はガラスケースの向こうへしまい、一般流通の、いわゆる古本は、持ち逃げされても大して痛かないといった様子で野ざらしにしてある。その構図が気に食わなかった。店前で本をいじっていると、残飯をつつくみじめなごみあさりになった気がする。 

 

お土産を開けると、

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自分がどこへ行ったのかわからなくなった。