読書の夏

 

読書の秋は間違っている。クーラーを20℃に効かせた部屋で、冷えた掛け布団を丸めてつくった大福餅にうずまり、くだらない午前中をくだらない本で埋めるとき、夏こそ読書の王道だと確信する。

由来は、韓愈の詩にある(「符読書城南」)。涼しい秋の夜にロウソクの明かりで読むのがいいと言ったのだ。彼が生きた時代(768-824)にはヨドバシカメラがなかったから、エアコンが買えなかった。秋の夜長をつくりだせる僕らは千年前の季節感に縛られなくともよい。

韓愈にとって秋はどういう季節だったのか。
「秋懐詩」の一首にこうある。

  • 西風は竜蛇を蟄し
    (秋風は竜蛇をこもらせ)
    衆木は日びに凋槁す
    (木々は日に日に枯れていく)
    由来 命分爾(しか)り
    (もともと運命がそうなのだ)
    泯(びん)滅 豈道(い)うに足らんや
    (ほろびていくことはいうにも足らぬことなのだ)

暗い。「秋の自然の衰え行くに感じて作った詩」である(清水茂注『韓愈 中国詩人選集第11巻』岩波書店。人間になぞらえれば、いのちが凍結にむかい冷える茶色の時代。それが読書に適していると言うのでは、いかにも老人くさい趣味になる。人生を四分割にしても、やはり読書は夏に合っている。

 

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Bluetoothイヤホンを買った。

耳にすっぽり収まる小型のやつだ。これをはめてバイト中に「伊集院光 深夜の馬鹿力」「ライムスター宇多丸のウィークエンド・シャッフル」「土田晃之 日曜のへそ」、ダイアンがパーソナリティとなる木曜日の「よなよな」を聞く。

朝礼中に主任の連絡を聞きながら,一方の耳では、読みかけの本にしおり代わりに屁をはさむ男の話や、つばで湿らしたトイレットペーパーで尻の穴を拭く、自家製ウォシュレットを自慢する男、コーラで洗えば避妊できると本気で信じている女性芸能人の話を聞いている。はじめはバレるかと思ってビクビクしながらイヤホンを挿していたが、なにかを隠そうとするおびえた態度が、そのなにかの存在をかえって目立たせると思って、むしろ堂々としている。同僚の耳の穴を思い出せるか? 人は人の耳など注視しないものだ。万が一見咎められても、従業員の大半はパートのおばちゃんである。まさかポケットのスマホから音を飛ばしているとは思わず、耳の不自由を気の毒に思い、そっと触れずにおくだろう。松葉杖の男をスナイパーだと疑うのは、おなじ松葉杖のスナイパーだけだ。

電車で、耳栓代わりにイヤホンを挿し、音漏れしないギリギリの大音量で音楽をかける。途中、聞いていて気持ち良い曲があった。なんだろう、と思うと、ただ音楽が止まっていたことがある。

嫌な状況をなにかで打ち消そうとするとき、そのなにかがまた嫌になってくる。ハブを撃退するために、インドからマングースを持ち込んだら、今度はそのマングースが在来の生物を食べつくして害獣になってしまった。バイト中、数時間にわたりラジオを聞き続けた僕は、終業間近になってイヤホンを外した瞬間、いままで苦痛だったはずの静けさに最好の癒やしを聞いた。それ以来、一度も持って行かない。何のために買ったんだろう。