おならっぷばーん

真夜中の異臭さわぎ

肉と妄想

 

ふるさと納税の返礼品で、黒毛和牛が届いた。

f:id:gmor:20170602204220j:image味より気になるのが、精肉店の名刺である。

石丸元章。そう聞くと、

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同姓同名の、最高にクールなドラッグ・ライターしか思い浮かばない。起きてすぐ名刺を見つけて「へえ石丸さん肉屋やってたんだ」と素直に思った。2杯目のコーヒーで、そんなわけないと気づく。

 

石丸元章をはじめて読んだ日の記事 

 

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新刊が4月に出た。

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覚醒剤と妄想』である。

ディズニーランドへ入場するのに、神経のコンドームがいると思って、同じコア新書から出ている高橋ヨシキの『暗黒ディズニー入門』を買ったとき、たまたまとなりにあったのが、この本だった。

死ぬまで忘れないだろう一節がある。

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 取材ノートを読み返すと、ときに「店で1本を買い、その場で吸って歌舞伎町の路上で激しく嘔吐した」などというヤバイ記述も散見される。ああ、あれか…と回想するが、あれは実にヤバい現場だった。路地裏で、ショップの店員に「これが売れ筋ですね」とすすめられるままに一本のハーブを吸ったところ、うううぅ! すぐに目が回り出し、アスファルトがうねり始めて、真っ直ぐに歩くことができなくなった。
 チューブみたいなんだ! わかるか、サーフィンで大きな波がチューブみたいに丸く空洞になって、そのなかを人間がボードに立ってすべっていくシーンがあるだろう。あれなんだ! 歌舞伎町の路地の路面が液状に溶けちゃって、波みたいになったアスファルトのチューブを、ゲロを吐きながら自分がのた打ちまわっている――。
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アスファルトのチューブをゲロまみれで滑走するイメージは(それは彼にとってイメージではなく現実の出来事だが、しかしそれゆえに)ブルトン中島らもクリストファー・ノーランにだって描けそうにない。ただの薬物中毒者にもムリだ。まぼろしの翻訳にはわざがいる。頭にジャンキーとルポライターと詩人が共生する石丸にしか書けない名文だ。

 

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ふた月前からスーパーで品出しの早朝バイトを始めた。僕はバイト先でいじめられている。そう思わざるをえないことが今朝あった。

2日ぶりに出勤したら、ロッカーに入れた私物がごっそり無くなっていた。大した物はない。上下の制服、ゴムグリップの作業手袋、マスク、Bicのボールペン、Rollbahnのメモ帳。制服は会社支給のものだし、ボールペンはいつか泊まったビジネスホテルから借りたものだ。500円でお釣りがくる被害である。それだけに嫌がらせとしては手が込んでいる。高価なものを盗むならまだ健全だ。金にもならぬ所持品を盗ることは、相手をいやな気持ちにさせようとする純粋な悪意に基づいている。

となりで着替える40代の同僚に、うろたえる姿を見せまいと、もとからロッカーは空だったのだとでも言うように何食わぬでカバンを突っ込んでやった。もしこの男が首謀者なら(仲間はひとりとは限らない)、もっとも間近で見たいのは、悪意に触れた瞬間の僕の沈んだ表情だろう。むざむざ甘い果実を差し出してたまるものか。

おっさんはいつもの調子で、
「おはよう、今日もがんばろかあ」と話す。
僕も笑顔で応じる。しかし裏では、男の目に敵意が隠れていやしないかと、なべ底の具のおたまですくい上げるときのように、黒目のなかへ疑いのまなざしをグイグイねじ込んでやった。状況は黒とも白とも見分けがつかない完全な灰色一色だ。すこしでも尻尾を出したら、誰かれ構わず問い詰めてやる。覚悟をきめて仕事場に出た。

メモ帳を失ったことが最大の苦痛だった。仕事用なら見られても平気だが、なかにはこんなことが書いてある。

  • 18:36 ドラッグストア
    『超吸収』と書かれたナプキンを6パック、カートの上下に積み込んでレジへ向かう70代のおばあさん。まっ白な敷布のうえにいったい何が吸収されるのか想像すると夜も眠れない。

ネタ帳といえば大げさだが、日々でっくわした印象的なシーンを書き溜めておくノートだ。見せ物じゃないから、口にできない願いや呪いも書いてある。それが、僕の休みのあいだに、従業員全員にまわし読みされているかもしれないと思うと、ムカデが胃腸の壁をよじのぼる。僕だって手帳を拾えば中を見る。パンツの柄を知るより、メモ書きを読むほうが、他人の心臓に触れるようでおもしろい。それが、恥をかかせてやりたい相手のものならなおさらである。

現場では十数名のスタッフが働いている。みんな口々に「おはよう」と挨拶する内心で、きたきた変態だ、老婆の萎縮したペンネからエメラルドグリーンの経血がにっと糸を引いて垂れるところを想像しながらマスを掻く変態男がやってきた、とほくそ笑んでいるわけである。パートのおばちゃんが輪になって「見た? ほんと気味わるいわね。私たちもいやらしい目で見られてたのかしら。気をつけなくっちゃ」と胸を隠すしぐさをしてみせる。

その日の仕事は豚肉の陳列だった。小分けにされたかたロース、ロース、ばら、小間切れのパックを、きれいな3段積みにしてショーケースに並べていく。毎日これだけ輪切りにされてよく絶滅しないものだな、と感心する。「おい見ろよ、あんな奴のことだから、きっとスライスされた豚にも欲情しているのさ。ビニールに押しつけられてはち切れんばかりの姿態をさらすピンク色の肉片を見ると、ウズウズしてたまらないといったご様子だ。いまにもパックを破いて頬ずりしそうな勢いじゃないか」と噂する声が、野菜売り場の向こうから、ドリンクコーナーの裏から聞こえてくる。犯人は一人でも、秘密を共有したら、みんな共犯だ。手が痛む。手袋がないせいだ。ダンボールも、プラスチックのカーゴも、50や60という数を扱うと、素手にはこたえる。犯人も頭がいい。手袋をひとつで、心身を傷つけられる。『ハムレット』に「塵一つでも目は痛む、心の痛みも同じだ」というセリフがあったことを思い出した。指にすり傷の白線がつくたび、心の血がにじむ。

帰ろうと思ったが、手を動かすうちに頭に昇った血が降りてきた。論理で考えてみる。ロッカーには錠がついている。開錠できるのは、鍵を持つ僕と事務所にいる総務部の社員だけだ。彼らとは働く時間と仕事場が違うから、ふだん顔も合わさない。僕をいじめてやろうと思うほど、僕をうらむ機会もないわけである。しかし荷物は消えた。そそっかしい社員が、退職した人のロッカーと間違えて僕のロッカーを整理した可能性がある。しかしこれには、撤去する一週間前から、その通知をロッカーに貼り出す決まりがある。僕のロッカーには、紙も紙を貼ったような跡もなかった。

いじめか手違いかを判断するためには、3日前の退勤時にちゃんとロッカーに施錠して帰ったかどうかが文字どおり鍵を握っている。そして僕にはその自信がない。前にうっかり鍵を持ってくるのを忘れたとき、ダメもとで手をかけたら扉が開いたことがある。たまたま鍵をかけ忘れていたのだ。それから味をしめて、鍵を忘れたときのために施錠しないで帰るようになった。犯人はこの習慣を知っていたのだ。警察を呼んで大騒ぎしてやろうとも思ったが、鍵のし忘れを指摘されたら立場が悪くなると思ってやめた。ことの真相は、仕事終わりに事務所に寄って聞き出すほかない。これで社員が首を横に振れば、犯人はいまこの仕事場にいる仲間(そう呼ぶのもいとわしい人間)の誰かということになる。

終業までの4時間、従業員の笑いのしたに隠された侮蔑、親しみの裏に重ねた拒絶に耐え、くりかえし剥がすガムテープの束、破りつぶすダンボールの山、つかむアルミパッケージのするどい断面、押し込む冷凍商品の灼けつくような霜柱と、素手で闘いづつけた。噂では朝型生活が人の心と身体を健康にするという。午前5時から始まる仕事だ。遅くとも4時半までには目を覚ます朝型人間が集まっている。しかしどうだ。気に入らない新人がやってきたら、裏で結託して、卑劣な手口で追い出そうとする陰湿な奴らばかりじゃないか。暗闇をひっくり返す朝焼けの力も、人の心の陰までは払えない。

敵の思惑どおりにいくのは癪だが、今日でバイトを辞めて、また明け方に寝て夕方に起きるニート生活に戻ろうと思った。終業時刻と同時に事務所へ入る。総務部の女性社員に辞めると伝える。そうだその前に一応ロッカーのことを聞いておこうと思って尋ねると、女は眠そうに記憶の鉱脈を掘り進め、とつぜん地雷を叩いたように、はっとしてその場で凍りついてしまった。退職者のロッカーを整理するはずが、僕のロッカーに間違えて告知の張り紙をし、その張り紙も本来は一週間掲示するはずのものが、どうせ見ないだろうと思って、僕が休んだ2日のうちに取り外し、中身を処分してしまったというのだ。手続き上のミスに偶然が重なっていじめが起きた。ロッカーはちゃんと施錠されていたそうだ。家に帰るとメモ帳は机の上にあった。

すべては僕の妄想だったのである。

 

 

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