おならっぷばーん

真夜中の異臭さわぎ

散髪代はまともさの維持費

 

髪を切られているあいだの沈黙が苦手だ。人嫌い、会話ベタ、照れ、恐れのせい。しかし、もとをたどればすべて思い込みが原因だ。気の利いた雑談をせねばとあせるのは客の僕だけで、理容師のほうでは、マヨネーズが切れてたな仕事終わりに買って帰ろう、次の休みに新しい時計を見に行こう、闘鶏でニワトリの足をみて賭ける奴がいるがありゃ素人だなプロは首をみる、くらいのことしか考えていない。

「どういう感じにします?」
世紀の難問である。もともとしたい髪型がない。男も中学生になればみな色気づき、こぞって整髪料をつけ始めるが、当時から便所の鏡にアホ面さげて立ちならび、まるで精密機械の配線を入れ替えるみたいに髪を右へ左へいじくりまわす連中をみると「お前らの前髪が今より1センチ横にずれたら、なにか世界が変わるのか?」と腹を立てていた。僕がつよい癖毛でワックスを受けつけなかったことの恨みである。髪型にこだわるのは低俗な人間だ。しょせん物事のごく表層にしか興味を持てないでいる、あわれな文化的盲人の福笑いなのさ、と本気で考えた。

セルフカット用のハサミセットを買って、自分で髪を切り始めた。鏡も見ないで、すきバサミを頭に突っ込みザクザクと切り落としていく。適当にやっても、全体のボリュームが下がるだけで髪型は変化しない。直毛のセルフカットが、きれいに掃かれた枯山水の横断なら、縮毛のそれは裏山の沢登りだ。散らばる石をみても、それが人の跡形か、自然のしわざかわからない。

しかしプロはわかる。ある日、自分で切るのが面倒になって床屋へ行ったら、店員が毛先をつまんで、
「なんやコレ。めちゃくちゃやな。あんた自分で切ったやろ?」
と鼻で笑った。僕は微苦笑で、
「わかります?」
と調子を合わせたが、かなり動揺した。職業病がある。服屋は服を見、靴屋は靴を見る。僕はいままですれ違う美容関係者から「うわっ、イヤなものを見た。よくあんな頭で出歩けるなあ」と半ばあざけり、半ばあわれみの目で見られていたのだ。プロでなくとも鋭い奴なら、髪型のおかしさに気付いていた筈である。みんな言わないだけで、心ではヘンな頭だと思っていたんだ。妄想と疑心が、1秒間に地球7週半の速さでひろがり、それ以来、僕は自分で髪を切るのをやめた。よくオシャレになれない人が自嘲して、服屋に着ていく服がないと言う。セルフカットだって同じことだ。手を出したが最後、床屋にいく髪型がなくなる。

手持ちのメートル原器は狂っている。いくら押し当てても、自分のおかしさは測れない。昨日の異常も今日の標準となり、質の悪い伝言のように中身が荒れてゆく。危険な状況を「気違いに刃物」と言うが、もとは素人の刃物だったものがゆくゆく狂気を帯びるのだ。人は人のハサミを信用せねば、へその緒も断ち切れないというのに。

 

 

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