おならっぷばーん

真夜中の異臭さわぎ

ミチオ君のふるほん拝見

 

古本から遠ざかっていた。未読本に手をつけずに新しいのを買ってどうする、とまともに考えたおかげである。しかし人間にとって正常な思考とは、波打ちぎわに彫りつけた砂の落書きだ。風と波、潮の満ち引き、そのときの微妙な自然の調子にかき消される。英語で「ばかげた」をlunaticと言うのは、むかし月(luna)が人間を狂気にみちびくと考えたからである。今でも人は、月収、月賦、月曜日、逆さ海月、花村萬月、お好み焼きの風月と、月に心狂わされている。

休日の予定はない。もとから予定は嫌いである。予定日に、予想通りの大きさで、予測された性別で産まれてきた。この世にデビューする前から予定づくしだ。これ以上、予(あらかじめ)がつくような、未来完了形の行動はしたくない。

非建設的な奴だと思うかもしれないが、ものごとにたいして前向きであるとは、時間の直線に立つとき、死に向かって前向きであるということだ。電車が到着する直前、ホームから人が飛び降りたら、とっさに顔を背けるだろう。未来について後ろ向きであるとは、死を予見する動物として当然の態度ではないか。

ポジティブを売りにする芸能人、スポーツ選手、明るいだけが取り柄の周囲の人間を思い浮かべると、前向きが恐怖の不感症であることがよく分かる。人間的というより動物的なのである。ネガティブこそ人間の証明だ。そんな気持ちで予定の空白と戦ったのだが、行動がなければ後ろ向きになって振りかえる思い出もできないという矛盾にぶち当たり、朝からずっと手持ちぶさたで、部屋をぐるぐる行ったり来たり、自分こそが動物園の檻をうろつくゴリラなのだと気がついて、急いで書店にほんものの人間証明書をとりに行く。

 

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財布に850円しかなかったので、100円の本を8冊買うことにした。会計で864円と表示されたときにはじめて消費税が8%だったことを思い出す。

足りない。もういちど数え直したら、なにか間違いが起きるかもしれない。玉入れの結果発表のつもりで、100円玉から1枚ずつトレイに並べていく。800円を吐き出すと、残金が支払額に満たないことはすぐにわかった。でも今さらやめられない。全部出したあとから「あれ、おかしいな。足りないみたいです」とひと芝居うって帰ろう。10円玉を並べ始める。生え際から汗の玉がわく。最後の1枚だ。気付くならこの瞬間じゃないのか? 出し切るとかえって不自然になる、しかし――財布に指を突っ込んだまま固まっていると、みかねた店員が「ポイント分お値引きできますが」と救いの手を差し伸べる。ここでポイントが足りないのが、持っているブロガー、売れる書き手だ。結果は見てのとおりである。

 

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漫画家・東海林さだおのエッセイ集『ショージ君のにっぽん拝見』は、半年前から探していた本だ。数学者・岡潔とのやりとりを綴った一篇がどうやら名作らしいのである。「東海林さだお氏の文章は笑いの作法を考える絶好のテキスト。すべての技が含まれ、その意味でデパートにたとえてお勧めする次第である。買い物だって初心者はまずデパートへ行くではないか」阿刀田高『ユーモア革命』と言われたら、一度ひやかしてみたくなる。北野武によると「映画は、何十万というコマのなかの任意の1コマが美しいのが理想的」らしいが、ためしに本書をパラパラとめくり、開いたページの一文を書き抜いてみよう。えいっ、ここだ。237ページ。「つまり夫婦は、夜になればみんなやるのである。やってはいるけど、昼まは、みんなやってないような顔をしているのである」。うむ、名画である。

Amazonプライム太田和彦の番組「日本百名居酒屋」を見て、彼の本を買ってみようと思った。まちの小汚い居酒屋で「ニシンの煮付けかぁ。おいしそうだなぁ」とつぶやきながら、ひとり酒をやる。その姿をみながら、僕もご飯を食べる。おっさんの食事を見ておっさんが食事をする、というこの文を読みながら今まさに食事するおっさんもいたりして、世の中いよいよ食事するおっさんだらけである。本職はグラフィックデザインと言うがよく知らない。ただ「男が一人になって何をするかといえば、それは酒を飲むのが一番ふさわしい。居酒屋の片隅で、何も考えず一人、盃を傾けぼんやりする。人嫌いで山に登るのとは違い、あくまで市井の、他人のうず巻く町の中にあって孤独を愉しむのである」『超・居酒屋入門』という一文から、同じ孤独を愛する人なのだとわかる。

 

最後は『方舟さくら丸』。

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目次をみて「これが安部公房に期待する安部公房だ」と読む前から嬉しくなった。

 

そして箱うらの写真、 

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でかいPCを打つ姿にグッと来る。

ところで僕はデジタル原産の文章が嫌いである。語と語、文と文のつながりに無神経を感じる。文字を書くという筋肉の運動にあるはずの汗のにおいがない。紙のうえでは手の労働のものが、PC上では頭の労働だ。そして凡人の頭は、身体よりもあたまが悪いものである。

小説中どの文章を読んでも、背後にカチカチとキーボードを叩く音が聞こえる。打たれた文字のくせに不思議と妙な味わいがあるのだ。持論が崩れた。安部公房の頭脳のせい? いや、きっと巨大な機械のせいだ。現代人からみれば、こんなもの筆と和紙じゃないか。

 

 

 

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