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おならっぷばーん

真夜中の異臭さわぎ

トリ博士求む

 

公園のベンチが好きだ。ほかに座る場所がないから好きにならざるを得ない。幼い頃なら、なんでもない建物の囲い、ブロック塀、階段、歩道と車道の段差にも平気で腰を下ろせたが、いまではズボンを汚す、不審者に見られるというので、はじめから座るために作られた場所にしか座れない。

都会に出ると苦労する。座るために400円のコーヒーが要る。買っても座れないことがあるから油断できない。百貨店の休憩スペースでは、おじさんが一人がけのソファに首もとまで埋まり、死んだように眠る。彼らが起きるところを見逃さぬよう、そばの家具屋に入って、デザイナーズチェアを転々とする。鳥の巣を縦にして空中に浮かべたようなイスがある。藤で編んだやさしい楕円を鉄柱から鎖で吊るしているのだ。腰かけようと巣を覗き込んだら、とさか頭の痩せた男が口を開けて、内壁に寄りかかるようにして眠っていた。食う寝るところに住むところ、やぶらこうじのぶらこうじである。

近くの公園でいつも文庫本を読んでいるホームレスのおじさんがいる。開いたページを顔に張りつけんばかりにして読む。目が悪いのか、紙面の外で展開される現実世界の運動を目にしたくないのか。背もたれに身体を預けず、背すじを張って読むところなど、いち読書好きとして敬意すら覚える。僕の読む姿勢といえば、買ってすぐ乗らなくなったバランスボールの空気を抜いてべこべこにへこませたものをクッション代わりに、でんともたれて足を組み、ジャズを大音量でかけて、そばにはチューハイ。ラウンジでホステスのあらわな肩に手を回すいやらしさで高名な書物に手をかける。著者が偉ければ偉いだけ愉快だ。難しい本は酔っていないと理解できない。アルコールでめろめろの頭で開く本に、

第二章 意識現象が唯一の実在である

なんて文章を読んだらブッ飛んでしまう西田幾多郎善の研究』)。酒と哲学書のちゃんぽんでラリる男とくらべると、木陰でしずかに書物をひもとくおじさんには、その弊衣蓬髪、ちぢれて胸元まで垂れさがるあごひげも手伝って、大学者の気風が漂う。毎日の読書量から推せば、大学教授も顔負けの知識を蓄えているはずだ。それを披露する機会と技能がないだけである。問題はなにを読んでいるかだ。そもそも彼は本を読んでいるのか? 日よけとして利用しているだけかもしれない。じっと観察すると、ページを一向に繰らない。まさかと思って顔をのぞくと、目をつぶって心地よさそうに眠っている。食う寝るところに住むところ、やぶらこうじのぶらこうじである。

放置自転車にうるさい大阪では、駅前に長時間、撤去の心配なく自転車を停めようと思ったら、月極か時間制の有料駐輪場を使うしかない。そこで重宝するのが、パチンコ屋である。駅から2分の好立地で利用料はタダ。しかし、このタダがくせものなのだ。用事を済ませて自転車を取りに戻るとき、ちょっと打ってみるか、という気になる。来るときにはあれだけ軽快に滑った自転車も、帰りはずっと6段目のギアで走るように重たい。駐輪代に2万かかったのである。

その駐輪場でいつも見る原付バイクがある。十数年前の古い型で、外装のプラスチックは劣化して黒がまっ白に、破れたシートはスポンジがえぐれてカビがわき、右のミラーはあらぬ方向へ曲がり、左は折れて姿がない。エンジンではなく気力で走っているようなバイクである。卒業式の担任のはなしを思い出す。「ミツバチは身体の成り立ちからすると本来は飛べないのだが、実際には飛んでいる。飛べないことを知らないからである。君たちはこれから夢にむかって羽ばたいていくが、『できない』と思わずにチャレンジすることが大切だ」。そのミツバチを思わせるバイクである。走らないことを知らないから走っている。死んだことに気づかず、体は生き続けるということは人間でも起こる。話は変わるが、10年の昏睡から奇跡的に目覚めた男は、のちのインタビューで、周囲の音がすべて聞こえていたと語った。母が耳もとで「お前を殺してやりたい」とささやいたこともすべて。嫌いな奴が倒れても、見舞いでうっかり悪口も言えない。

ハンドル下の収納ポケットに、ぞうきん、軍手、ソーセージを剥いたオレンジのビニール、空きカンでつくった即席灰皿、はだかの文庫本が突っ込んである。濡れたり乾いたりの繰り返しで、ほうきみたいに広がった本だ。感動を覚えるのは、本の地位である。持ち主はきっと開店までの15分、退屈しのぎにこれを読む。用が済んだら軍手と同じ扱いだ。読書で人生を変えるとか何とか息巻いている連中に見せてやりたい光景である。近づいて背表紙をみると、近代の日本文学だった。作家も作品も忘れたが、パチンコ屋の駐輪場ではまずお目にかかれない高級な名前だ。文学的でありたいとのぞむ世間知らずの文学青年、また、いきおくれの文学中年に見せてやりたい光景である。ここではパチンコ屋の待ち時間をつぶす役にしか立たないのだから。小説好きの男は、読む物語ほど自分の人生が劇的でないことに悲しむ。彼が無趣味無教養だと蔑む人々のほうが、じつは立派に主人公らしい生活を送っているものだ。連日ボロで店まで乗りつけ、日がな鉄球の落下を見つめるおじさんは、バイクのポケットに挿さる文学より、よっぽど興味をそそる人物ではないか。

 

 

f:id:gmor:20170409175803j:imageベンチで鳥と相席した。
僕のとなりに座ってくれるのは鳥だけだ。

 

f:id:gmor:20170409175751j:image鳥と呼ぶのも忍びない。名前が知りたいと思って野鳥図鑑を買った。探したが、それらしい鳥が見つからない。載ってないのか、僕の見方が悪いのか。

 

f:id:gmor:20170409175807j:imageわかる人いたら教えてください!

 

 

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