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おならっぷばーん

なにも考えずに、楽しむ

私の本の買い方

 

店に入る。

店といっても本屋である必要はない。店である必要もない。入り口のある建物ならなんでもよい。しかし考えてもみたまえ、入り口のない建物があるだろうかと。私たちは原理的に、すべての建物に入ることができるのだ。それと同じこと。現代人の住まいで書類のない家があるだろうか。うちには一冊も本がないという家庭にも電子レンジの保証書くらいある。私たちは原理的にはすべての建物を書店とみなせるし、そのすべてに入ることができる。靴屋もそば屋も、その実態は本屋なのだ。だからどの店に入ってもいいのだが、今回は説明の都合上、初めから本屋に入る。魚屋で本を注文する方法は、この記事を読むような素人にはまだ難しいからである。

晴れた日は入店後すぐ「傘を入れたいのでビニール袋をください」と頼む。たいていは、ややこしい問答を嫌ってすぐに用意してくれるが、「傘はお持ちですか」と訊く奴がたまにいる。これはサディストの自信家に多い。「自分は人より優れていると思うか」と訊くと、「思うのではなく、実際にそうなのだ。そこらで雑草をはんでいる愚か者より私がいくぶん高級な人間であることは、幾つもの事実により証明されている。暗算が得意だ。猫を飼っている。ブラックコーヒーを飲む。靴の砂をきちんと取り除くことができる。雨の日は傘をさす等々。君たちとは、生まれながらにして天井照明のルクスが違うのである」と答える筈だ。つまり彼はこう言いたいのである。「傘を持たぬ奴に傘を入れる袋はやれない」と。

対処法はある。
「傘じゃないです。ヘビです。それも濡れたヘビ」
と言うのだ。相手はたちまち過ちに気付いて詫びのことばとともにビニール袋を渡してよこす。私はその中に、家から連れてきたペット、細長いきなこ餅に焦がしたカラメルソースを垂らしたような色合いのセイブシシバナヘビを入れて、口を縛る。
「こうしないと大変だ。毒があるからね。それにこいつは動物の腐りかけの肉が大好物なんだ。よく店の床に落ちているネズミの死骸、それを食べて食あたりを起こして斃れたネコ、そのネコの生皮を剥いで三味線屋に売ろうとしたが、飼い主に捕まってのどを掻っ切られて死んだ出入り業者。そういうものに、この子はすぐ反応するから、おちおち本も選べない。すこしは店の衛生に気を使ったらどうですか。責任者を呼んでください」
「それが、あそこで倒れているのが店長なんです」
困り顔で指さす先には、血みどろの出入り業者である。私は男の頭を持ち上げる。それはひどく重く、床から離れるときにりんご飴のくだける音がした。
「店長さん、ちゃんと掃除していますか」
「もちろんです」
と声がある。しかし男の口は動かない。
「開店前と閉店後に清掃しております。月に一度、店休日に業者を入れて、殺菌消毒を徹底しております。決められた清掃スケジュールの間に店内に落ちたゴミに関しては、すぐには対処いたし兼ねます」
「いつ来てもそこらに落ちている動物の死骸、そしてあなたのような人の死体は、開店から閉店の間に、毎日のように産まれるということですか」
「その通りでございます」
「ところで私は一体だれと話しているんです」
「男の尻の穴でございます」
「どおりで臭うわけだ」
イヤミが癪にさわったのか、尻の声は消えて、かわりに屁の音だけが、バップバップと鳴りひびく。

注意してほしい。素人の多くは、こうしたやりとりに満足して店をあとにする。家のカウチに尻をうずめたあとで「しまった、本を買うのを忘れた」と気づくわけである。読書したくともできないと訴える人のうち、時間がないせいだと答えるのは全体の二割、そもそも字が読めないと嘆く文盲三割、残り五割は本屋まで行ったが本を買うのを忘れた、あわれな健忘症の患者たちだ。

だから私は書店員にこう訊ねる。
「ちょっと探して欲しいものがあるんですが」
「なんですか」
「それが、本なんです」
「本ですか。いまお調べいたします」
書店員は専用の端末を操作する。
「少々お時間がかかります。なにぶん機械が古いものですから」
本よりも靴べらのストラップが売れる時代である。どこの書店も大変なのだ。機械から伸びるケーブルを目で追うと、湯気立つ巨大たこ焼きに行きついた。
「なるほど、旧式だなあ」と私は思う。
電気コードの刺さったたこ焼きは、つまようじが熱で溶けた感じというよりは、水の入ったビニール袋の穴から水が弧を描いて飛び出す驚きに近い。
「今どき専門店でもこんなものは作りませんよ。これだけ大きいと、さすがに湯気も動きませんね」
「湯気?」といぶかる店員をみて、ハッと気がつく。
湯気だと思っていたのは白髪で、たこ焼きの焼けた生地だと思ったのは、赤茶けた頭皮だったのだ。たこ焼きはぬっと自転すると、顎のだらり落ちた生気ない老人の横顔があらわれる。地べたの作業場で、三色の積み木を組み替えている。骨の浮いた指で動かされるブロックは、枯れ枝で遊ばれる犬の糞のようである。
「できるだけ新しいものを、と頼んだのに、シルバー人材センターからやってきたがこいつですよ。電極を無理やり二本刺してこの速さです」
書店員は、組まれたブロックの模様を見て
「うちに本はありません」
「そんな筈はないと思いますが、もう一度調べてもらえますか」と食い下がると、盤面を指さした店員が「この通りです」と卑屈に笑う。

靴屋もそば屋も本屋である。本屋でない店はないと冒頭で言ったが、とうの本屋だけが本屋でないことはままあるのだ。医者の不養生、紺屋の白足袋、メガネ屋の伊達メガネ、レーサーのカマ掘り、警察の犯罪、童貞の性病、高学歴のバカ(「パパー、どうしてクイズ番組っておもしろいの?」「それはね、答えがあらかじめ用意された問題にしか正解できない秀才の成れの果てを見ることができるからだよ」)、それから、サラリーマンの夢。まるで矛盾というへまが、自分たちだけに許された失敗なのだとでも言いたげに、人は自分を裏切り続ける。書店に本がない場合に備えて、あらかじめ欲しい本を家から持って出るとよい。

「自分のものを置くことにしたよ」
「内容によって配置場所が異なりますので、ちょっと拝見させてください」
「これだよ。本というには薄い。小冊子といった方が正しいかもしらんが、現代人はマクドナルドのビーフパテよりぶ厚い本を読まないからね、これ位がちょうどいいんだよ。タイトルは『私の本の買い方』。まともに本の一冊も買えず困っている連中に、私がその手順を示してやるわけだ。気の利いたギャグあり、ちょろ出しのエロあり、現代社会をチクリとやる風刺あり。洗練された大人の読みものだよ。きっとすぐに買い手がつく」
「なるほど、これはいいや。大した業績もあげずに退職した無名の大学教授が、老後の手慰みに書き上げた新書みたいですね。サイレント映画時代のギャグセンス、戦時中のサビついた価値観、涸れた精巣のしぼりカス。内容はどうあれ、売れたらいいんです。こんなものでもありがたがって読む人がいるからこのビジネスは回る。場所は、自己啓発にしましょう。ここに置けば、うどん屋のメニューだって飛ぶように売れますから」

『私の本の買い方』は書棚の端に立て掛けられた。どの棚も空のくせに、意地でも中央に置かないのは、書店と一般消費者の序列を再確認させるためだ。私はとぼけて、「真ん中だとなにか問題がありますか」と訊ねる。

「問題は山積みですよ。ここにあなたの本があると、ほかの本が売れなくなります。それに本の買い方を教える本なんか堂々と置けるもんですか。お客さんが『私の本の買い方』を買います。その人が万が一にも本の買い方を覚えたら大変ですよ。次の来店時には肝心の本が一冊もないからです。つまりこの本を買って本を買う方法を習得しない限り本は買えないが、本を買って本を買う方法を習得したところで今度は買うべき本がないために本が買えなくなる。この自家撞着は、やはり作者が責任を負うべきだと思います」
「じゃあ。これください」
「はやく持って帰ってください」
「よかった。いい買い物をしたよ。ところで、この話はどんな結末だったかな。自分で書いておきながら思い出せないんだ。ちょっとここで確認させてもらうよ」
「ハハ、傑作だ。の一文があって終わりです」
「ほんとに? 私がそんな終わり方をするわけがない」
「ご自分の目で確かめたらどうです?」

ハハ、こりゃ傑作だ。

 

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