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おならっぷばーん

なにも考えずに、楽しむ

俗種相対性理論

暮らし

 

この店で一番高いやつをください。

言ってみたいセリフである。「無論、安かろう悪かろうの逆、高かろう良かろうがどの場面でも当てはまるとは限らない」。つま先立ちの達観で人物を大きく見せたい奴がそんなことを言う。「すべては金じゃない、心さ」と継いで、林を燃やして森を焼くような恥ずかしい持論を展開し、ひと山まるごと灰の死山に変えるだろう。キレイゴトはよしてくれ。家電も車も服も女も、値の張るほうが良い品に決まってら。

もちろん、統計学のソロバンではじき出した法則だ。いろんな良さを思う人びとを空中分解させて得た概念としての良さである。飼い主のいない感想だけが街をブラブラしているのは不気味だろう。にしても、この変質者みたいな感想を参考にして自分の思いを矯める現代人の生活こそが最も不気味なのである。『統計学が最強の学問である』という本がある。未読だが、タイトルを読むだけで「へえ、学問に強弱ってあったんだナア」と勉強になる。2316年の小学生が鼻をほじりながら読む教科書にこんな一節があるかもしれない。「この頃の人類はトウケイガクを最強の武器とし、トウケイガクを掴んで相手の頭のうえに振り下ろすことで、争いごとを解決したり、お金を稼いだりしていました」。

身の丈に合った道具だけが平和を生む。月収10万円のフリーターがパテック・フィリップを巻いたら、あまりのチグハグさに時計が遅れたという事例がある。身分不相応が時空をゆがめるのだ。土曜日朝の急行列車に乗ってみるとよい。所帯やつれの垢ぎれをブランド品の乱張りでごまかす中流マダム、身長175cmのハーフモデルの着こなしをそっくりマネて、理想と現実のむごたらしい隔絶を体を張って示すチンチクリンの女子大生、これが時代の先頭走者の証とばかりにスマホをとりだし、目を細めて針仕事でもするように指先でディスプレイをこねまわす白髪オヤジ。あとはもろもろの、無難こそが唯一の難といった感じの顔のない塑像たち。列車はねじれた雑巾のように腹を横たえて、吐き気と便意と倦怠を満載したまま這ってゆく。ひと駅またぐ間に、草花は芽吹き、緑はいよいよ漲る。かと思えば葉が色づき、落ち、木々は丸裸になる。定点カメラの映像を早回ししたような四季の回転が車窓に映る。「あ、もうこんな季節か」「また正月がやってきた」と思い、気がつくと途中の駅で痴漢と間違われている。光陰矢の如し、痴漢の冤罪火の如しとはよく言ったものだ。これらはすべて物心の歩調が揃わぬことで起きる珍事である。

僕のブログ執筆が進まぬ理由も、どうやらこの身分不相応にあるらしい。というのも、シャーペンを1,000円から86円のものに換えたら、これが元々自分の指だったのではないかと思うほど手に馴染む、というより馴染みすぎてもはや何も持っていない気さえして、作業は雪上の犬ぞりだ。入った文房具店で一番安い、一番ダサいものをあえて選んだ。

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パイロットのエコメイトという、リサイクル素材を使ったことが売りの(知るか!)ペンである。安っぽい大理石調のタイルみたいな色が、公衆トイレの壁を思わせて実に落ち着くではないか。同じ価格帯でもっとカッコイイ、カワイイかたちのペンがあるので、当然このエコメイトは誰にも手を付けられず、セロリのスティックサラダみたいに嫌われている。店頭で「お前も俺も、売れ残りだからな。でも拾う神もいるっていう話だぜ」とペンが話すので、「バカ、セリフが逆だろこの野郎」とツッコミを入れる。この瞬間、よしもと新喜劇仕込みのナニワロジックで、コンビ成立である。いまは相方のペンだけが先にピンで売れないか心配だが、安けりゃ悪いの常識が世間に流通している間は、取り越し苦労に終わるだろう。なに。すべては金じゃない、心なのさ。

 

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